武教小学 / 序
大農大工大商爲天下之三寶。士無農工商之業。而所以爲三民之長者。無他。能修身正心。而治國平天下也。然世遠人亡。鄕無善俗。世乏誠敎。故或短衣蓬跣。而以怒臂按劍爲俗。或深衣非服。而以記誦詩章爲敎。其過不及甚可歎息乎。有宋晦菴述作小學。而人生自八歲迨十四歲。敎以灑掃應對進退之節。愛親敬長親友之倫。且以嘉言善行爲終篇。其功偉哉盛哉。然俗殊時變。倭俗之士。所用尤泥着。則居闔國。而慕異域之俗。或學禮義用異風。或爲祭禮用異樣。皆是不究理之誤也。學者爲格物致知。而非爲效異國之俗也。況爲士之道。其俗殆足用異俗乎。習之於幼穉之時。欲其習與智長化。與心成之事者。誠先聖之實也。山鹿先生武敎之垂戒。其敎甚明也。於先生之門。欲學士之道者。必以此敎爲戒。其志何放逸乎。生知之質。上品之士。外樣何足習乎。然俗殘敎弛。則自陷溺異端者。人心之危也。士食君之祿。爲民之長。而其形其行其知不正。則天之賊民也。尤可汙辱之至也。此一篇輯錄而爲梓錄者。殆非先生之志。門弟子等竊蒐集。扁題而號武敎小學。士之浮靡蒙童。敬受此敎者。爲志士仁人之一助乎。玩味而勿忽矣。明曆丙申八月。門弟子等謹序題。
新字:大農大工大商為天下之三宝。士無農工商之業。而所以為三民之長者。無他。能修身正心。而治国平天下也。然世遠人亡。郷無善俗。世乏誠教。故或短衣蓬跣。而以怒臂按剣為俗。或深衣非服。而以記誦詩章為教。其過不及甚可嘆息乎。有宋晦菴述作小学。而人生自八歳迨十四歳。教以灑掃応対進退之節。愛親敬長親友之倫。且以嘉言善行為終篇。其功偉哉盛哉。然俗殊時変。倭俗之士。所用尤泥着。則居闔国。而慕異域之俗。或学礼義用異風。或為祭礼用異様。皆是不究理之誤也。学者為格物致知。而非為効異国之俗也。況為士之道。其俗殆足用異俗乎。習之於幼穉之時。欲其習与智長化。与心成之事者。誠先聖之実也。山鹿先生武教之垂戒。其教甚明也。於先生之門。欲学士之道者。必以此教為戒。其志何放逸乎。生知之質。上品之士。外様何足習乎。然俗残教弛。則自陥溺異端者。人心之危也。士食君之禄。為民之長。而其形其行其知不正。則天之賊民也。尤可汚辱之至也。此一篇輯録而為梓録者。殆非先生之志。門弟子等窃蒐集。扁題而号武教小学。士之浮靡蒙童。敬受此教者。為志士仁人之一助乎。玩味而勿忽矣。明暦丙申八月。門弟子等謹序題。
書き下し
大農・大工・大商は天下の三宝たり。士は農工商の業無くして、三民の長たる所以の者は、他無し。能く身を修め心を正して、国を治め天下を平らかにするなり。然れども世遠く人亡び、郷に善俗無く、世に誠教に乏し。故に或いは短衣蓬跣にして、怒臂按剣を以て俗と為し、或いは深衣服に非ずして、記誦詩章を以て教えと為す。其の過不及甚だ歎息すべきかな。有宋の晦菴小学を述作し、人生八歳より十四歳に迨ぶまで、教うるに灑掃応対進退の節、親を愛し長を敬い親友の倫を以てし、且つ嘉言善行を以て終篇と為す。其の功偉なるかな盛んなるかな。然れども俗殊に時変じ、倭俗の士、用うる所尤も泥着す。則ち闔国に居りて、異域の俗を慕い、或いは礼義を学びて異風を用い、或いは祭礼を為して異様を用う。皆是れ理を究めざるの誤りなり。学者は格物致知を為して、異国の俗に効うを為すに非ざるなり。況んや士為るの道、其の俗殆ど異俗を用うるに足らんや。之を幼穉の時に習い、其の習いと智と長じ、化と心と成らんと欲する事は、誠に先聖の実なり。山鹿先生武教の垂戒、其の教え甚だ明らかなり。先生の門に於いて、士の道を学ばんと欲する者は、必ず此の教えを以て戒めと為さん。其の志何ぞ放逸ならんや。生知の質、上品の士は、外様何ぞ習うに足らんや。然れども俗残い教え弛めば、則ち自ら異端に陥溺する者は、人心の危うきなり。士は君の禄を食み、民の長たり。而して其の形、其の行、其の知正しからざれば、則ち天の賊民なり。尤も汚辱すべきの至りなり。此の一篇輯録して梓録を為す者は、殆ど先生の志に非ず。門弟子等窃かに蒐集し、扁題して武教小学と号す。士の浮靡蒙童、敬みて此の教えを受くる者は、志士仁人の一助と為らんか。玩味して忽せにする勿かれ。明暦丙申八月、門弟子等謹んで序題す。
