武教講録 / 子孫敎戒・女子の手本とする人物伝を選ぶ
武田勝賴の妻、北條氏、細川忠興の妻、明智氏、柴田勝家の妻、織田氏、(信長の妹にて初め淺井長政に嫁す、長政の亡ぶる時殉死せずして大歸すれば其節已に闕く、唯勝家に殉死するの一節取るべし、)蒲生氏郷の妻、明智氏などの類を指すにや、其外結城親光、楠正成、菊池寂阿等の妻、義朝、義經等の妾、(常盤三子の爲めに淸盛に從ひしは尙辭あり、然ども、寵衰るに及んで、出て人に嫁するは何事ぞや、然ども、其心事亦人に過たる者あり、)の類、古今枚擧に暇あらず、願くば和漢古今に亘り、此種の人を妙選し、雄勁明暢の筆を倩て、國語を以て其傳を綴り、頗る是に論斷を加へ、以て女子の龜鑑とせば甚美擧と云べし、前に引く所の列女傳小學等、漢文にて女子の講讀に便ならず、皇國婦女の事責而者草に列女の傳あるを見る甚善し、但收むる所の人數甚寡きを恨む、近日人あり、本朝女鑑の闕本を示す、其體裁先づ吾心を得たり、未全豹を窺はずと云ども亦其一班を得たり、但其中光明皇后等の事を載す、余甚だ喜はず、然ども、其外收むる所は皆女子の鑑とすべき者なり、余從來此事に心ありと云ども、未だ多く此種の書を搜索するに暇あらず、思ふに其撰其文並に吾心を獲たる者ありて、未だ見るに及ばざるともあるべし、抑古語に忠臣不事二君、烈女不更二夫と對して云ふ、其意極て深し、上に云ふ後漢書列女傳中、曹世叔妻の傳に、女誡七篇を載す、極て善し、其中に烈女の義を論じて曰く、禮、夫有再娶之義、婦無二適之文、又曰く、得意一人、是謂永畢、失意一人、是謂永訖と、盖し婦人夫を以て天とし一適して改めず、猶人臣の君に事ると異ることなし、今の俗猶能く婚禮には檳榔樹の上下を着く、婦人已に嫁すれば齒に塗るに鐵漿を以てす、
新字:武田勝頼の妻、北条氏、細川忠興の妻、明智氏、柴田勝家の妻、織田氏、(信長の妹にて初め浅井長政に嫁す、長政の亡ぶる時殉死せずして大帰すれば其節已に闕く、唯勝家に殉死するの一節取るべし、)蒲生氏郷の妻、明智氏などの類を指すにや、其外結城親光、楠正成、菊池寂阿等の妻、義朝、義経等の妾、(常盤三子の為めに清盛に従ひしは尚辞あり、然ども、寵衰るに及んで、出て人に嫁するは何事ぞや、然ども、其心事亦人に過たる者あり、)の類、古今枚挙に暇あらず、願くば和漢古今に亘り、此種の人を妙選し、雄勁明暢の筆を倩て、国語を以て其伝を綴り、頗る是に論断を加へ、以て女子の亀鑑とせば甚美挙と云べし、前に引く所の列女伝小学等、漢文にて女子の講読に便ならず、皇国婦女の事責而者草に列女の伝あるを見る甚善し、但収むる所の人数甚寡きを恨む、近日人あり、本朝女鑑の闕本を示す、其体裁先づ吾心を得たり、未全豹を窺はずと云ども亦其一班を得たり、但其中光明皇后等の事を載す、余甚だ喜はず、然ども、其外収むる所は皆女子の鑑とすべき者なり、余従来此事に心ありと云ども、未だ多く此種の書を捜索するに暇あらず、思ふに其撰其文並に吾心を獲たる者ありて、未だ見るに及ばざるともあるべし、抑古語に忠臣不事二君、烈女不更二夫と対して云ふ、其意極て深し、上に云ふ後漢書列女伝中、曹世叔妻の伝に、女誡七篇を載す、極て善し、其中に烈女の義を論じて曰く、礼、夫有再娶之義、婦無二適之文、又曰く、得意一人、是謂永畢、失意一人、是謂永訖と、盖し婦人夫を以て天とし一適して改めず、猶人臣の君に事ると異ることなし、今の俗猶能く婚礼には檳榔樹の上下を着く、婦人已に嫁すれば歯に塗るに鉄漿を以てす、
