武教小学 / 子孫敎戒二
是古之法也。)然或陷記誦。或玩詞章。則忘倭俗而欲漢樣。(婚冠喪祭衣服言語。必欲模漢俗。是泥着之所致也。)明道曰。凡百玩好皆奪志。至於書札。向好着。亦自喪志。云云。人有氣稟之異。故考其輕重清濁。令習馴。言語已通。則選師考友。勿令到人品之下。(康節邵先生戒子孫。曰。上品之人。不敎而善。中品之人。敎而後善。下品之人。敎亦不善。不敎而善。非聖而何。敎而後善。非賢而何。敎亦不善。非愚而何。)師弟之相接。尤可敬恭。兵書武冊。不可置汚席。盥漱而披之。貴師如父兄。(父兄者。天然之序也。師導我。令到道義。知五倫之明。其恩情至厚也。豈可忽如平。我爲士。而輕武書武事者。非志士也。)凡女子之敎戒。甚以可愼。其法多以儒弱爲敎。大誤也。爲士之妻室者。士常在朝。而不知內。故代夫而戒家業。豈以儒弱平。夫男不知內。女不言外。爲宮室辨內外。(內則曰。禮始於夫婦。爲宮室辨內外。云云。)爲男女不同椸枷。不敢縣於夫之楎椸。能舅姑之道。(皆內則之言也。
新字:是古之法也。)然或陥記誦。或玩詞章。則忘倭俗而欲漢様。(婚冠喪祭衣服言語。必欲模漢俗。是泥着之所致也。)明道曰。凡百玩好皆奪志。至於書札。向好着。亦自喪志。云云。人有気稟之異。故考其軽重清濁。令習馴。言語已通。則選師考友。勿令到人品之下。(康節邵先生戒子孫。曰。上品之人。不教而善。中品之人。教而後善。下品之人。教亦不善。不教而善。非聖而何。教而後善。非賢而何。教亦不善。非愚而何。)師弟之相接。尤可敬恭。兵書武冊。不可置汚席。盥漱而披之。貴師如父兄。(父兄者。天然之序也。師導我。令到道義。知五倫之明。其恩情至厚也。豈可忽如平。我為士。而軽武書武事者。非志士也。)凡女子之教戒。甚以可慎。其法多以儒弱為教。大誤也。為士之妻室者。士常在朝。而不知内。故代夫而戒家業。豈以儒弱平。夫男不知内。女不言外。為宮室弁内外。(内則曰。礼始於夫婦。為宮室弁内外。云云。)為男女不同椸枷。不敢県於夫之楎椸。能舅姑之道。(皆内則之言也。
書き下し
是れ古の法なり。)然れども或いは記誦に陥り、或いは詞章を玩べば、則ち倭俗を忘れて漢様を欲す。(婚冠喪祭衣服言語、必ず漢俗に模せんと欲するは、是れ泥着の致す所なり。)明道曰く、凡百の玩好は皆志を奪う。書札に至るまで、好に向かいて着すれば、亦自ら志を喪う、云云、と。人に気稟の異有り。故に其の軽重清濁を考え、習い馴れしむ。言語已に通ずれば、則ち師を選び友を考え、人品の下に到らしむること勿れ。(康節邵先生、子孫を戒めて曰く、上品の人は、教えずして善し。中品の人は、教えて後に善し。下品の人は、教えても亦善からず。教えずして善きは、聖に非ずして何ぞ。教えて後に善きは、賢に非ずして何ぞ。教えても亦善からざるは、愚に非ずして何ぞ、と。)師弟の相接するは、尤も敬恭す可し。兵書武冊は、汚席に置く可からず。盥漱して之を披く。師を貴ぶこと父兄の如くす。(父兄は、天然の序なり。師は我を導き、道義に到らしめ、五倫の明らかなるを知らしむ。其の恩情至って厚し。豈に忽にするが如くならん平。我士と為りて、武書武事を軽んずる者は、志士に非ざるなり。)凡そ女子の教戒は、甚だ以て慎む可し。其の法多く儒弱を以て教えと為す。大いに誤りなり。士の妻室たる者は、士常に朝に在りて、内を知らず。故に夫に代わりて家業を戒む。豈に儒弱を以てせん平。夫れ男は内を知らず、女は外を言わず。宮室の為に内外を弁ず。(内則に曰く、礼は夫婦に始まる。宮室の為に内外を弁ず、云云。)男女の為に椸枷を同じくせず、敢えて夫の楎椸に懸けず。舅姑の道を能くす。(皆内則の言也。
現代語訳
(注:先聖の格言を覚えさせるのは、)これが古い法です。しかしながら、暗唱に陥ったり、詩文をもてあそんだりすれば、日本の風俗を忘れて中国風を求めるようになります。(注:婚礼、冠、葬祭、衣服、言葉遣いなどで、必ず中国の習俗を真似しようとするのは、とらわれ固執することの結果です。)程明道は言いました。あらゆる愛玩は皆志を奪う。書簡に至るまで、好みに向かって執着すれば、これもまた自ら志を失う、云々、と。人には生まれつきの気質に違いがあります。だからその軽重や清濁を考え、習いに馴染ませます。言葉が通じるようになれば、師を選び友を見きわめ、人品の劣る者に近づけてはいけません。(注:康節の邵先生が子孫を戒めて言いました。上品の人は教えなくても善い。中品の人は教えてのちに善くなる。下品の人は教えても善くならない。教えなくても善いのは、聖でなくて何であろう。教えてのちに善くなるのは、賢でなくて何であろう。教えても善くならないのは、愚でなくて何であろう、と。)