文武訓 / 文訓上之末
一一師五友は、學者の閑居して師友なき人の、しひて名づけしなり。されど理なきにあらず。一師は書なり、聖賢の書は師としてたふとぶべし。次に筆硯紙墨案の五は、わが學をたすくるものなり。つねになれて友とすべし。學者のまじはる所此外にいでずして、其樂きはまりなし、貧家には、一師を求め得ること殊にかたし。其次に、五友のよきをえらび用ふることもたやすからず。もし是を得ば、其樂多かるべし。
新字:一一師五友は、学者の閑居して師友なき人の、しひて名づけしなり。されど理なきにあらず。一師は書なり、聖賢の書は師としてたふとぶべし。次に筆硯紙墨案の五は、わが学をたすくるものなり。つねになれて友とすべし。学者のまじはる所此外にいでずして、其楽きはまりなし、貧家には、一師を求め得ること殊にかたし。其次に、五友のよきをえらび用ふることもたやすからず。もし是を得ば、其楽多かるべし。
書き下し
一一師五友は、学者の閑居して師友なき人の、しひて名づけしなり。されど理なきにあらず。一師は書なり、聖賢の書は師としてたふとぶべし。次に筆硯紙墨案の五は、わが学をたすくるものなり。つねになれて友とすべし。学者のまじはる所此外にいでずして、其楽きはまりなし、貧家には、一師を求め得ること殊にかたし。其次に、五友のよきをえらび用ふることもたやすからず。もし是を得ば、其楽多かるべし。
現代語訳
「一師五友」とは、学者が閑居して師や友のいない人が、無理に名づけたものです。けれども理がないわけではありません。一師は書物です。聖賢の書は師として尊ぶべきです。次に筆・硯・紙・墨・机の五つは、自分の学問を助けるものです。いつも慣れ親しんで友としなさい。学者の交わるところはこの外に出ず、その楽しみは極まりありません。貧しい家では、一師を求め得ることがとくに難しいのです。その次に、五友のよいものを選び用いることもたやすくはありません。もしこれを得られれば、その楽しみは多いでしょう。
解説
この章句が説くこと
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