武事提要 / 武敎之本源・士は三民の長、逆乱を治める役
恭惟、爲武士之人へ敎をなす事、別事にあらず、士は三民の長たらしめ、農工商の業なくして剩三民の長たらしむると、本三民を治め三民を用るを以てなり、依之其治用事疎なれば國用不足、故三民は天下の大寶にして能用れば寶足、惡用國賊となる、勿論三民の內暴逆亂法の輩も有之、則武士是を制戒して鎭之用之の役儀なり、依之一鄕の士は一鄕の逆亂を治め、一郡の士は一郡の逆亂を治、一國の士は一國の逆亂を治、天下の士は天下の逆亂を治也、しかれば士は逆亂を治役にして、士の言行不宜士にあらず、平世義の塲に身をゆだね、三民にをかされずして義を以て不義を正すべきと心にかけ、勤行ときは長久にして三民をさまり、士も亦溫順なり、是士として敎なきは士と云べからず、况武の意にあらず、敎を立は平世の上にありて武士と云、勿論長久たらしむべきの本意也、
新字:恭惟、為武士之人へ教をなす事、別事にあらず、士は三民の長たらしめ、農工商の業なくして剰三民の長たらしむると、本三民を治め三民を用るを以てなり、依之其治用事疎なれば国用不足、故三民は天下の大宝にして能用れば宝足、悪用国賊となる、勿論三民の内暴逆乱法の輩も有之、則武士是を制戒して鎮之用之の役儀なり、依之一郷の士は一郷の逆乱を治め、一郡の士は一郡の逆乱を治、一国の士は一国の逆乱を治、天下の士は天下の逆乱を治也、しかれば士は逆乱を治役にして、士の言行不宜士にあらず、平世義の塲に身をゆだね、三民にをかされずして義を以て不義を正すべきと心にかけ、勤行ときは長久にして三民をさまり、士も亦温順なり、是士として教なきは士と云べからず、況武の意にあらず、教を立は平世の上にありて武士と云、勿論長久たらしむべきの本意也、
書き下し
恭惟、爲武士之人へ敎をなす事、別事にあらず、士は三民の長たらしめ、農工商の業なくして剩三民の長たらしむると、本三民を治め三民を用るを以てなり、依之其治用事疎なれば國用不足、故三民は天下の大寶にして能用れば寶足、惡用國賊となる、勿論三民の內暴逆亂法の輩も有之、則武士是を制戒して鎭之用之の役儀なり、依之一鄕の士は一鄕の逆亂を治め、一郡の士は一郡の逆亂を治、一國の士は一國の逆亂を治、天下の士は天下の逆亂を治也、しかれば士は逆亂を治役にして、士の言行不宜士にあらず、平世義の塲に身をゆだね、三民にをかされずして義を以て不義を正すべきと心にかけ、勤行ときは長久にして三民をさまり、士も亦溫順なり、是士として敎なきは士と云べからず、况武の意にあらず、敎を立は平世の上にありて武士と云、勿論長久たらしむべきの本意也、
現代語訳
謹んで思うに、武士となる人へ教えをなすのは、別のことではありません。士を三民の長とするのは、農工商の業をさせず、そのうえで三民の長とするのですから、もともと三民を治め、三民を用いるためです。それゆえ、その治め用いることが疎かであれば国用が不足します。そのため三民は天下の大宝であり、よく用いれば宝は足り、悪く用いれば国賊となります。もちろん三民のなかにも暴逆・乱法の者がおり、武士がこれを制し戒めて、鎮めて用いるのが役儀です。そのため、一郷の士は一郷の逆乱を治め、一郡の士は一郡の逆乱を治め、一国の士は一国の逆乱を治め、天下の士は天下の逆乱を治めます。したがって士は逆乱を治める役であり、士の言行がよくなければ士ではありません。平世にも義の場に身をゆだね、三民に侵されず、義をもって不義を正そうと心にかけ、勤め行うときは長久であって三民は治まり、士もまた温順になります。これが士として教えがなければ士とは言えない、ということです。まして武の意ではありません。教えを立てるのは平世にあって武士というためで、もちろん長久にさせることが本意です。
解説

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