師弟が接するときは、とくに敬い恭しくすべきです。兵書や武の書物は、汚れた席に置いてはならず、手と口を清めてからひらきます。師を父兄のように貴びます。(注:父兄は、自然な序列です。師は私を導き、道義に至らせ、五倫のあきらかなることを知らせてくれます。その恩情はきわめて厚いものです。どうして軽く見てよいでしょうか。自分が士でありながら、武の書や武事を軽んじる者は、志士ではありません。)およそ女子の教え戒めは、とくに慎むべきです。そのやり方は多く、弱々しくさせることを教えとしていますが、大きな誤りです。士の妻は、士が常に朝廷に出仕して家の内を知りません。だから夫に代わって家業を戒めます。それを弱々しいありさまでできるでしょうか。男は家の内のことに関わらず、女は外のことを口にしない、というように、住まいの内と外を分けます。(注:『礼記』内則には、礼は夫婦に始まる。住まいのために内と外を分ける、云々とあります。)男女は衣掛けを同じにせず、あえて夫の衣掛けに衣を掛けません。舅姑に仕える道を尽くします。(注:すべて内則の言葉です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武家家訓集』北条早雲廿一箇条「第17条」一よき友をもとめべきは、手習學文の友也、惡友をのぞくべきは、恭將基笛尺八の友也、是はしらずとも恥にはならず、習てもあしき事にはならず、但いたづらに光陰を送らむよりはと也、人の善惡みな友によるといふこと也、三人行時、かならずわが師あり、其善者を撰て是にしたがふ、其よからざる者をば是をあらたむべし、
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『法句経』第二十六 婆羅門の部 三九二 法を説く人を敬う三九二 若し正等覚者所説の法を説示するものあらば、人は彼を恭しく礼すべし、婆羅門が火天を(礼するが)如くに。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、何の変もなくとも、道者の辺を離れぬか能き也。覚えず其人の機移るべしと也。
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孟子・公孫丑章句下ち不敬是より大なるは莫し。我は堯舜の道に非ざれば、敢て以て王の前に陳ぜず。故に齊の人は我の王を敬するに如くもの莫きなり。」景子曰く、「否。此の謂に非ざるなり。禮に曰く、『父召せば、諾する無し。君命じて召せば、駕するを俟たず。』固より將に朝せんとするなり。王命を聞きて遂に果さず。宜しく夫の禮と相似ざるが如く然るべし。」曰く、「豈に是を謂わんや。曾子曰く、『晉楚の富は、及ぶ可からざるなり。彼は其の富を以てし、我は吾が仁を以てす。彼は其の爵を以てし、我は吾が義を以てす。吾何ぞ慊せんや。』夫れ豈に不義にして曾子之を言わんや。是れ或は一道なり。天下に達尊三有り。爵一、齒一、德一。朝廷は爵に如くは莫く、鄉黨は齒に如くは莫く、世を輔け民に長たるは徳に如くは莫し。惡くんぞ其の一を有して、以て其の二を慢るを得んや。故に將に大いに為す有らんとするの君は、必ず召さざる所の臣有り。謀ること有らんと欲すれば、則ち之に就く。其の徳を尊び道を樂しむこと、是くの如くならざれば、與に為す有るに足らざるなり。故に湯の伊尹に於ける、學びて而る後に之を臣とす。故に勞せずして王たり。桓公の管仲に於ける、學びて而る後に之を臣とす。故に勞せずして霸たり。今、天下、地醜(たぐい)し德齊しく、能く相尚(すぎる)ぐるもの無きは、他無し。其の教うる所を臣とするを好みて、其の教えを受くる所を臣とするを好まず。湯の伊尹に於ける、桓公の管仲に於けるは、則ち敢て召さず。管仲すら且つ猶ほ召す可からず。而るを況んや管仲を為さざる者をや。」
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説苑・雜言仲尼曰く、「史鰌に君子の道三つ有り。仕えずして上を敬い、祀らずして鬼を敬い、直にして能く人に曲がる」と。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「食いて愛せざるは、之を豕交するなり。愛して敬せざるは、之を獸畜するなり。恭敬なる者は、幣の未だ將わざる者なり。恭敬にして實無ければ、君子虚拘す可からず。」
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