書き下し
武田勝賴の妻、北條氏、細川忠興の妻、明智氏、柴田勝家の妻、織田氏、(信長の妹にて初め淺井長政に嫁す、長政の亡ぶる時殉死せずして大歸すれば其節已に闕く、唯勝家に殉死するの一節取るべし、)蒲生氏郷の妻、明智氏などの類を指すにや、其外結城親光、楠正成、菊池寂阿等の妻、義朝、義經等の妾、(常盤三子の爲めに淸盛に從ひしは尙辭あり、然ども、寵衰るに及んで、出て人に嫁するは何事ぞや、然ども、其心事亦人に過たる者あり、)の類、古今枚擧に暇あらず、願くば和漢古今に亘り、此種の人を妙選し、雄勁明暢の筆を倩て、國語を以て其傳を綴り、頗る是に論斷を加へ、以て女子の龜鑑とせば甚美擧と云べし、前に引く所の列女傳小學等、漢文にて女子の講讀に便ならず、皇國婦女の事責而者草に列女の傳あるを見る甚善し、但收むる所の人數甚寡きを恨む、近日人あり、本朝女鑑の闕本を示す、其體裁先づ吾心を得たり、未全豹を窺はずと云ども亦其一班を得たり、但其中光明皇后等の事を載す、余甚だ喜はず、然ども、其外收むる所は皆女子の鑑とすべき者なり、余從來此事に心ありと云ども、未だ多く此種の書を搜索するに暇あらず、思ふに其撰其文並に吾心を獲たる者ありて、未だ見るに及ばざるともあるべし、抑古語に忠臣不事二君、烈女不更二夫と對して云ふ、其意極て深し、上に云ふ後漢書列女傳中、曹世叔妻の傳に、女誡七篇を載す、極て善し、其中に烈女の義を論じて曰く、禮、夫有再娶之義、婦無二適之文、又曰く、得意一人、是謂永畢、失意一人、是謂永訖と、盖し婦人夫を以て天とし一適して改めず、猶人臣の君に事ると異ることなし、今の俗猶能く婚禮には檳榔樹の上下を着く、婦人已に嫁すれば齒に塗るに鐵漿を以てす、
現代語訳
武田勝頼の妻の北条氏、細川忠興の妻の明智氏、柴田勝家の妻の織田氏(信長の妹で、初め浅井長政に嫁した。長政が滅びる時に殉死せず実家に帰ったので、その節はすでに欠けている。ただ、勝家に殉死した一節は取るべきである)、蒲生氏郷の妻の明智氏などの類を指すのでしょうか。そのほか、結城親光、楠正成、菊池寂阿らの妻、義朝、義経らの妾(常盤が三人の子のために清盛に従ったのは、まだ言い分がある。しかし、寵愛が衰えるに及んで、出て人に嫁いだのは何事か。ただ、その心事にもまた人に過ぎるものがある)の類は、古今数えきれません。願わくは、和漢古今にわたり、この種の人を精選し、力強く明快な筆を持つ人に頼んで、国語でその伝を綴り、大いにこれに論断を加えて、女子の手本とすれば、たいへんな美挙と言うべきです。前に引いた『列女伝』『小学』などは、漢文なので女子が講読するには不便です。皇国の婦女の事は、『責而者草』に列女の伝があるのを見ましたが、たいへんよいものです。ただ、収める人数がたいへん少ないのが残念です。近日、ある人が『本朝女鑑』の欠本を見せてくれました。その体裁は、まず私の心に適いました。まだ全体は見ていないものの、その一端を得ました。ただ、その中に光明皇后などの事を載せているのは、私はあまり喜びません。しかし、そのほかに収めるものは、みな女子の手本とすべきものです。私は以前からこの事に心がありながら、多くのこの種の書を探す暇がありませんでした。思うに、その選び方も文章も私の心に適うものがあって、まだ見ていないこともあるでしょう。