現代語訳
大農・大工・大商は天下の三つの宝です。士には農工商のような生業がありませんが、それでも三民の長となる理由は他でもありません。身を修め心を正して、国を治め天下を平らかにできるからです。ところが時代は遠ざかって人も亡くなり、郷里には良い風俗がなく、世には誠実な教えが乏しくなりました。そのため、短い衣に素足で、腕を振り上げ剣に手をかけることを風俗とする者がいるかと思えば、深衣を着る場でもないのに、詩文を暗誦することを教えとする者もいます。その過不足は、大いに嘆かわしいことです。宋の朱子は『小学』を著し、人が八歳から十四歳になるまで、掃除や応対や立ち居振る舞いの作法、親を愛し年長者を敬い友と交わる道を教え、最後に善い言葉と行いを載せて結びました。その功績は偉大で盛んなものです。しかし風俗は違い、時代も変わりました。日本の士は、その用い方がとりわけ形にこだわりすぎます。国じゅうに住みながら外国の風俗を慕い、礼義を学ぶのに異国の風を用い、祭りの礼を行うのに異国の様式を用います。これはみな道理を究めないことによる誤りです。学ぶ者は物事の理を窮めて知を尽くすためにこそ学ぶのであって、異国の風俗をまねるために学ぶのではありません。まして士の道は、異国の風俗を用いるほどのものでしょうか。幼いころにこれを習い、習いが知とともに伸び、教化が心とともに定まるようにしたいというのは、まことに昔の聖人の実際のやり方です。山鹿先生が武の教えとして残された戒めは、その教えがきわめて明らかです。先生の門下で士の道を学ぼうとする者は、必ずこの教えを戒めとするでしょう。その志がどうして気ままに流れることがありましょう。生まれながらに知る資質をもつ上品の士なら、外から習うべきものなどありません。それでも風俗が衰え教えが緩めば、自分から異端に溺れる者が出てきます。これは人の心の危うさです。士は主君の禄を食み、民の長です。それなのに姿も行いも知も正しくなければ、天に背く賊民です。これほど汚辱とすべきことはありません。この一篇を集め録して版にするのは、先生の志ではおそらくありません。門弟子たちがひそかに集め、題を付けて『武教小学』と名づけました。浮ついた風に流れる若者や子どもが、慎んでこの教えを受ければ、志士仁人となる助けになるでしょう。よく味わって、おろそかにしないでください。明暦二年(丙申)八月、門弟子たちが謹んで序の題を記します。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心上 第三十三章此の二章を熟読すれば、平士の心得は知るべきのみ。蓋し農は耕し、工は家宅器皿を製し、商は有無を交易す、各々其の職ありて国に益あり。士の仕ふる者、家老は家老の職あり、奉行は奉行の職あり、番頭は番頭の職あり、物頭は物頭の職あり、治民の職あり、理財の職あり、亦皆各々事とする所あり。独り平士は上にしては未だ仕ふるの職あらず、下にしては又農工商の職あることなし、頗る素餐に似たり。然れども大いに然らず。其の身は仁に居り、其の行ひは義に由り、其の君之を用ゐれば、固より其の国をして安富尊栄ならしめ、又其の君用ゐずと云へども、其の子弟是れに従遊すれば、子は孝子となり、弟は悌弟と成り、人の交はりは忠信となるなり。故に平士の職は一身の修治を本とし、一世の風俗を以て己が任となすべし。然らば其の素餐せざるの功、豈に農工商の比すべきならんや。乃ち公卿大夫と云へども、亦是れに外なること能はず。武教小学の序に、「大農・大工・大商、天下の三宝と為す。士は農工商の業なくして、三民の長たる所以の者は、他なし、能く身を修め心を正しうして、国を治め天下を平らかにすればなり」と云へり。此の二章と吻合す。又上の第九章独善の義と合せ考ふべし。
