武教講録 / 燕居・閑居の時間に鍛える三つの務め
小學の書、首篇を綱とす、以下八篇大氏其目なり、而して此篇特に首篇中より燕居の士を抜出して詳に是を論ず、八篇中に在ては又其要たり、凡そ武士一日の事、諸士に謁し賓客に對するの外、武藝を習ひ、武義を論じ、武器を閲するの三事に過さず、武士誠に此三事を以て日々の常職とせば、武士たらざらんと欲すと雖ども得べからず、其才不才智不智に至ては强て論ずるに足らず、抑余仰で今公の政敎を察するに、一號一令悉く此三事に非るはなし、就中、學政更張、武備修理の擧に至ては、其旨最も昭々にして、闔藩の士孰か是を知らざらん、然るに尙或は閑居の士ありて往々不善を爲し、政敎を害し、罪戾に陷る者あり、實に慙懼に堪ざる事共なり、是人々自ら省察悛改せずんば明君に負くも亦甚しからずや、三事中武藝を習ふは技藝を功にして名譽を求むるに非ず、手足を自由にし、骨節を便利にし、身輕く體馴て、只今にても戰塲に臨み、刺擊の接戰に差支るとなき如く、夜白に修鍊するとなり、今世の武藝は一種遊戲の花法となる者多し、身を戰塲に置て瞑目工夫するに非ずんば、何ぞ其遊戲たるを知らんや、武義を論ずるは固より書を拔て講讀すると也、然ども、讀書の弊最も多し、或は異俗を慕ひ、或は時勢に阿り、或は浮華に趨り、或は文柔に流るゝの類枚擧に堪へず、
新字:小学の書、首篇を綱とす、以下八篇大氏其目なり、而して此篇特に首篇中より燕居の士を抜出して詳に是を論ず、八篇中に在ては又其要たり、凡そ武士一日の事、諸士に謁し賓客に対するの外、武芸を習ひ、武義を論じ、武器を閲するの三事に過さず、武士誠に此三事を以て日々の常職とせば、武士たらざらんと欲すと雖ども得べからず、其才不才智不智に至ては強て論ずるに足らず、抑余仰で今公の政教を察するに、一号一令悉く此三事に非るはなし、就中、学政更張、武備修理の挙に至ては、其旨最も昭々にして、闔藩の士孰か是を知らざらん、然るに尚或は閑居の士ありて往々不善を為し、政教を害し、罪戻に陥る者あり、実に慚懼に堪ざる事共なり、是人々自ら省察悛改せずんば明君に負くも亦甚しからずや、三事中武芸を習ふは技芸を功にして名誉を求むるに非ず、手足を自由にし、骨節を便利にし、身軽く体馴て、只今にても戦塲に臨み、刺撃の接戦に差支るとなき如く、夜白に修錬するとなり、今世の武芸は一種遊戯の花法となる者多し、身を戦塲に置て瞑目工夫するに非ずんば、何ぞ其遊戯たるを知らんや、武義を論ずるは固より書を抜て講読すると也、然ども、読書の弊最も多し、或は異俗を慕ひ、或は時勢に阿り、或は浮華に趨り、或は文柔に流るゝの類枚挙に堪へず、
書き下し
小學の書、首篇を綱とす、以下八篇大氏其目なり、而して此篇特に首篇中より燕居の士を抜出して詳に是を論ず、八篇中に在ては又其要たり、凡そ武士一日の事、諸士に謁し賓客に對するの外、武藝を習ひ、武義を論じ、武器を閲するの三事に過さず、武士誠に此三事を以て日々の常職とせば、武士たらざらんと欲すと雖ども得べからず、其才不才智不智に至ては强て論ずるに足らず、抑余仰で今公の政敎を察するに、一號一令悉く此三事に非るはなし、就中、學政更張、武備修理の擧に至ては、其旨最も昭々にして、闔藩の士孰か是を知らざらん、然るに尙或は閑居の士ありて往々不善を爲し、政敎を害し、罪戾に陷る者あり、實に慙懼に堪ざる事共なり、是人々自ら省察悛改せずんば明君に負くも亦甚しからずや、三事中武藝を習ふは技藝を功にして名譽を求むるに非ず、手足を自由にし、骨節を便利にし、身輕く體馴て、只今にても戰塲に臨み、刺擊の接戰に差支るとなき如く、夜白に修鍊するとなり、今世の武藝は一種遊戲の花法となる者多し、身を戰塲に置て瞑目工夫するに非ずんば、何ぞ其遊戲たるを知らんや、武義を論ずるは固より書を拔て講讀すると也、然ども、讀書の弊最も多し、或は異俗を慕ひ、或は時勢に阿り、或は浮華に趨り、或は文柔に流るゝの類枚擧に堪へず、
現代語訳
