武訓 / 下・第5段
聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔なからん者には、我くみせじ、必、事にのぞんでおそれ、謀を好んでなさんものなりとのたまへり。伍子胥が、父兄の仇を報ぜしも、身を全うして吳王につかへ、吳國の力をかりしなり。若、伍子胥も、敵身方の勢をはからずして押しよせて、父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意をとげんや。張良が、韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をかりてこそ、秦楚をば亡ぼしけれ。うつべき時ありてうたざらんは、まことにをこたりといふべし。工藤祐經は、家富み郎徒多くして、用心をなす。祐成、時宗單身にて即時に押寄せたらば、などか敵を打ちすますべき。只、犬死をこそせめ。されば、義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし說、さらに理にかなへりともおもほえず。われ、かつて、曾我記の序において、此の事を詳に論ぜり。
新字:聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔なからん者には、我くみせじ、必、事にのぞんでおそれ、謀を好んでなさんものなりとのたまへり。伍子胥が、父兄の仇を報ぜしも、身を全うして呉王につかへ、呉国の力をかりしなり。若、伍子胥も、敵身方の勢をはからずして押しよせて、父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意をとげんや。張良が、韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をかりてこそ、秦楚をば亡ぼしけれ。うつべき時ありてうたざらんは、まことにをこたりといふべし。工藤祐経は、家富み郎徒多くして、用心をなす。祐成、時宗単身にて即時に押寄せたらば、などか敵を打ちすますべき。只、犬死をこそせめ。されば、義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし説、さらに理にかなへりともおもほえず。われ、かつて、曽我記の序において、此の事を詳に論ぜり。
書き下し
聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔なからん者には、我くみせじ、必、事にのぞんでおそれ、謀を好んでなさんものなりとのたまへり。伍子胥が、父兄の仇を報ぜしも、身を全うして吳王につかへ、吳國の力をかりしなり。若、伍子胥も、敵身方の勢をはからずして押しよせて、父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意をとげんや。張良が、韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をかりてこそ、秦楚をば亡ぼしけれ。うつべき時ありてうたざらんは、まことにをこたりといふべし。工藤祐經は、家富み郎徒多くして、用心をなす。祐成、時宗單身にて即時に押寄せたらば、などか敵を打ちすますべき。只、犬死をこそせめ。されば、義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし說、さらに理にかなへりともおもほえず。われ、かつて、曾我記の序において、此の事を詳に論ぜり。
現代語訳
聖人も、子路を戒めて、「虎に素手で立ち向かい、河を徒歩で渡って、死んでも悔いのない者とは、私は行動をともにしない。必ず事に臨んで畏れ、謀を好んで成し遂げる者とともにする」とおっしゃいました。伍子胥が父と兄の仇を報いたのも、身を全うして呉王に仕え、呉の国の力を借りたからです。もし伍子胥も、敵味方の勢いを計らずに押し寄せて、父兄の仇を報いようとしたなら、どうして本意を遂げられたでしょうか。張良が韓の仇を報いたのも、高祖の勢いを借りて、秦・楚を亡ぼしたのです。討つべき時があるのに討たないのは、まことに怠りというべきです。工藤祐経は、家が富み、家来が多くて、用心をしていました。祐成・時宗が単身で即座に押し寄せたとしても、どうして敵を討ち果たせたでしょうか。ただ犬死にするだけです。ですから、『義貞軍記』の論と、近世の先輩がそれに同調した説は、少しも理にかなっているとは思えません。私はかつて、『曾我記』の序で、このことを詳しく論じました。
解説
この章句が説くこと
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