武人訓抄録 / 仁義は左右の翼
一仁と義とは左右の翼の如し、假にも偏廢すべからず、夫れ仁義の人に在、是をもて立り、故に云、立天之道曰陰與陽、立地之道曰剛與柔、立人之道曰仁與義と也、仁とは譬へば文德の如し、義とは譬へば武德の如し、二物を外にして又人道ある事なし、此故に仁を主とせざるものは、百年聖經を學ぶといふとも聖門の徒といふべからず、義を本とせざるものは、生涯武備を習ふとも武家の倫となすべからず、但如斯論ずる時は、仁は專ら聖門の道のごとく、義は偏に武家の道のごしといへども、凡そ仁あるものは必ず義あり、義あるものは必ず仁あり、武家何ぞ其義を取て其仁を舍つべき、姑君臣躰と用とを異にするのみ、故に君としては仁を躰とし義を用とし、臣としては義を躰とし仁を用とし、仁義互に相配して恆の心とせんとを要す、是神武習學の本旨なり、
新字:一仁と義とは左右の翼の如し、仮にも偏廃すべからず、夫れ仁義の人に在、是をもて立り、故に云、立天之道曰陰与陽、立地之道曰剛与柔、立人之道曰仁与義と也、仁とは譬へば文徳の如し、義とは譬へば武徳の如し、二物を外にして又人道ある事なし、此故に仁を主とせざるものは、百年聖経を学ぶといふとも聖門の徒といふべからず、義を本とせざるものは、生涯武備を習ふとも武家の倫となすべからず、但如斯論ずる時は、仁は専ら聖門の道のごとく、義は偏に武家の道のごしといへども、凡そ仁あるものは必ず義あり、義あるものは必ず仁あり、武家何ぞ其義を取て其仁を舎つべき、姑君臣体と用とを異にするのみ、故に君としては仁を体とし義を用とし、臣としては義を体とし仁を用とし、仁義互に相配して恒の心とせんとを要す、是神武習学の本旨なり、
書き下し
一仁と義とは左右の翼の如し、假にも偏廢すべからず、夫れ仁義の人に在、是をもて立り、故に云、立天之道曰陰與陽、立地之道曰剛與柔、立人之道曰仁與義と也、仁とは譬へば文德の如し、義とは譬へば武德の如し、二物を外にして又人道ある事なし、此故に仁を主とせざるものは、百年聖經を學ぶといふとも聖門の徒といふべからず、義を本とせざるものは、生涯武備を習ふとも武家の倫となすべからず、但如斯論ずる時は、仁は專ら聖門の道のごとく、義は偏に武家の道のごしといへども、凡そ仁あるものは必ず義あり、義あるものは必ず仁あり、武家何ぞ其義を取て其仁を舍つべき、姑君臣躰と用とを異にするのみ、故に君としては仁を躰とし義を用とし、臣としては義を躰とし仁を用とし、仁義互に相配して恆の心とせんとを要す、是神武習學の本旨なり、
現代語訳
仁と義とは、左右の翼のようなものです。かりそめにも一方を欠いてはなりません。そもそも仁義が人に備わっているので、人はこれによって立ちます。ですから「天の道を立てて陰と陽といい、地の道を立てて剛と柔といい、人の道を立てて仁と義という」と言います。仁はたとえば文徳のようなもの、義はたとえば武徳のようなものです。この二つのほかに人の道はありません。ですから、仁を主としない者は、百年聖人の経典を学んでも聖門の徒とは言えません。義を本としない者は、生涯武備を習っても武家の仲間とは言えません。ただ、このように論じると、仁はもっぱら聖門の道のようで、義はひたすら武家の道のようですが、およそ仁のある者は必ず義があり、義のある者は必ず仁があります。武家がどうして義を取って仁を捨てられるでしょうか。ただ君と臣で体と用を異にするだけです。ですから君としては仁を体とし義を用とし、臣としては義を体とし仁を用とし、仁義が互いに配されて恒の心となることが必要です。これが神武を習い学ぶ本旨です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武訓』上・第19段義は陰德なり。仁義の外、別に人の道とすべきものなし。易は、聖人の至れる敎なり。萬世の鏡なり。信ずべし。うたがふべからず。兵術も、亦、仁義の道の內の一事なり。文を以て、人をあはれみ、民をなつくるは仁なり。武を以て、敵をうち、亂をしづむるは義なり。文武の二は、たとへば、車の兩輪のごとく、鳥の兩翼のごとし。一かけては、身ををさめ、國天下を治めがたし。仁義は、道の本にて、體なり。文武は、仁義を行ふ用なり。用とは、たとへば、火を以て物をあたゝめ、水を以て物をうるほすが如し。故に、仁義の道の外に文武なく、文武の外に治法なく、兵術なし。敵に對して計謀を用ふるは、たとへば、西を攻めんとしては、其の東を襲ふの類なり。かくのごとく、事にのぞみ時に當りて、敵をはかり、權謀を行ふことは、さも有りなん。前にいへる兵術者の敵の如きは、仁義の道をすて、文武の法に背き、君臣、朋友およそ、人倫に對し、僞を行ひ、人の功名をうばひて、わが物とし、利を得るを以て、日本の武道とす。しかれども、まことの文武の道よりいはゞ、是を名づけて、盜賊といふ。
