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武訓 / 下・第2段

五倫に對して、わが心畏るゝを以て、其の道行はる。畏れざれば、心ゆるまりをこたりて、道行はれず。或人の曰、吾子がいふ所、おそるゝを以て、人倫の道行はるとは、さもあるべし。しかるに、兵の道、戰にのぞみておそれなば、兵よわくして、敵にかつことかたかるべし。いかんぞや。答へて曰、戰におそれざれば、敵にかつことなし。古の良將は、戰はざるさきにおそれて、敵の兵の多少と、强弱をかんがへしり、身方の强弱をかんがへる。兵の道をしへ、兵具兵粮をとゝのへ、諸司と評定し、敵にかつべき計をきはめ、まくべき理なくして出陣し、戰にのぞんでは、おそれつゝしんで計を出し、士卒の心を一にして、敵をくじきやぶる。是、敵にかつの道は、おそるゝを以て專とす。されば、孔子も、子路をいましめて、三軍を行ふ道は、暴虎憑河のおそれざるわざをきらひ給ひ、事に臨みておそれ、謀を好みてなさん人に與し給はんよしを告げたまふ。しかれば、軍法は、ことに、おそるゝを以て本とすべし。畏るゝとはつゝしんで用心するをいへり。勇氣なく、隱病にておそるゝにあらず。

新字:五倫に対して、わが心畏るゝを以て、其の道行はる。畏れざれば、心ゆるまりをこたりて、道行はれず。或人の曰、吾子がいふ所、おそるゝを以て、人倫の道行はるとは、さもあるべし。しかるに、兵の道、戦にのぞみておそれなば、兵よわくして、敵にかつことかたかるべし。いかんぞや。答へて曰、戦におそれざれば、敵にかつことなし。古の良将は、戦はざるさきにおそれて、敵の兵の多少と、強弱をかんがへしり、身方の強弱をかんがへる。兵の道をしへ、兵具兵粮をとゝのへ、諸司と評定し、敵にかつべき計をきはめ、まくべき理なくして出陣し、戦にのぞんでは、おそれつゝしんで計を出し、士卒の心を一にして、敵をくじきやぶる。是、敵にかつの道は、おそるゝを以て専とす。されば、孔子も、子路をいましめて、三軍を行ふ道は、暴虎憑河のおそれざるわざをきらひ給ひ、事に臨みておそれ、謀を好みてなさん人に与し給はんよしを告げたまふ。しかれば、軍法は、ことに、おそるゝを以て本とすべし。畏るゝとはつゝしんで用心するをいへり。勇気なく、隠病にておそるゝにあらず。

書き下し

五倫に對して、わが心畏るゝを以て、其の道行はる。畏れざれば、心ゆるまりをこたりて、道行はれず。或人の曰、吾子がいふ所、おそるゝを以て、人倫の道行はるとは、さもあるべし。しかるに、兵の道、戰にのぞみておそれなば、兵よわくして、敵にかつことかたかるべし。いかんぞや。答へて曰、戰におそれざれば、敵にかつことなし。古の良將は、戰はざるさきにおそれて、敵の兵の多少と、强弱をかんがへしり、身方の强弱をかんがへる。兵の道をしへ、兵具兵粮をとゝのへ、諸司と評定し、敵にかつべき計をきはめ、まくべき理なくして出陣し、戰にのぞんでは、おそれつゝしんで計を出し、士卒の心を一にして、敵をくじきやぶる。是、敵にかつの道は、おそるゝを以て專とす。されば、孔子も、子路をいましめて、三軍を行ふ道は、暴虎憑河のおそれざるわざをきらひ給ひ、事に臨みておそれ、謀を好みてなさん人に與し給はんよしを告げたまふ。しかれば、軍法は、ことに、おそるゝを以て本とすべし。畏るゝとはつゝしんで用心するをいへり。勇氣なく、隱病にておそるゝにあらず。

現代語訳

五倫に対して、わが心が畏れることによって、その道が行われます。畏れなければ、心が緩み怠けて、道は行われません。ある人が言いました。「あなたの言う、畏れることで人倫の道が行われるというのは、そのとおりでしょう。しかし、兵の道では、戦に臨んで畏れれば、兵は弱くなり、敵に勝つことは難しいでしょう。どうなのですか」。答えて言いました。「戦で畏れなければ、敵に勝つことはありません。昔の良将は、戦う前に畏れて、敵の兵の多少と強弱を考え知り、味方の強弱を考えます。兵の道を教え、兵具や兵糧を整え、諸役人と評定し、敵に勝つはかりごとを極め、負ける理がないようにして出陣し、戦に臨んでは畏れ慎んではかりごとを出し、士卒の心を一つにして、敵を打ち破るのです。これが、敵に勝つ道は、畏れることを第一とするということです。孔子も、子路を戒めて、三軍を行う道は、虎に素手で立ち向かい、河を徒歩で渡るような、畏れない行いを嫌い、事に臨んで畏れ、謀を好んで成し遂げる人に与しようと告げなさいました。ですから、軍法は特に、畏れることを本とするべきです。畏れるとは、慎んで用心することをいうのです。勇気がなく、臆病で畏れるのではありません」。

解説

畏れることが人倫の道を行わせ、戦でも勝つ道の第一になる、と説く長い問答です。質問者は、戦で畏れれば兵が弱くなるのではと疑いますが、益軒は、畏れるとは臆病ではなく、慎んで用心することだと答えます。敵味方の強弱を調べ、兵具や兵糧を整え、評定を重ね、負けない見込みを立ててから出陣するのが、畏れの具体的な中身です。孔子が子路を戒めた「暴虎馮河」の話もそのために引かれています。経営でも、慎重な準備を怠らない姿勢は、臆病とは違う、勝つための条件です。

この章句が説くこと

畏れ用心準備暴虎馮河評定武訓

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