『小学』の書は、首篇を綱領とし、以下の八篇はおおむねその細目です。そしてこの篇は、首篇の中から特に閑居の士を抜き出して詳しく論じたもので、八篇の中でもまた要です。およそ武士の一日の事は、諸士に会い賓客に対する以外には、武芸を習い、武義を論じ、武器を点検する、この三事に過ぎません。武士が本当にこの三事を日々の常職とすれば、武士になるまいとしてもなれないほどです。その才があるか否か、智があるか否かは、強いて論ずるに足りません。さて、私が仰いで今の殿の政教を察すると、一つの号令、一つの命令も、すべてこの三事にあたらないものはありません。とりわけ、学問の制度を改め武備を修理する挙については、その趣旨がきわめて明らかで、藩中の士で誰がこれを知らないでしょうか。それなのに、なお閑居の士で往々にして不善をなし、政教を害し、罪に陥る者があります。まことに慙愧に堪えないことです。これは人々が自ら省みて改めなければ、明君に背くことが甚だしいではありませんか。三事の中で武芸を習うのは、技芸の巧みさを功として名誉を求めるのではなく、手足を自由にし、関節を軽快にし、身を軽く体を馴らし、今すぐにでも戦場に臨んで、突き打ちの接戦に支障のないよう、昼夜修練することです。今の世の武芸は、一種の遊戯の飾り技になっているものが多いです。身を戦場に置いて目を閉じて工夫するのでなければ、どうしてその遊戯であることが分かるでしょうか。武義を論ずるのは、もとより書を取り出して講読することです。しかし読書の弊害は最も多く、あるいは異国の風を慕い、あるいは時勢に阿り、あるいは浮華に走り、あるいは軟弱な文に流れる類など、数え挙げるにたえません。
解説
この章句が説くこと
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『武教講録』・燕居・備えの点検と学びの年月を考える只武義の二字を眞切に心に留めば萬弊自ら除き、大裨益を得るに至らん、武器を閲するは武士の一要務なり、甲冑ありても纖絲は切れ、鐵砲ありても玉藥は虛く、槍刀は多く具れども溢鏽して用をなさず、券狀は多く積たれども軍用の正金は貯ぬ類、皆是平日武器を閲せざるの過なり、此三事皆楮墨の空談に非ず、宜しく逐一に點檢工夫を加ふべし、武士たる者明君に報ずる所以、斯の如くにして足れりと云には非ず、然ども、燕居の士是を捨てば、明君に報ずる所以、別に一事あるとなし、至四十爲强仕之年と云と、禮記內則の制に據れば、二十而冠す、是より前六年九年十三年と各敎學するの品節あり、已に冠するに至ては專ら博學を勸め、未だ敢て人に敎へず、三十に至り始て室ありて家事を治む、然ども猶又博學を勸め、朋友互に切磋し志を擧て相示す、然る後、四十に至り始て仕ふるなり、然れば、大凡十歲前後より四十歲比迄三十餘年中學問を勸む、而して其最も自ら勵むとは中十年にあるなり、(二十より三十迄の間なり)而して又仕て優なれば學ぶの訓あり、說苑に載す、甯越の友人の曰く、學三十年則可以達矣と、蓋し內則の意也、又班固が志に、古者八歲入小學、十五入大學、又た三年而通一藝、三十而五經立と云も相照して考ふべし、
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『武家小学』・武芸の稽古と武器一暇の日とても食は速なるべし。辰の上刻を朝飯の時とす。食終て手洗ひ。口漱て後。劔術或は弓射の禮或は鳥銃又は槍術柔術等の武藝常ゝ稽古あるべし。皆是手足をならし躰をこなし。骨節をためきたひ進退を正しくするの法也。故に師の方へ行。又は師匠を招請して其稽古おこたる事なかれ。怠る時は手足不自由にして。骨節相應ぜず。身輕からず。體馴ずして士の業必欠べし。猶閑有時は書傳を披見て。武義を論じ兵法を講習し。且士の用べき武器の利害を試むべし。凡武器を全備といへども。收藏をきて常に試し見ざれば。譬ば其役に人を附置ても日用の器物にあらざるゆゑ必怠て朽腐すべし。或は外は好して內蠹損る事あり。故に古の武將勇士は何れも賓客有時は座佑に武器を粧飾て。武功の人々に其用を尋。其利を問て。利害を詳にして或は用或は捨て。其器の實用を盡せり。士の志如此なれば一筋に武の道に志立て。氣外へ移らず。心放逸にして邪侈の意發る所なし。孟子に人常の產無ときは常の心なしといへり。去ば士農工商の四民共に。家々の產業おこたらず勤べき事なり。况士として武家の業を懈怠すべからず。
