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文武訓 / 文訓上之末

一和歌は、いにしへ、賤者といへどこれを詠んで、心をかよはしけり。今は世くだりぬれば、只堂上のもてあそびとなりて、地下人、殊にかたゐなかには、此風をつたへがたし。都の人だに、堂上の傳を得ることかたし。ゐなかの人は、彌遠くして及びがたし。故にわが日の本の内にても、堂上は遠くして、和歌をつたへて知りがたし。况や詩は、はるかなるもろこしの風俗にて、わが國のことばにあらざれば、和歌の道堂上にあるよりも、いよいよ遠くして、其道に通じがたし。地下の人、又遠きゐなかの人の歌をよむは、堂上の詠に及ばずといへども、其こゝろことばかなへる事多し。是、わが國のことばなればなり。わがくにの詩は、身を終るまでもはら是に心を用ふる人にあらずんば、もろこしの下賤にも及びがたかるべし。

新字:一和歌は、いにしへ、賤者といへどこれを詠んで、心をかよはしけり。今は世くだりぬれば、只堂上のもてあそびとなりて、地下人、殊にかたゐなかには、此風をつたへがたし。都の人だに、堂上の伝を得ることかたし。ゐなかの人は、弥遠くして及びがたし。故にわが日の本の内にても、堂上は遠くして、和歌をつたへて知りがたし。況や詩は、はるかなるもろこしの風俗にて、わが国のことばにあらざれば、和歌の道堂上にあるよりも、いよいよ遠くして、其道に通じがたし。地下の人、又遠きゐなかの人の歌をよむは、堂上の詠に及ばずといへども、其こゝろことばかなへる事多し。是、わが国のことばなればなり。わがくにの詩は、身を終るまでもはら是に心を用ふる人にあらずんば、もろこしの下賤にも及びがたかるべし。

書き下し

一和歌は、いにしへ、賤者といへどこれを詠んで、心をかよはしけり。今は世くだりぬれば、只堂上のもてあそびとなりて、地下人、殊にかたゐなかには、此風をつたへがたし。都の人だに、堂上の伝を得ることかたし。ゐなかの人は、弥遠くして及びがたし。故にわが日の本の内にても、堂上は遠くして、和歌をつたへて知りがたし。況や詩は、はるかなるもろこしの風俗にて、わが国のことばにあらざれば、和歌の道堂上にあるよりも、いよいよ遠くして、其道に通じがたし。地下の人、又遠きゐなかの人の歌をよむは、堂上の詠に及ばずといへども、其こころことばかなへる事多し。是、わが国のことばなればなり。わがくにの詩は、身を終るまでもはら是に心を用ふる人にあらずんば、もろこしの下賤にも及びがたかるべし。

現代語訳

和歌は、昔は身分の低い者であってもこれを詠んで、心を通わせていました。今は世が下ったので、和歌はただ堂上(公家)のもてあそびとなり、地下の人、とりわけ片田舎では、この風を伝えにくくなっています。都の人でさえ、堂上の伝授を得るのは難しいのです。田舎の人はいっそう遠くて及びがたいものです。ですから、わが日本の内でさえ、堂上は遠く、和歌を伝えて知ることは難しいのです。まして詩は、はるかな中国の風俗であって、わが国の言葉ではありませんから、和歌の道が堂上にあるよりもいっそう遠く、その道に通じることは難しいのです。地下の人や遠い田舎の人が詠む歌は、堂上の詠みぶりには及ばないとはいえ、その心と言葉がかなっていることが多いものです。これは、わが国の言葉だからです。わが国の詩は、一生のあいだもっぱらこれに心を用いる人でなければ、中国の身分の低い者の詩にも及びがたいでしょう。

解説

和歌と漢詩を比べ、自国の言葉で詠む和歌のほうが、身分や住む場所にかかわらず心と言葉がかないやすいと説いています。益軒は朱子学者として漢籍に深く通じながら、日本人が無理に漢詩を作ることには一貫して慎重でした。文武訓の文訓は学問・和歌・詩文の心得を述べた部分で、没後の1716年に刊行されました。借り物の言葉より自分の言葉のほうが思いは伝わるという指摘は、外来の流行語や専門用語で飾りがちな今の文章や会議の言葉づかいにもそのまま通じます。

この章句が説くこと

和歌詩言葉風俗文武訓

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