文武訓 / 文訓上
文學をつとめずして時をうしなふ人は、一生をむなしく過して身ををはる、をしむべし。藝なければ人事にうとし。一生の間事缺くること多し。わかき時つとめて知るべし。凡はじめにつとむれば、後に樂多し。わかき時まなばざれば、老いて悔ゆれども益なし。智ある人は、一紙のふみを讀みても益あり、やがて用にかなふ。愚なれば、百千卷を讀んでも用なし。益にたゝずしてをはる。こゝを以て、わがごとき輩は、寶の山に入りても、手を空しくしてかへりぬ。書をみる人も、崑山に入らば、たからをもとめ得てかへるはかりごとをなすべし。是、書をよむ人の必ず心得べき事なり。しかれども、近年は又、四書五經を讀まずして、假名がきわづかなる書をよみ、文盲なる師の、わづかなる敎をきゝて、道を得たりとて、人にたかぶりほこりて、數十年經傳を見たる學者をもないがしろにす。
新字:文学をつとめずして時をうしなふ人は、一生をむなしく過して身ををはる、をしむべし。芸なければ人事にうとし。一生の間事欠くること多し。わかき時つとめて知るべし。凡はじめにつとむれば、後に楽多し。わかき時まなばざれば、老いて悔ゆれども益なし。智ある人は、一紙のふみを読みても益あり、やがて用にかなふ。愚なれば、百千巻を読んでも用なし。益にたゝずしてをはる。こゝを以て、わがごとき輩は、宝の山に入りても、手を空しくしてかへりぬ。書をみる人も、崑山に入らば、たからをもとめ得てかへるはかりごとをなすべし。是、書をよむ人の必ず心得べき事なり。しかれども、近年は又、四書五経を読まずして、仮名がきわづかなる書をよみ、文盲なる師の、わづかなる教をきゝて、道を得たりとて、人にたかぶりほこりて、数十年経伝を見たる学者をもないがしろにす。
書き下し
文学をつとめずして時をうしなふ人は、一生をむなしく過して身ををはる、をしむべし。芸なければ人事にうとし。一生の間事欠くること多し。わかき時つとめて知るべし。凡はじめにつとむれば、後に楽多し。わかき時まなばざれば、老いて悔ゆれども益なし。智ある人は、一紙のふみを読みても益あり、やがて用にかなふ。愚なれば、百千巻を読んでも用なし。益にたたずしてをはる。ここを以て、わがごとき輩は、宝の山に入りても、手を空しくしてかへりぬ。書をみる人も、崑山に入らば、たからをもとめ得てかへるはかりごとをなすべし。是、書をよむ人の必ず心得べき事なり。しかれども、近年は又、四書五経を読まずして、仮名がきわづかなる書をよみ、文盲なる師の、わづかなる教をききて、道を得たりとて、人にたかぶりほこりて、数十年経伝を見たる学者をもないがしろにす。
現代語訳
文学をつとめずに時を失う人は、一生をむなしく過ごして身を終えます。惜しいことです。芸がなければ人の世の事にうとくなります。一生の間、事欠くことが多いでしょう。若い時につとめて知るべきです。およそ初めにつとめれば、後に楽しみが多いものです。若い時に学ばなければ、老いて悔いても益はありません。智のある人は、一枚の文を読んでも益があり、すぐに用にかないます。愚かであれば、百巻千巻を読んでも用をなしません。役に立たずに終わります。こういうわけで、私のような者は、宝の山に入っても手をむなしくして帰ってきました。書を読む人も、崑崙山に入ったならば、宝を求め得て帰るはかりごとをすべきです。これが書を読む人の必ず心得るべきことです。しかしながら近年はまた、四書五経を読まずに、仮名書きのわずかな書を読み、文盲な師のわずかな教えを聞いて、道を得たと思い、人に高ぶり誇って、数十年も経伝を見てきた学者までもないがしろにする者がいます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』下卷之本体充曰、学問の名は一つにて、左様におほちがひの御座候仔細はいかに。師の曰、正真の学問は、私をすて義理をもつばらとし、自満の心なき様にたしなむを、工夫のまなことし、親には孝行を尽し、主君に忠節をいたし、兄弟の間は悌恵をきはめ、友だちの交りはいつはりなくたのもしく、五典を第一の勤めとする故に、おほくしてよくとり入ほど、心だて行儀よくなりゆけり、うはの空に少し学びてとり入なければ、用に立がたし、にせの学問は博学のほまれを専としまされる人をねたみ、おのれの名を高くせんとのみ、高慢の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすらに記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、多くする程心だて行儀あしくなれり、聖賢より下の生れつきに高慢の邪心なき人はなし、天下の悪逆無道をなし、或はきちがひ或は異相になる人、みな此慢心のなす業なり。この自満の邪心が魔境畜生道へおちいる道すじなり、といましめ恐るべき事なり然るを贋の学問には此満心をかさむたよりはおほく、すつる工夫は心がけざれば、覚えず邪路にいる事あきらめ易し。
