武家家訓集 / 武田信繁家訓九十九箇条序龍山子
一天地之間有萬物、萬物之中有靈長、名此曰人倫、人倫有司業、五常也、六藝也、不可不習、父能傳子能記、與武田信繁有文有武、有禮有義、諱其世子而稱長老、敏而好學、如玉走盤、知雖脫囊、孜々而不倦、誨以九十九件之品目矣、誠韋賢滿籯之訣、孟母斷機之戒、豈遠、學習潤身、與隆於國家、榮茯於子孫、本也、本立而道生則、運乾坤於掌握、通古今於胸中、不亦道乎、吁不出卷而知天下、其唯此一箇矣、大矣哉至矣哉、維時永祿元年戊午蕤賓中澣、龍山子謹而誌、
新字:一天地之間有万物、万物之中有霊長、名此曰人倫、人倫有司業、五常也、六芸也、不可不習、父能伝子能記、与武田信繁有文有武、有礼有義、諱其世子而称長老、敏而好学、如玉走盤、知雖脱嚢、孜々而不倦、誨以九十九件之品目矣、誠韋賢満籯之訣、孟母断機之戒、豈遠、学習潤身、与隆於国家、栄茯於子孫、本也、本立而道生則、運乾坤於掌握、通古今於胸中、不亦道乎、吁不出巻而知天下、其唯此一箇矣、大矣哉至矣哉、維時永禄元年戊午蕤賓中澣、竜山子謹而誌、
書き下し
一天地の間に萬物有り、萬物の中に靈長有り、此れを名づけて人倫と曰ふ。人倫に司業有り、五常なり、六藝なり、習はざるべからず。父能く傳へ子能く記す。武田信繁に與りては、文有り武有り、禮有り義有り。其の世子を諱みて長老と稱す。敏にして學を好み、玉の盤を走るが如し。知は囊を脱すと雖も、孜々として倦まず、誨ふるに九十九件の品目を以てす。誠に韋賢の籯に滿つるの訣、孟母の機を斷つの戒、豈に遠からんや。學習は身を潤し、國家を與隆し、子孫に榮茯するは、本なり。本立ちて道生ずれば則ち、乾坤を掌握に運らし、古今を胸中に通ず。亦た道ならずや。吁、卷を出でずして天下を知るとは、其れ唯だ此の一箇のみ。大なる哉、至れる哉。維れ時に永祿元年戊午蕤賓中澣、龍山子謹みて誌す。
現代語訳
天地のあいだに万物があり、万物のなかに霊妙な長者である人がいます。これを人倫と呼びます。人倫には務めがあり、それが五常であり六芸であって、習わないわけにはいきません。父はよく伝え、子はよく書き留めます。武田信繁は文も武も、礼も義も備えており、その嫡子を名で呼ばず長老と称しています。長老は聡明で学を好み、玉が盤の上を走るように機敏です。才知は袋から錐が突き出るように現れていますが、それでもたゆまず励んでおり、信繁は九十九の品目をもって教え諭しました。これはまことに、韋賢の「籯に満ちる」という教えや、孟母が機を断った戒めにも遠くありません。学び習うことは身を潤し、国家を盛んにし、子孫を栄えさせる根本です。根本が立てば道が生じ、天地を手のひらで動かし、古今を胸中に通じさせることができます。これも道ではないでしょうか。ああ、書物の外へ出なくても天下を知るとは、まさにこの一つのことです。大いなるかな、至れるかな。時は永禄元年(戊午)五月中旬、龍山子がつつしんで記します。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『益軒家訓』幼児須教一学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。必天地聖人の道に背きて、仏氏の教に従ふべからず。若仏氏に従ふ者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。故に天地神明の罪人なるべし。天道は至公にして、其咎なしといへども、恐るべき事なり。但不仁は天の責を身にうけ、子孫に報ふ事影響の如し、畏るべき事の甚しきなり。
-
言志四録・言志晩録 第二十五条 学の次第と本体学に次第有るは、猶ほ弓を執り箭を挟み、引満して発するがごとし。直ちに本体を指すは、猶ほ懸くるに正鵠を以てし、必中を期するがごとし。
-
『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
-
うひ山ぶみ・本文上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、
-
『学則』答屈景山書不佞其の是くの若きを懲り、凡そ師友の素有るに非ずして来たりて相問難する者に値ふ毎に、一切対を置かず。是れ不佞の常なり。不佞往歳蘐園随筆を作る。其の時、識見未だ定まらず、争心未だ消えず。然れども随筆の作は、自ら書して以て自ら翫び、聊か以て間を消すのみにして、初めより以て人に示すに非ざるなり。独り奈んせん、誤りて剞劂の手に堕ち、遂に諸を海内に公にす。海内の諸君子、因りて不佞を弁を好む者と謂ふ。不佞の心に非ざるなり。今来喩を観るに、亦た対を置かざるの例に在り。然りと雖も、足下既に争心無きを以て告げられ、而して君家の先生は乃ち不佞が髫年の時より私心に郷往する所なれば、則ち何ぞ必ずしも恝然たらんや。亦た唯人心の面の如き、不佞豈に能く諸を足下に喩さんや。但だ不佞の李王を取る所以の故を言ひて以て来意に酬いん。其の取舍の如きは、乃ち足下に在り。唯足下之を択べ。
-
『酔古堂剣掃』集法・貨財を積むの心を以て學問を積む貨財を積むの心を以て學問を積み、功名を求むるの念を以て道德を求め、子女を愛するの心を以て父母を愛し、爵位を保つの策を以て國家を保つ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る