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『山鹿語類』士道・知己職分人の教にしたがひ、当坐の心にまかせんことは、譬ば暫く其事をなすといへども、実と難成。今云らん処に深く立志て自我職分を糾明し得んには、士たる職こゝに明なるべきなり。凡そ士の職と云は、其身を顧み、主人を得て奉公の忠を尽し、朋輩に交て信を厚くし、身の独りを慎て義を専とするにあり。而して己れが身に父子兄弟夫婦の不得已交接あり。是又天下の万民各なくんば不可有の人倫也といへども、農工商は其職業に暇あらざるを以て、常住相従て其道を不得尽。士は農工商の業をさし置き、此道を専として、三民の間苟くも人倫をみだらん輩をば速に罰して、以て天下に天倫の正しきを待つ。是士に文武之徳知不備ばあるべからず。されば形には劒戟弓馬の用をたらしめ、内には君臣朋友父子兄弟夫婦の道をつとめて、文道心にたり武備外に調て、三民自ら是を師とし是を貴んで、其教にしたがひ其本末をしるにたれり。こゝにをいて士の道たつて、衣食居をつくのい、以て心易かるべく、主君の恩、父母の恵、しばらく報ずるにたりぬべし。此つとめあらざらんには、父母のめぐみを盗、主君の禄を貪て、一生の間唯盗賊の命を全くするに同じ。甚以て嘆息するにたへたり。
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『武教小学』子孫敎戒(二)是れ古の法なり。)然れども或いは記誦に陥り、或いは詞章を玩べば、則ち倭俗を忘れて漢様を欲す。(婚冠喪祭衣服言語、必ず漢俗に模せんと欲するは、是れ泥着の致す所なり。)明道曰く、凡百の玩好は皆志を奪う。書札に至るまで、好に向かいて着すれば、亦自ら志を喪う、云云、と。人に気稟の異有り。故に其の軽重清濁を考え、習い馴れしむ。言語已に通ずれば、則ち師を選び友を考え、人品の下に到らしむること勿れ。(康節邵先生、子孫を戒めて曰く、上品の人は、教えずして善し。中品の人は、教えて後に善し。下品の人は、教えても亦善からず。教えずして善きは、聖に非ずして何ぞ。教えて後に善きは、賢に非ずして何ぞ。教えても亦善からざるは、愚に非ずして何ぞ、と。)師弟の相接するは、尤も敬恭す可し。兵書武冊は、汚席に置く可からず。盥漱して之を披く。師を貴ぶこと父兄の如くす。(父兄は、天然の序なり。師は我を導き、道義に到らしめ、五倫の明らかなるを知らしむ。其の恩情至って厚し。豈に忽にするが如くならん平。我士と為りて、武書武事を軽んずる者は、志士に非ざるなり。)凡そ女子の教戒は、甚だ以て慎む可し。其の法多く儒弱を以て教えと為す。大いに誤りなり。士の妻室たる者は、士常に朝に在りて、内を知らず。故に夫に代わりて家業を戒む。豈に儒弱を以てせん平。夫れ男は内を知らず、女は外を言わず。宮室の為に内外を弁ず。(内則に曰く、礼は夫婦に始まる。宮室の為に内外を弁ず、云云。)男女の為に椸枷を同じくせず、敢えて夫の楎椸に懸けず。舅姑の道を能くす。(皆内則の言也。
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『武教小学』子孫敎戒(一)子孫の恩情は、天道の自然、血脈相続の成す所なり。人倫の厚き、何事か之に及ばん平。我が身既に没して、嗣子放僻なれば、則ち家絶え身滅ぶ。何を以て恩愛の甚しきに、教戒を垂れざる事あらん哉。士は、大丈夫を以て勇と為す。愛恵の切なるに於いて、信勇之を戒めざれば、則ち志士仁人に非ず。(孟子曰く、富貴も淫すること能わず。貧賤も移すこと能わず。威武も屈すること能わず。此を之れ大丈夫と謂う。)凡そ幼稚の間は、気の稟くる所、唯だ天然にして、心知未だ主とする所有らず。其の習い日に長じ月に益し、善悪の機する所、甚だ慎む可し。張横渠曰く、今の世の男女、幼より便ち驕惰懐了し、長ずるに到りて益々凶狠なり、と。又曰く、子を愛して教えざるを、驕子と曰う、と。士の子孫を教戒するは、其の知を正しくし、其の機を勇ましくし、其の事を信にす。(曲礼に曰く、幼子には常に視て誑くこと勿れ。立つに必ず方を正しくし、傾き聴かず。云云。)故に知の発するに於いて、邪正を考え、邪を戒め正を揚げ勇を養いて、之を恐れ威さしめず。少事と雖も、詐偽を以てせず、戯遊には必ず弓矢竹馬の礼を以てし、言語は皆武義礼譲の節を以てす。其の精気を全うし、情欲を寡なからしめ、教うるに文学を以てす。(論語曰く、仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞。剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。云云。凡そ幼稚精気全備の節は、先ず学を以て先聖の格言を覚えしむ。