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『武教小学』燕居伝に曰く、仕官の途は、四十に至りて強仕の年と為す。(内則に曰く、三十にして室有り、四十にして始めて仕う。方に物に出でて謀を出し慮を発し、道合えば則ち服従し、不可なれば則ち去る。注に曰く、四十を強と曰う、と。)凡そ子孫の量を考うるに、弱冠為りと雖も、(二十にして冠す。始めて礼を学ぶ。)官途を経しむべし。(此の章は書道の言に拘らず、唯其の器に依りて、遅速有るべきの義なり。)士は君に仕うと雖も、閑暇多し。(其の役職の閑暇有るなり。)或いは不幸にして未だ君に仕えず、或いは父母早く没し及び遠く離れて、朝夕の勤仕を得ず、燕居休暇の日多ければ、則ち其の志怠りて家業を慎まず、殆ど禽獣に類す。(孟子曰く、人の道有るや、飽食暖衣逸居して教え無ければ、則ち禽獣に近し、と。)大学に曰く、小人閑居して不善を為し、至らざる所無し、云々、と。故に閑居の士には、教戒無かるべからず。先ず夙に起きて盥漱櫛し、(体認の事は前章の如し。)出でて坐し、諸士に謁し、賓客に対し、庭前にて馬を見、及び馬に乗る。(御は六芸の一にして、馬は士の足なり。馬を御するの法を知らざれば、則ち軍戦の用に達する無し。故に古人之を重んず。師嘗て曰く、馬を相するの法、好むに道を以てせず、唯人の目を好喜して、士の用法を知らず。尤も慎むべきなり、と。)速やかに食す。(辰の上刻を朝飯の時と為すなり。)盥漱して後、或いは剣術、或いは弓射の礼、或いは鉄炮、或いは鑓、皆骨節を矯め、進退の法を正すなり。故に師の許に到り、又師を招請して、更に懈るべからず。久しく怠れば、則ち手足自由ならず、骨節相応ぜずして、身軽からず、体馴れずして、士の業必ず闕く。猶お暇あれば、則ち書を披きて武義を論じ、兵法を講じ、士器を閲す。(士の器とは、士の用うべき雑器なり。師且つ曰く、兵器の用完備すと雖も、収蔵して常に試みざれば、其の職司を置くと雖も必ず怠り、久しければ則ち腐敗す。或いは外は好くして内は蠹い、或いは損多くして用足らず。故に武将の古は、坐席賓客の用、之を粧飾するに皆武器を以てして、玩器を以てせず。是れ其の用を先覚に尊び、其の利を師友に問い、或いは捨て或いは用いて、其の実を尽くすと為すなり、と。)士の志斯くの如くなれば、則ち其の気専らにして他に之かず、放僻邪侈の意、発する所無し。故に孟子曰く、人恒産無ければ、則ち恒心無し、と。(産とは産業なり。四民各々恒の産業有り。若し産業を失えば、則ち恒心放逸して、放僻邪侈の心満ち溢るるなり。)
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『武教講録』・武敎小學序・士道と国体を幼い頃から心がける此序の大主意を能々呑込給へ、是にて士道も國體も其梗槩を得べし、先づ士道と云は、無禮無法粗暴狂悖の偏武にても濟まず、記誦詞章浮華文柔の偏文にても濟まず、眞武眞文を學び、身を修心を正ふして、國を治め天下を平にすると、是士道也、國體と云は、神州は神州の體あり、異國は異國の體あり、異國の書を讀めば兎角異國の事のみを善と思ひ、我國をば却て賤みて異國を羨む樣に成行くと、學者の通患にて、是神州の體は異國の體と異なる譯を知らぬ故也、故に晦菴の小學にて、前に云士道は大氏知れたれども、是は唐人の作りたる書ゆへ、國體を辨ぜずして遽かに讀むときは、同じく異國を羨み我國體を失ふ樣に成行くとを免がれざるを、先師深く慮り給ふ、是武敎小學を作る所以也、是を以て國體を考ふべし、扨其士道國體は甚切要の事なれば、幼年の時より心掛させ工夫さすべきと、是小學の本意にて、詰り志人仁人と成る樣にとの敎誡なり、是此序の大意、即ち此書の大意也、士無農工商之業而爲三民之長と云所へ深く工夫を凝し給へ、此意味孟子にも論じてあり、盡心上篇に云く、公孫丑曰、詩曰、不素餐兮、君子之不耕而食何也、孟子曰、君子居是國也、其君用之安富尊榮、其子弟從之則孝弟忠信、不素餐兮孰大於是、又云く、王子塾問曰、士何事、孟子曰、尙志、曰、何謂尙志、曰、仁義而已矣、と余曾て講孟餘話中に於て畧是を辨ず、又士は主將士へ係るとなるが、平士を以て治國平天下を任ずると過僭の樣に聞ゆれども、論語にも友于兄弟施於有政是亦爲政と云とあれば、一家と國天下と原是一串の事也、