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『驢鞍橋』卷下午の五月十七日、一庵に示して曰く、学文計して機をへらさずとも、心の强く成る位を仕習ふべし。その賢人は何とし、此の聖人は何と有りと、人の上を取て、我鼻に上けたりとも、何の用にも立つべからず。結句是れを以て人を賤めて居る物也。誠に今迄学して好き人を一人も見す、学した程の者は皆悪き也。兎角今の分になし行かば、其方も三十迄はいきぬずと也。因に去る人曰く、誠に学文は詮なき物也。儒者何某あれほと広学なれども、次第に欲深く成ると申す也。師曰く、次第に機沈み行く間、欲も深からてば、强い機ならてば切端なし。沈みたる機著、離れかたかるべし。一庵も兎角命は惜しかるべしと也。
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『都鄙問答』卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段答、学問に因て難義ありとは、如何なる事ぞや。曰、学問をさせ候者ども、十人が七八人も、商売農業を疎略にし、且帯刀を望、我をたかぶり、他の人を見下し、親にも面前の不孝はいたさねども、事によりて、親をも文盲に思やうなる顔色見ゆ。然れども他人の聞悪き様に、反り返答せぬことは、学問の徳かと思へども、親には黙然と、だまり居る者ぞと云やうなる顔つき見へ、又少しにても、学問致たる者なれば、親達も遠慮せらるゝ体に相見へ申候。夫ゆへ手前の忰も、若し左様に成候へば、迷惑に存じ、得登せ申さず候。如何いたし然るべく候や。
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『初学訓』巻之三われに如何なる才能善行ありとも、ほこりかがやかすべからず。ほこれば、其才能をも善行をも失ひて、人ににくまれそしられ、禍あり。我身に自満して、みづから誇り人を譏れば、善に遷りがたし。故に、悪日々に長じて、不善に進むことかぎりなし。是天下の悪事なり。学問せんと思はば、初より、先此矜の字をいましめ去るべし。是第一の事なり。もし、是を去らざれば、学問しても、益なきのみならず、かへつて害あり。才力の進むにしたがひて、己にほこるゆゑ、悪弥長ず、学ばざるに如かず。学問すれば人の心あしくなるとて、俗人の学問を嫌ふは此故なり。師は、是を以て弟子をいましめ、初より、矜ることあらば許すべからず。弟子は、是を以てみづから誠め、みづから恕すべからず。
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段一度我に疑ひ晴るることありて、後に味はふべき所なり。然るに今の世の人、文字に泥み、色々に作為するゆへに、昏々然と闇く、古人の心を知らざるゆへに、和漢ともに、文学他に勝れば、此れを徳と思ひ、我を伐る者多し。文学に伐る者を喩へて云はば、衆人の財宝をたくらべて、彼は劣れり、我は勝れりと伐るに同じ。学者に於ては、恥づべきことの第一なり。如何となれば、財宝も、かせぎ設けて吝くすれば溜る者なり。文字も其の如く、年を重ねて油断なく学べば、他より勝れる者なり。其の中に記憶能くして多く記すは、衆人の中に、仕合せ能く富めるが如し。又学者も、文字を読むのみにては、聖人の意味、神書の奥深き所知らるべきに非ず。然るに文字を滞りなく読めば、此の外も有るまじと思ふべきが、
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『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
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