そもそも古語に、「忠臣は二君に事えず、烈女は二夫を更えず」と対にして言います。その意はきわめて深いものです。上に言う『後漢書』列女伝の中の、曹世叔の妻の伝に、『女誡』七篇を載せています。きわめてよいものです。その中で烈女の義を論じて言うには、「礼では、夫には再び娶る義があるが、婦には二度嫁ぐという文はない」と。また言うには、「一人に意を得るのを永く畢わるといい、一人に意を失うのを永く訖わるという」と。思うに、婦人は夫を天とし、一度嫁いで改めないことは、あたかも人臣が君に仕えるのと異なりません。今の俗でも、なお婚礼には檳榔樹の上下を着けます。婦人はすでに嫁げば、歯に鉄漿を塗ります。
解説
この章句が説くこと
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『武教講録』・子孫敎戒・良書を探し欠点があっても採る余上に論ずる所を以て叔父玉先生に質す、先生擊節して云く、女敎の說極て是なり、余固より玆に志あり、因て往年、伊勢人津坂孝綽の武家女鑑三卷を買得て家に藏す、此書甚だ佳なり、婦女の爲に是を讀むに感激せざるはなしと、因て乞て一讀するに、其文其撰全く余が意を獲たり、孝綽の序に因て知る、姫鑑の書は乃ち中村惕齊先生の著す所にて、異邦古代の人を擧げ、本邦の事に至ては僅々附見するのみと見へたり、然れば、婦人女子を敎諭するには稍迂濶なるべし、然ども、惕齊は一時の純儒なれば定て裨益多きの書なるべし、未だ見ざるを惜む、又瀨能氏(吾同邑藏書に寓む人)所藏の本朝列女傳十卷を借讀す、寬文明曆の際、黑澤弘忠と云人の著、后妃夫人に始り、奇女神女に終る、通計二百一十七人を載す、亦備れりと云べし、但し其文漢樣に模して甚だ工ならず、載する所正道に詭ふ者多し、又異端に陷る者あり、怪妄に屬する者あり、然ども採擇は其人に存す、又何ぞ其文の拙を嫌んや、且其間評論に至て補益ある者多し、何ぞ遽かに輕視するとを得んや、此種の書尙廣く需むべし、
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『武教講録』・子孫敎戒・女子教戒に見る家の盛衰と変事への備え女子の敎戒の事、先師の深意尤も味ふべし、夫婦は人倫の大綱にて、父子兄弟の由て生ずる所なれば、一家盛衰治亂の界全く玆にあり、故に先づ女子を敎戒せずんばあるべからず、男子何程剛腸にして武士道を守るとも、婦人道を失ふ時は一家治らず子孫の敎戒亦廢絕するに至る、豈愼まざるべけんや、而して、輓近女子の敎戒を以て重事とする者あるとを聞かず、盖し女敎大畧三樣あり、先づ源氏物語、伊勢物語等の俗書淫泆の事を以て敎とする、是先師の深く歎ずる所にて、敎とするに足らず、然ども、此類只今にて貴人大家には或はあらん、平士以下にては甚だ少なし、但し和歌俳諧茶湯等の遊藝を以て娛みとする者は間々是あり、是亦其類なり、又貝原氏の書、或は心學者流の書等を以て敎とするあり、是尤も正しく尤も善し、然ども、柔順幽閑淸苦儉素の敎はあれども、節烈果斷の訓に乏し、大平無事の時は是にて餘りあれども、變故の際に貞操峻節を勵すに至ては未だ足れりとせず、獨り先師の敎へ以柔順爲用、以果斷爲制、と云者兩ながら全しと云べし、又爲士之妻室者、士常在朝而不知內、故代夫戒家業、豈以懦弱乎、と云は實に至言なり、