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『武教講録』・惣目錄・博から約へ約から博へ至る学び方此一篇は小學の終篇とすべし、別に一卷と思ふとなかれ、其證は自序に門人等所輯錄武敎小學、始著其敎戒、終次其序品と云にて知るべし、敎戒は即上の十篇也、(夙起夜寐より、子孫敎戒まで、)序品は即ち此篇なり、素水の刻本に子孫敎戒の末に武敎小學終とあるは非なり、吾家の藏本に此五字なきを善とす、若し强て此五字を置んと欲せば、惣目錄の末に移すべし、抑惣目錄を以て武敎の大綱、及び先師の學則を窺ふべし、窃かに按ずるに、先師の學は博より約に入る者にして、其學則に至ては約より博に達する如くしたる者なり、學者博約の際に於て得るとあれば、左右原に逢ふ何の疑かあらん、先づ先師の博を知らんとならば一部の語類を讀ても知るべし、而して、其約は乃ち聖敎要錄にあり、是經術の博約を云、其兵法に於るを見んとならば、末書結要本雌鑑雄鑑用法より漢土諸家の說を約し、雄備集となし、武敎要錄となし、更に約して武敎全書となす、然ども、學者尙其約を知らざらんとを恐れて、門下の諸子乃ち惣目錄を編する也、若し夫れ全書中編々自ら博あり約あり、而して、其最も約なるは、全部の歸宿は序段の謀畧、智畧、計策、戰法、の三戰にある是也、是を以て先師の學則を知るべし、學者荷も全部を精究し、然る後孫吳尉李の書に及び、又和漢古今の典籍を博覽し、本末を尋ね、源流を窮る時は、經史子集幾萬卷の書、皆全書八卷の註脚にして、即ち謀智計三戰の註脚となり、更に約して吾方寸の外に出るとなきを知らん、是を學の極功とす、余素より此見を持す、嘉永戊申歲明倫館再興の時諸學藝皆等級の次第を定め試業に便すべきの旨あり、就中、兵學は一騎前將略等を以て是を分つべしとのと也、余乃ち四等を定む、初等は幼童句讀の科なり、
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『武教講録』・夙起夜寐・早起きから始め平旦の気を養う夙起夜寐を以て一篇の標題とす、知るべし、此篇武士一日中の敎戒洩す所なく、且下諸篇の綱領たるとを、而して、其著實切要復た辯を費さず、只句々是を身に行て己が德を成すべし、養平旦之氣は、委しく孟子告子上篇に見へたる通にて、即ち所謂浩然之氣を養ふの(公孫丑上篇)工夫なり、凡そ人は浩然の氣なければ、才も智も用に立つ者に非ず、此氣は血氣客氣に非ず、人の本心より靄然として湧出し、何如なる大敵猛勢にも懼れず、小敵弱勢をも侮らず、何如なる至難大難をも恐怖せず、宴安逸樂にも解體せず、確乎として守る所あり、奮然として勵む所あるの氣是也、浩然の氣を養ふは平旦の氣を養ふより始まる、夙起、盥嗽櫛、正衣服、佩用具、皆平旦の氣を養ふの方法なり、體認君父之恩情、思量今日之家業、觀孝之終始に至ては、最も養氣の根本たり、其下云ふ所、家事、賓客、事君、事父、侍長、會友、顧行、披書、爲夜戒に至る迄、終日の事一として養氣に非るはなし、入寢所休氣寬體に至ては、又明旦の氣を預め今夜より養ふ所以なり、此工夫を積て終始少も厭改なくんば、浩然の氣果して及び難からず、體認君父之恩情は、是忠孝の本なり、思量今日之家業は、是武道の本なり、先師人を敎ゆる忠孝武の三道鼎立を以て示せり、然ども、忠孝は即武也、武は即ち忠孝也、忠孝を心に存して體とし、武を以て行に發し用とすと云て可なり、武は所謂戈止の武にして文武の統名也、彼偏武の謂に非ず、又腐儒の知る所に非ず、武の眞理は武敎全書の首に於て委しく考ふべし、此篇士之正義と云ひ、義不義之行と云、其他諸篇毎々義を擧て敎とす、先師武士へ施さるゝ的劑全く義の一字にあると也、武士は武勇を以て主とするとなれども、勇の弊は或は暴戾に陷るとあり、

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