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文武訓 / 文訓上

一もろこしのひじりの說き給へる、四書五經のをしへは、わが日本の人、其文字もことばも目なれず聞きなれず。况や其道理いたりてふかくして通じがたけれど、それだに、わが輩のつたなき才にても、つとめならひて後は、すこぶる其理のかたはしに通ず。いはんや、やまと歌は、わが國のことばなれば、そのことば詠みやすく、其こゝろ知りやすし。是をまなばば、心をやはらげたのしましめて、性情をやしなふ助けともなりなん。わが國いにしへより、和歌を以て、好色のなかだちとせし風俗あり。わが國のならはしなりとて、惡しきことはまなぶべからず。歌は心をやしなふ道なり。心をやしなふ道を以て、好色の媒として、心をそこなふことなかれ。戀とは人をおもひ慕ふをいふ。親をしたひ子をおもふをはじめて、情ふかければ思ふことせちなり。是戀にあらずや。

新字:一もろこしのひじりの説き給へる、四書五経のをしへは、わが日本の人、其文字もことばも目なれず聞きなれず。況や其道理いたりてふかくして通じがたけれど、それだに、わが輩のつたなき才にても、つとめならひて後は、すこぶる其理のかたはしに通ず。いはんや、やまと歌は、わが国のことばなれば、そのことば詠みやすく、其こゝろ知りやすし。是をまなばば、心をやはらげたのしましめて、性情をやしなふ助けともなりなん。わが国いにしへより、和歌を以て、好色のなかだちとせし風俗あり。わが国のならはしなりとて、悪しきことはまなぶべからず。歌は心をやしなふ道なり。心をやしなふ道を以て、好色の媒として、心をそこなふことなかれ。恋とは人をおもひ慕ふをいふ。親をしたひ子をおもふをはじめて、情ふかければ思ふことせちなり。是恋にあらずや。

書き下し

一もろこしのひじりの説き給へる、四書五経のをしへは、わが日本の人、其文字もことばも目なれず聞きなれず。況や其道理いたりてふかくして通じがたけれど、それだに、わが輩のつたなき才にても、つとめならひて後は、すこぶる其理のかたはしに通ず。いはんや、やまと歌は、わが国のことばなれば、そのことば詠みやすく、其こころ知りやすし。是をまなばば、心をやはらげたのしましめて、性情をやしなふ助けともなりなん。わが国いにしへより、和歌を以て、好色のなかだちとせし風俗あり。わが国のならはしなりとて、悪しきことはまなぶべからず。歌は心をやしなふ道なり。心をやしなふ道を以て、好色の媒として、心をそこなふことなかれ。恋とは人をおもひ慕ふをいふ。親をしたひ子をおもふをはじめて、情ふかければ思ふことせちなり。是恋にあらずや。

現代語訳

一、中国の聖人が説かれた四書五経の教えは、日本の人にとっては、その文字も言葉も見慣れず聞き慣れません。まして、その道理はきわめて深くて通じにくいのですが、それでさえ、私たちのつたない才能でも、つとめて習った後は、いくらかその道理の一端に通じます。まして大和歌はわが国の言葉ですから、その言葉は詠みやすく、その心も知りやすいのです。これを学べば、心をやわらげ楽しませて、性情を養う助けにもなるでしょう。わが国には昔から、和歌を色恋のなかだちとする風俗があります。わが国の習わしだからといって、悪いことを学んではいけません。歌は心を養う道です。心を養う道を色恋のなかだちとして、心を損なってはいけません。恋とは人を思い慕うことを言います。親を慕い子を思うことをはじめとして、情が深ければ思うことは切実になります。これも恋ではないでしょうか。

解説

難解な四書五経でさえ努力で通じるのだから、自国の言葉である和歌はなおさら学びやすく、性情を養う助けになると説きます。そのうえで和歌を色恋のなかだちとする風潮を戒め、「恋」を親を慕い子を思う心にまで広げて読み替えているのが面白いところです。益軒は情そのものを否定せず、正しい方向に向ければ人を育てると考えました。言葉や芸術を何のために使うかを問う視点は、表現があふれる今の時代にも大切です。

この章句が説くこと

和歌心性情恋孝

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