且漢唐之間、守義死節之女、皇國武將之妻室、以盛衰不改節、以存亡不易心、或當賊、或死敵を以て證とす、其意更に明らかなり、漢唐と云は註に據れば、列女傳(蓋し劉子政の著す所を云、)小學(宋朱文公著す所)等に載する所を斥すと見へたり、列女傳は余未だ本書を見ず、小學にては漢の陳孝婦、曹文叔妻、唐鄭義宗妻、奉天竇氏二女等也、就て見るべし、又後漢書列女傳に載する皇甫規妻、董卓を罵りて節に車下に死し、樂羊子妻、盜を拒み姑に代りて刎頸して死するの、其他尙苦節烈行甚夥し、又明淸間の史集を閲するに貞婦烈女極て多し 皇國武將の妻室と云は、
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『武教講録』・子孫敎戒・教える側の姿勢が次の世代を映す皆其意深黑不變の色に象り、一適不改の義を取るとなり、然ども、今世淫泆の婦は往々聞くことあれ共、貞烈の婦に至ては寥々乎として響を絕す、然れば、禮儀聊其舊を存すと雖ども、其義は已に泯沒せり、余常に窃かに是を過憂して亂亡の先兆とす、何となれば、物各類あり、故に忠臣を求むるは孝子の門に於てすと云へり、節も亦忠孝の類に非ずや、然れば、今世貞烈の婦に乏しき所以は父兄の敎戒至らざるなり、父兄の敎戒至らざる所以は其自ら君父に事ふる忠孝の心なければ也、今時平に國安ければ宴安に其日を送り、祿を辭し官を罷て去て他邦に往く者あるとなし、然ども是を以て遽に其二君に事ざるの忠心を信ずるに足らんや、滔々たる父兄要皆其忠心なし、故に兒女其敎戒を聞かず、故に人の妻となりて貞烈の節顯れず、人の母となりて其子を敎戒するとを知らず、是父兄女孫朦昧にして無敎戒の世界に生死す、是に於てか烈女なく忠臣なし、今日二三夫四五夫を更て恥ざるの子孫は、異日必ず二三君四五君に事て計を得たりとするの臣僕なり、歐陽公王凝が妻の事を引て馮道を議す、其深意亦推して知べし、有志の士念を起して玆に至らば、安ぞ惻然惕然女子の敎戒に眷々せざるとを得んや、有志の士眞に今の弊を救んとならば先其妻其女を敎戒するに、前に云ふ古烈女の事蹟を以てし、殊更叮嚀に二夫を更ざるの大義を敎戒し置き、其于歸に臨ては又此義を揭示して、且夫家萬々居るに堪ざるのとあらば、自盡するの外、天地間別道あるとなきを敎戒すべし、若し敢て親家に大歸する者あらば、忍びざるとなれ共父兄逼て自盡さすべし、是程の事なれば、最初擇婿の時も勿論苟且なるとなかるべし、又其女子にさへ角く大義を責る程の父兄、其君に事るの忠最も甲斐甲斐敷事共也、唯有志の士深察遠思せよ、
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『武教講録』・子孫敎戒・女学校の構想と学びの場づくり女子の敎戒に付別に一策あり、是は國政上の事なれば容易に論ずべきに非れ共、事の因みに玆に附錄す、國中に於て一箇の尼房の如き者を起し、(僧尼令に、僧房に婦女を停め、尼房に男夫を停むる者は罪科あり、此意を用るを善法とす、)女學校と號し、(曾て宋通鑑を閲せしに、孝宗淳熙十五年に當り、金國建女大學ると、ありと覺ゆ、今其詳を遺る、他日更に是を攷ふべし、)士大夫の寡婦、年齡四五十以上にて貞節素顯れ學問に通じ女工を能する者數名を選擧し、女學校の師長となし學校中に寄宿せしめ、扨士大夫の女子、八歲若くは十歲以上の者は日々學校に出だし、願に因ては寄宿も許し、專ら手習學問女功の事を練熟せしむべし、敎法極て嚴整を要す、曹大家の女誡に、女子の敎學なきを嘆じて、禮、八歲始敎之書、十五而至於學矣、獨不可依此以爲則哉と云へり、先づ吾心を獲ると云べし、且又此女學校を起す時は、漢書に云如く、婦人同巷相從、夜績婦女一月得四十五日必相從者、所以省費燎火、同巧拙而合習俗也、