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『武教小学』燕居伝に曰く、仕官の途は、四十に至りて強仕の年と為す。(内則に曰く、三十にして室有り、四十にして始めて仕う。方に物に出でて謀を出し慮を発し、道合えば則ち服従し、不可なれば則ち去る。注に曰く、四十を強と曰う、と。)凡そ子孫の量を考うるに、弱冠為りと雖も、(二十にして冠す。始めて礼を学ぶ。)官途を経しむべし。(此の章は書道の言に拘らず、唯其の器に依りて、遅速有るべきの義なり。)士は君に仕うと雖も、閑暇多し。(其の役職の閑暇有るなり。)或いは不幸にして未だ君に仕えず、或いは父母早く没し及び遠く離れて、朝夕の勤仕を得ず、燕居休暇の日多ければ、則ち其の志怠りて家業を慎まず、殆ど禽獣に類す。(孟子曰く、人の道有るや、飽食暖衣逸居して教え無ければ、則ち禽獣に近し、と。)大学に曰く、小人閑居して不善を為し、至らざる所無し、云々、と。故に閑居の士には、教戒無かるべからず。先ず夙に起きて盥漱櫛し、(体認の事は前章の如し。)出でて坐し、諸士に謁し、賓客に対し、庭前にて馬を見、及び馬に乗る。(御は六芸の一にして、馬は士の足なり。馬を御するの法を知らざれば、則ち軍戦の用に達する無し。故に古人之を重んず。師嘗て曰く、馬を相するの法、好むに道を以てせず、唯人の目を好喜して、士の用法を知らず。尤も慎むべきなり、と。)速やかに食す。(辰の上刻を朝飯の時と為すなり。)盥漱して後、或いは剣術、或いは弓射の礼、或いは鉄炮、或いは鑓、皆骨節を矯め、進退の法を正すなり。故に師の許に到り、又師を招請して、更に懈るべからず。久しく怠れば、則ち手足自由ならず、骨節相応ぜずして、身軽からず、体馴れずして、士の業必ず闕く。猶お暇あれば、則ち書を披きて武義を論じ、兵法を講じ、士器を閲す。(士の器とは、士の用うべき雑器なり。師且つ曰く、兵器の用完備すと雖も、収蔵して常に試みざれば、其の職司を置くと雖も必ず怠り、久しければ則ち腐敗す。或いは外は好くして内は蠹い、或いは損多くして用足らず。故に武将の古は、坐席賓客の用、之を粧飾するに皆武器を以てして、玩器を以てせず。是れ其の用を先覚に尊び、其の利を師友に問い、或いは捨て或いは用いて、其の実を尽くすと為すなり、と。)士の志斯くの如くなれば、則ち其の気専らにして他に之かず、放僻邪侈の意、発する所無し。故に孟子曰く、人恒産無ければ、則ち恒心無し、と。(産とは産業なり。四民各々恒の産業有り。若し産業を失えば、則ち恒心放逸して、放僻邪侈の心満ち溢るるなり。)
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『山鹿語類』士道・知己職分師嘗曰。凡天地の間、二気の妙合を以人物の生々を遂ぐ。人は万物の霊にして、万物人に至て尽く。こゝに生々無息の人或は耕して食をいとなみ、或はたくみて器物を作り、或は互に交易利潤せしめて、天下の用をたらしむ。是農工商不得已して相起れり。而して士は不耕してくらひ、不造して用ひ、不売買して利する、その故何事ぞや。我今日此身を顧るに、父祖代々弓馬の家に生れ、朝廷奉公の身たり。彼の不耕不造不賈して士たり。士として其職分なくんば不可有。職分あらずして食用足しめんことは、遊民と可云。一向心を付て我身に付て詳に省りみ考ふべし。
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