武教講録 / 行住坐臥・細部に現れる覚悟が組織を守る
等の事に至ては、覺悟の細目にして最も心を付べきとなり、前に云ふ中谷翁の如きは、實に善く此覺悟を守たる人にて感ずるに餘あり、惣て古武士は是等の廉々を善く磨きたるとなり、士風の盛衰美惡も、却て是等の小事に著るゝ者なれば、人々能心を付べきとなり、行住坐臥暫放心、則必臨變失常、一生之恪勤於一事闕滅、變之至也、不可知、と云は、細行を矜たざれば遂に大德を累はすと云と、同一種の語にして、最も謹嚴なる語なり、余前篇に於て最も六なる事を論じ、此篇にては又小事を論ず、合せ考へて各當る所あるを知るべし、抑敬備覺悟の事は、徒に一武士の其身を守る宜しく然るべきのみに非ず、古の明君賢將は是を以て其身を守り、又其親臣大臣を戒め、又其諸士を戒め、又其庶民を戒む、一人の心は千萬人の心にて、君將の心玆に在る時は、臣民に及ぶと固より命令告諭を待つとなし、置郵して傳ふるよりも速ならん、是武備の最要なり、果して然らば、東西南北、夷寇交犯すとも、其相援ふや左右の手の如し、器械軍卒未だ備らずと雖ども、思已に半に過ぎん、若然らずんば、器械軍卒何程備りても、譬ば阿大夫の趙に鄲を攻られて救はず、衞に薛陵を取られても知らぬ如くにて、何ぞ其國を守るとを得んや、故に身を守るには人に寢首を搔れざる如く心懸くべし、國を守るには敵に寢城を拔かれざる如く心懸くべし、今天下の荷且宴安に耽り、人の不虞を襲ふに暇あらず、然ども、變は固より常に非るとなれば、變之至也不可知の訓、豈荷且にして可ならんや、
新字:等の事に至ては、覚悟の細目にして最も心を付べきとなり、前に云ふ中谷翁の如きは、実に善く此覚悟を守たる人にて感ずるに余あり、惣て古武士は是等の廉々を善く磨きたるとなり、士風の盛衰美悪も、却て是等の小事に著るゝ者なれば、人々能心を付べきとなり、行住坐臥暫放心、則必臨変失常、一生之恪勤於一事闕滅、変之至也、不可知、と云は、細行を矜たざれば遂に大徳を累はすと云と、同一種の語にして、最も謹厳なる語なり、余前篇に於て最も六なる事を論じ、此篇にては又小事を論ず、合せ考へて各当る所あるを知るべし、抑敬備覚悟の事は、徒に一武士の其身を守る宜しく然るべきのみに非ず、古の明君賢将は是を以て其身を守り、又其親臣大臣を戒め、又其諸士を戒め、又其庶民を戒む、一人の心は千万人の心にて、君将の心玆に在る時は、臣民に及ぶと固より命令告諭を待つとなし、置郵して伝ふるよりも速ならん、是武備の最要なり、果して然らば、東西南北、夷寇交犯すとも、其相援ふや左右の手の如し、器械軍卒未だ備らずと雖ども、思已に半に過ぎん、若然らずんば、器械軍卒何程備りても、譬ば阿大夫の趙に鄲を攻られて救はず、衛に薛陵を取られても知らぬ如くにて、何ぞ其国を守るとを得んや、故に身を守るには人に寝首を搔れざる如く心懸くべし、国を守るには敵に寝城を抜かれざる如く心懸くべし、今天下の荷且宴安に耽り、人の不虞を襲ふに暇あらず、然ども、変は固より常に非るとなれば、変之至也不可知の訓、豈荷且にして可ならんや、
書き下し
等の事に至ては、覺悟の細目にして最も心を付べきとなり、前に云ふ中谷翁の如きは、實に善く此覺悟を守たる人にて感ずるに餘あり、惣て古武士は是等の廉々を善く磨きたるとなり、士風の盛衰美惡も、却て是等の小事に著るゝ者なれば、人々能心を付べきとなり、行住坐臥暫放心、則必臨變失常、一生之恪勤於一事闕滅、變之至也、不可知、と云は、細行を矜たざれば遂に大德を累はすと云と、同一種の語にして、最も謹嚴なる語なり、余前篇に於て最も六なる事を論じ、此篇にては又小事を論ず、合せ考へて各當る所あるを知るべし、抑敬備覺悟の事は、徒に一武士の其身を守る宜しく然るべきのみに非ず、古の明君賢將は是を以て其身を守り、又其親臣大臣を戒め、又其諸士を戒め、又其庶民を戒む、一人の心は千萬人の心にて、君將の心玆に在る時は、臣民に及ぶと固より命令告諭を待つとなし、置郵して傳ふるよりも速ならん、是武備の最要なり、果して然らば、東西南北、夷寇交犯すとも、其相援ふや左右の手の如し、器械軍卒未だ備らずと雖ども、思已に半に過ぎん、若然らずんば、器械軍卒何程備りても、譬ば阿大夫の趙に鄲を攻られて救はず、衞に薛陵を取られても知らぬ如くにて、何ぞ其國を守るとを得んや、故に身を守るには人に寢首を搔れざる如く心懸くべし、國を守るには敵に寢城を拔かれざる如く心懸くべし、今天下の荷且宴安に耽り、人の不虞を襲ふに暇あらず、然ども、變は固より常に非るとなれば、變之至也不可知の訓、豈荷且にして可ならんや、
現代語訳
などの事に至っては、覚悟の細目で、最も心を付けるべきことです。前に言う中谷翁のような人は、まことによくこの覚悟を守った人で、感心するに余りあります。総じて古の武士は、こうした細かな点をよく磨いたということです。士風の盛衰や美悪も、かえってこうした小事に現れるものですから、人々は心を付けるべきです。「行住坐臥、しばらくでも心を放てば、必ず変に臨んで常を失う。一生の恪勤が一事に欠け滅ぶ。変の至るは知るべからず」というのは、「細行を謹まなければ、ついには大徳を累わす」というのと同じ種類の語で、最も謹厳な語です。私は前の篇で最も大きなことを論じ、この篇ではまた小事を論じました。合わせて考えれば、それぞれ当たるところがあることが分かります。そもそも敬・備・覚悟のことは、いたずらに一武士がその身を守るために宜しく然るべきというだけではありません。古の明君賢将は、これをもってその身を守り、またその親臣・大臣を戒め、その諸士を戒め、その庶民を戒めました。一人の心は千万人の心で、君将の心がここにあるときは、臣民に及ぶことは、もとより命令や告諭を待つことなく、宿駅を置いて伝えるよりも速いでしょう。これが武備の最要です。果たしてそうならば、東西南北から異民族が代わる代わる侵しても、その救援は左右の手のようでしょう。器械や兵卒がまだ備わっていなくても、思いはすでに半ばを過ぎているでしょう。もしそうでなければ、器械や兵卒がどれほど備わっても、たとえば阿の大夫が趙に鄲を攻められても救わず、衛に薛陵を取られても知らぬ顔をしたようなもので、どうして国を守ることができましょうか。ゆえに身を守るには、人に寝首を搔かれないよう心がけ、国を守るには、敵に寝城を抜かれないよう心がけるべきです。今、天下は一時しのぎの安逸にふけり、人の不虞を襲う暇もありません。しかし、変事は常にあるものではないから、「変の至るは知るべからず」の訓は、どうして一時しのぎにしてよいでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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