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『武教小学』子孫敎戒(三)横なるを椸と曰い、直なるを楎と曰う。衣を掛くる者也。)漢唐の間、義を守り節に死する女、(列女伝及び小学善行篇に出ず。漢唐已前の風俗は、論ずるに及ばざるなり。)闔国武将の妻室、盛衰を以て節を改めず、存亡を以て心を易えず。或いは賊に当たり、或いは敵に死す。斯くの如きの礼節、此くの如きの立操、豈に儒弱の教えを以てせん平。蓋し女は陰を主り、其の体は柔にして、其の心は順なり。是れ自然の生質なり。故に柔順を以て用と為す。(柔とは柔和なり。順とは順従なり。争わず妬まず、怒らず貪らず、是れ柔順の用なり。孔子曰く、婦人は人に伏する也。是の故に専制の義無し、云云。)能く果断なるを以て制と為す。(果敢決断なり。懦弱なれば則ち泥着して明らかならず。)戯遊言語、必ず淫佚の事を以てす可からず。教うるに義の正道を以てし、示すに武の本意を以てすれば、則ち夫婦の道正しくして、人倫の大道明らかなり。(王吉上疏に曰く、夫婦は人倫の大綱なり。朱子曰く、夫婦有りて、然る後に父子有り、云云。)師嘗て曰く、近世の俗、女子に学を教うるは、皆源氏伊勢物語等の俗書を以てす。甚だ歎息す可き平。此等の書は、淫佚の事を以て楽しみと為し、悠艶の事を以て専らと為す。或いは女子の夫に通別するを書き、或いは人情の及ぶ所を記す。筆力甚だ柔にして、尤も女子の書と為す。然れども此の書を以て戒めを垂るるの女子今焉に有り平。筆削する所の者も、亦淫佚の女なり。必ず之を玩味せしむ可からず。
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『武教講録』・子孫敎戒・教育は上から始め、誰も遊ばせない(太平御覽、卷八百二十六、資產部に因て引く、原文は食貨志にあるかと覺ゆ、尙攷ふべし、)益もあるべし、又更に進で是を云はゞ、周南召南の化も關雎葛覃の風に原くとなれば、女敎の本は恐ながら君公の後宮より始むべし、後宮へ貞節にして學問あると、曹大家や宋若昭の如き婦女を得て女官となし、(宋若昭は唐書后妃傳に見ゆ、若莘は其姉なり、女論語を著すこと又同傳に見ゆ、〇聞く米澤の法、後宮の女中は悉く藩士の女子、醜面又は片輪者にて、婚嫁の成難き者を用ひらる、絕て氏素姓の詳ならざる都會賤人の女色を以て進む者なしと、是又合せ考ふべし、)古昔諸侯の夫人蠶繰して衣服を爲り、(孟子滕文公下)自ら宗廟の盛を舂く、(楚語觀射父の語)等の故事を考究し、儉勤貞靜を以て一國の女敎を率ゆべし、凡そ生を天地間に稟る者、貴となく賤となく男となく女となく、一人の逸居すべきなく、一人の無敎るべきなし、然る後、初て古道に合ふと云ふべし、今の有司何ぞ此議を建白して施行せざる、有志の士幸に其當否を正せ、

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