武家家訓集 / 武田信繁家訓九十九箇条第16〜18条
一大細事、共不可違背御下知事、語曰、水隨方圓之器、 一知行幷不可望御合力事、傳云、無功賞、不義之富禍之媒也、 一不可佗言雜談事、古語曰、貧而無諂、富而無驕、
新字:一大細事、共不可違背御下知事、語曰、水随方円之器、 一知行幷不可望御合力事、伝云、無功賞、不義之富禍之媒也、 一不可佗言雑談事、古語曰、貧而無諂、富而無驕、
書き下し
一、大細事共に御下知に違背すべからざる事。語に曰く、水は方圓の器に隨ふ、と。 一、知行並びに御合力を望むべからざる事。傳に云ふ、功無き賞は、不義の富にして禍の媒なり、と。 一、佗言雜談すべからざる事。古語に曰く、貧しくして諂ふ無く、富みて驕る無し、と。
現代語訳
一、大事も細事も、ともに御下知(主君の命令)に背いてはなりません。「水は、四角い器にも丸い器にも従う」といいます。一、知行や御合力(援助)を望んではなりません。「伝」に「功のない褒賞は、不義の富であり、災いのもとである」とあります。一、よけいな言葉や雑談をしてはなりません。古語に「貧しくても諂わず、富んでも驕らない」とあります。
解説
主君の命令への従順、報酬への節度、無用の雑談の戒めです。水が器の形に従うという句は、命令の大小で態度を変えるなという意味に重ねられています。功なき賞を不義の富とする句は、実績に見合わない報酬を求めることの危うさを示します。無用の言を慎む条には、貧しても諂わず富んでも驕らぬ姿が引かれています。現代では、方針への従い方、報酬を求める姿勢、場にそぐわない発言を慎むことの三つが、信頼される社員の条件として読めます。
この章句が説くこと
下知報酬謙虚雑談不義の富武家家訓集
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