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『文武訓』文訓下之末一仁義は道の体なり。文武は仁義の発用なり。文武其事同じからず、其道理は一なり。文は仁の発なり、武は義の発なり。文は人を愛し、衆を和ぐるの道なり。文にあらざれば、民をなつけ衆を安んずる事なし。武は人を戒め衆を厳にするの道なり。
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『文武訓』武訓上易は聖人の至れる教なり、万世の鏡なり。信ずべし、うたがふべからず。兵術も亦仁義の道の内の一事なり。文を以て人をあはれみ、民をなつくるは仁なり、武を以て敵をうち、乱をしづむるは義なり。文武の二は、たとへば車の両輪のごとく、鳥の両翼のごとし。一闕けては、身ををさめ国天下を治めがたし。仁義は道の本にて体なり。文武は仁義を行ふ用なり。用とは、たとへば火を以て物をあたため、水を以て物をうるほすが如し。故に仁義の道の外に文武なく、文武の外に治法なく兵術なし。敵に対して計謀を用ふるは、たとへば西を攻めんとしては、其東を襲ふの類なり。かくのごとく、事にのぞみ時に当りて、敵をはかり、権謀を行ふことはさも有りなん。
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『慎思録』巻之六仁義は道の体なり。文武は仁義の用為り。是れ仁義の発する所なり。故に文武其の趣同じからずと雖も、之を要すれば則ち理は一なり。文は仁の発なり。人を愛し衆を和するの道なり。文に非ざれば民を懐け衆を安んずること能はず。武は義の発なり。人を戒め衆を厳にするの道なり。武に非ざれば敵を威し罪を正すこと能はず。故に文武並び行はるれば、則ち天下和平にして、黎民服す。古の良将は、必ず文武全才にして、能く万民を安定す。澆季の世は、文武岐れて両途と為る。文有る者は或は武無く、武有る者は多く文無し。全才と為すべからず。徒に武有りて文無ければ、則ち傖父と為る。徒に文有りて武無ければ、則ち腐儒と為る。各用ゐるべきの能有りと雖も、全才に非ざるなり。季世の俗は皆此くの如し。士人たる者は、務めて之を全うすべくして、偏勝すべからざる所以なり。
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『文武訓』武訓上もだして云はざらんも、むげに仁をうしなひてなさけなければ、本意にあらず。われ愚なれども、幼よりひじりの書をよみ、其道をたふとべる故、管見をここにのべ侍る。天地の間広しといへど、道はただ一のみ。やまとの道、もろこしの道とて、さらに二あるべからず。つはもののいにしへ道儒者の道とて二道なし。もろこしの武道、日本の武道、またなんぞ二あらんや。古の道、今の道、是亦かはるべからず。易に曰、天の道を立てて陰と陽といひ、人の道を立てて仁と義といふ。陰陽にあらざれば天の道行はれず、仁義にあらざれば人の道たたず。人に仁義の道あるは、天に陰陽あるが如し。仁は陽徳なり、義は陰徳なり。仁義の外別に人の道とすべきものなし。
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『五常訓』巻之一・総論一人に仁義あるは、天に陰陽あるが如し。天に陰陽なければ、造化の理ほろびて、四の時行はれず、万物生ぜずして、天地の道立たず。人に仁義なければ、心の徳ほろび、五倫の道行はれずして、人道立たず。禽獣と何ぞ異ならんや。故に易に曰、天の道を立てて陰と陽といふ。人の道を立てて、仁と義といふ。

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