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文武訓 / 武訓上

もだして云はざらんも、むげに仁をうしなひてなさけなければ、本意にあらず。われ愚なれども、幼よりひじりの書をよみ、其道をたふとべる故、管見をこゝにのべ侍る。天地の間廣しといへど、道はたゞ一のみ。やまとの道、もろこしの道とて、さらに二あるべからず。つはもののいにしへ道儒者の道とて二道なし。もろこしの武道、日本の武道、またなんぞ二あらんや。古の道、今の道、是亦かはるべからず。易に曰、天の道を立てて陰と陽といひ、人の道を立てて仁と義といふ。陰陽にあらざれば天の道行はれず、仁義にあらざれば人の道たゝず。人に仁義の道あるは、天に陰陽あるが如し。仁は陽德なり、義は陰德なり。仁義の外別に人の道とすべきものなし。

新字:もだして云はざらんも、むげに仁をうしなひてなさけなければ、本意にあらず。われ愚なれども、幼よりひじりの書をよみ、其道をたふとべる故、管見をこゝにのべ侍る。天地の間広しといへど、道はたゞ一のみ。やまとの道、もろこしの道とて、さらに二あるべからず。つはもののいにしへ道儒者の道とて二道なし。もろこしの武道、日本の武道、またなんぞ二あらんや。古の道、今の道、是亦かはるべからず。易に曰、天の道を立てて陰と陽といひ、人の道を立てて仁と義といふ。陰陽にあらざれば天の道行はれず、仁義にあらざれば人の道たゝず。人に仁義の道あるは、天に陰陽あるが如し。仁は陽徳なり、義は陰徳なり。仁義の外別に人の道とすべきものなし。

書き下し

もだして云はざらんも、むげに仁をうしなひてなさけなければ、本意にあらず。われ愚なれども、幼よりひじりの書をよみ、其道をたふとべる故、管見をここにのべ侍る。天地の間広しといへど、道はただ一のみ。やまとの道、もろこしの道とて、さらに二あるべからず。つはもののいにしへ道儒者の道とて二道なし。もろこしの武道、日本の武道、またなんぞ二あらんや。古の道、今の道、是亦かはるべからず。易に曰、天の道を立てて陰と陽といひ、人の道を立てて仁と義といふ。陰陽にあらざれば天の道行はれず、仁義にあらざれば人の道たたず。人に仁義の道あるは、天に陰陽あるが如し。仁は陽徳なり、義は陰徳なり。仁義の外別に人の道とすべきものなし。

現代語訳

黙って言わないでいるのも、ひどく仁を失って情けがないので、本意ではありません。私は愚かですが、幼いころから聖人の書を読み、その道を尊んできたので、わずかな見解をここに述べます。天地の間は広いといっても、道はただ一つだけです。日本の道、中国の道といって、さらに二つあるはずがありません。武人の道、儒者の道といって二つの道はありません。中国の武道と日本の武道、またどうして二つあるでしょうか。昔の道と今の道も、また変わるはずがありません。『易』に言います。「天の道を立てて陰と陽といい、人の道を立てて仁と義という」。陰陽でなければ天の道は行われず、仁義でなければ人の道は立ちません。人に仁義の道があるのは、天に陰陽があるようなものです。仁は陽の徳であり、義は陰の徳です。仁義のほかに、別に人の道とすべきものはありません。

解説

益軒の反論の核心です。天地の間に道はただ一つで、日本と中国、武人と儒者、昔と今で別々の道があるわけではないと言い切ります。根拠として『易経』説卦伝の「天の道を立てて陰と陽といい、人の道を立てて仁と義という」を引き、仁義こそが人の道のすべてだと説きます。「業界の常識」「うちの流儀」を理由に倫理を曲げてよいという考えに対し、正しさは場所や時代によって変わらないという強い立場です。原則を持つことの大切さを教えます。

この章句が説くこと

道仁義易経普遍原則

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