文武訓 / 文訓上之末
是、わが國の風にあらざればなり。しかれば、我國に生れたる人は、只わが國の名にしおへる和歌をこのんで、其の志をいふべし。詩は學職にある書生の外は、やむことを得ざるにあらず、天才なくんばつくるべからず。此ことわりを知れる人は、詩をこのんで作らず、作れどもつつみて人にあらはさず。詩を知れる人にわらはれんもくちをし。古人、詩の才なくしてこのんであらはすをば、顏之推が家訓に、論癡符といふ。わがおろかなることを人にほこり、我がはぢをあらはす符なりといふ意なり。詩を知らざらん人に見せば、いふべからず。詩を知れる人是を見ば、此そしりを免れがたかるべし。況やもろこしの作者に、わが國の詩を見せば、おほくは論癡符なるべし。恥づべし。
新字:是、わが国の風にあらざればなり。しかれば、我国に生れたる人は、只わが国の名にしおへる和歌をこのんで、其の志をいふべし。詩は学職にある書生の外は、やむことを得ざるにあらず、天才なくんばつくるべからず。此ことわりを知れる人は、詩をこのんで作らず、作れどもつつみて人にあらはさず。詩を知れる人にわらはれんもくちをし。古人、詩の才なくしてこのんであらはすをば、顔之推が家訓に、論痴符といふ。わがおろかなることを人にほこり、我がはぢをあらはす符なりといふ意なり。詩を知らざらん人に見せば、いふべからず。詩を知れる人是を見ば、此そしりを免れがたかるべし。況やもろこしの作者に、わが国の詩を見せば、おほくは論痴符なるべし。恥づべし。
書き下し
是、わが国の風にあらざればなり。しかれば、我国に生れたる人は、只わが国の名にしおへる和歌をこのんで、其の志をいふべし。詩は学職にある書生の外は、やむことを得ざるにあらず、天才なくんばつくるべからず。此ことわりを知れる人は、詩をこのんで作らず、作れどもつつみて人にあらはさず。詩を知れる人にわらはれんもくちをし。古人、詩の才なくしてこのんであらはすをば、顔之推が家訓に、論痴符といふ。わがおろかなることを人にほこり、我がはぢをあらはす符なりといふ意なり。詩を知らざらん人に見せば、いふべからず。詩を知れる人是を見ば、此そしりを免れがたかるべし。況やもろこしの作者に、わが国の詩を見せば、おほくは論痴符なるべし。恥づべし。
現代語訳
これは、詩がわが国の風ではないからです。ですから、わが国に生まれた人は、ただわが国の名を負う和歌を好んで、その志を述べるのがよいのです。詩は、学問を職とする書生のほかは、やむをえないものではありませんから、天分がなければ作るべきではありません。この道理を知っている人は、詩を好んで作ることはせず、作っても包み隠して人に見せません。詩を知る人に笑われるのも残念なことです。昔の人は、詩の才がないのに好んで人に見せることを、顔之推が『顔氏家訓』で「論癡符」と呼んでいます。自分の愚かさを人に誇り、自分の恥をさらす札だという意味です。詩を知らない人に見せるのなら、とやかく言うこともありません。しかし詩を知る人がこれを見れば、このそしりを免れがたいでしょう。まして中国の作者にわが国の詩を見せたなら、多くは論癡符となるでしょう。恥ずべきことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第八章 名譽・新井白石と小蛇の創史上、哀事多し。されど未だ人類の母エバが、騒立つ胸、戦く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み与ふる無花果の葉を綴るの光景の如く哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は、人間に固着して離るべからず。裁縫の技の如何に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。新井白石の年少うして苦学するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤学の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辞し、『昔、霊潭に小蛇棲めり。人あり小刀を抜き、其腮に微傷を負はしむるや、たちまち丈余の大蛇と化して斃れ、頭上に尺余の創痕を有したりと云ふ。富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり。されど後来、我れ家を興し、名を成さんには、其創ことに大なるものあらん。
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『武士道』第八章 名譽・恥を知るは諸徳の原たとひ微小なりとも、創を蒙らんことは我が願ふ所にあらず』と。白石の既に少年の日に当り、いやしくも節を屈し、恥を負ふの事を甘んじ、以て畢生の大創を蒙り、敢て其天分を壊り、品性を害することを肯ぜざりしもの、実に士たるの本懐を吐露して違はざりしものと謂ふべし。孟子が『羞悪の心は義の端なり』と教へてより後、二千年にして、カーライルは殆ど同義の弁をなして曰へり。『恥を知るは、諸徳の原、良容善行の根なり』と。武士は恥を恐るること甚だしきものありき。我国文学は、シェイクスピアがノーフォークの口に上ぼせたるが如き雄弁なる詞句を有せざれど、なお恥を恐るるの念は、武士の頭上に懸れるダモクレスの剣なりき。然り、恥を恐るるは大に可なり。されど其の過ぐるや、往々病的なる性質を帯ぶることなきにあらず。
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『呻吟語』内篇・修身・邪僻を蹈めば肆志抗額邪僻を蹈めば、則ち志を肆にし額を抗げて略ぼ顧忌する所無し。義禮に由れば、則ち頭を羞ぢ面を愧ぢて以て自ら容るる無きが若し。此れ愚不肖の恒態にして、士君子の大恥なり。
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