武家拾要記抄録 / 明倫篇・手柄の横取りを戒め、士のふるまいを説く
一親の讎を兄弟してうつ人あらば、兄は先太刀を心がけて討べし、弟は留めを指べし、惣じてかたきうちは、留めをさす事定法也、凡士の人をうつ時はかならず詞をかくる事なり、毒飼寢首暗討辻切などは士の爲すべき事にあらず、我身若主君の御手討になさるゝ時、一二間は逃るものなり、其時をのれがさしたる脇指を、左の手にて鞘共にぬきて、近習の人に預くべし、一他人の勞をぬすみ己が功とする事、大なる耻也、殊更拾ひ首に冑を着せ、冑付の首を取たる樣に事〱しくもてなし、後に入子の某と後指をさゝれんこと、淺ましからずや、又軍頭にをゐて口論の事、主君へ對して大なる無禮なり、たとひ常ゝ間あしき人なりとも、尤念比にすべし、且親子兄弟兩國に仕へ、其主人合戰に及びて相あふ時は、たがひに符を取かはして歸るべし、敵の方に親類ありて矢文射こす時は、頭奉行の前にてひらくべし、
新字:一親の讎を兄弟してうつ人あらば、兄は先太刀を心がけて討べし、弟は留めを指べし、惣じてかたきうちは、留めをさす事定法也、凡士の人をうつ時はかならず詞をかくる事なり、毒飼寝首暗討辻切などは士の為すべき事にあらず、我身若主君の御手討になさるゝ時、一二間は逃るものなり、其時をのれがさしたる脇指を、左の手にて鞘共にぬきて、近習の人に預くべし、一他人の労をぬすみ己が功とする事、大なる耻也、殊更拾ひ首に冑を着せ、冑付の首を取たる様に事〱しくもてなし、後に入子の某と後指をさゝれんこと、浅ましからずや、又軍頭にをゐて口論の事、主君へ対して大なる無礼なり、たとひ常ゝ間あしき人なりとも、尤念比にすべし、且親子兄弟両国に仕へ、其主人合戦に及びて相あふ時は、たがひに符を取かはして帰るべし、敵の方に親類ありて矢文射こす時は、頭奉行の前にてひらくべし、
書き下し
一親の讎を兄弟してうつ人あらば、兄は先太刀を心がけて討べし、弟は留めを指べし、惣じてかたきうちは、留めをさす事定法也、凡士の人をうつ時はかならず詞をかくる事なり、毒飼寢首暗討辻切などは士の爲すべき事にあらず、我身若主君の御手討になさるゝ時、一二間は逃るものなり、其時をのれがさしたる脇指を、左の手にて鞘共にぬきて、近習の人に預くべし、一他人の勞をぬすみ己が功とする事、大なる耻也、殊更拾ひ首に冑を着せ、冑付の首を取たる樣に事〱しくもてなし、後に入子の某と後指をさゝれんこと、淺ましからずや、又軍頭にをゐて口論の事、主君へ對して大なる無禮なり、たとひ常ゝ間あしき人なりとも、尤念比にすべし、且親子兄弟兩國に仕へ、其主人合戰に及びて相あふ時は、たがひに符を取かはして歸るべし、敵の方に親類ありて矢文射こす時は、頭奉行の前にてひらくべし、
現代語訳
一つ、親の仇を兄弟で討つ者がいるなら、兄はまず先太刀を心がけて討つべきです。弟は止めを刺すべきです。すべて仇討ちは、止めを刺すことが定法です。およそ士が人を討つときは、必ず言葉をかけるものです。毒を飼う、寝首をかく、闇討ち、辻斬りなどは、士のなすべきことではありません。わが身がもし主君のお手討ちになされるとき、一、二間は逃れるものです。そのとき、自分が差している脇差を、左の手で鞘ごと抜いて、近習の人に預けるべきです。一つ、他人の労を盗んで自分の功とすることは、大きな恥です。ことに拾い首に兜をかぶせ、兜付きの首を取ったかのように仰々しく扱い、後に「入れ子の某」と後ろ指をさされることは、あさましいではありませんか。また軍頭において口論することは、主君に対して大きな無礼です。たとえ普段仲の悪い人であっても、親しくすべきです。また親子兄弟が両国に仕え、その主人が合戦に及んで相対するときは、たがいに符を取り交わして帰るべきです。敵方に親類がいて矢文を射こしてくるときは、頭奉行の前で開くべきです。
解説

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