武家拾要記抄録 / 明倫篇・陣中の礼節と約束を守り通す心
一陣中にをゐては、萬事批判なき樣につゝしむべし、又足半は誰人のはきても無禮とせず、惣じて出陣の時、片時も大將の跡に殘るべからず、歸陣の刻大將の先に歸るべからず。戰場にて命をおしまず合戰すといへども、生死は時の運によれり、忠臣は生死の運を待までもなし、大將馬に離れ給ふ事ある時は、己が馬を進らせ、其身は其所に止りて、むかふ敵を防ぐこと武士の名譽也、敗軍の時味方手負ある時は、其家人をよび出し退かしむべし、若し家人も來らず、其疵大事の手ならばみづから退くべし、敵頻に襲ひ來らば其首をあげ、刀脇指さし物までも添て返すべし、勿論此時敵と鎗を合するは、一入の働き也、一人と軍師を謀りて、彼敗るゝ時は己も亦死し、人と身上をはかりて、彼亡る時は己も亦ほろぶ、一たび人と約諾しては、身を終るまであらためず、一度人と親昵しては、盛衰存亡を以て、心を易へざるは、勇士の道也、
新字:一陣中にをゐては、万事批判なき様につゝしむべし、又足半は誰人のはきても無礼とせず、惣じて出陣の時、片時も大将の跡に残るべからず、帰陣の刻大将の先に帰るべからず。戦場にて命をおしまず合戦すといへども、生死は時の運によれり、忠臣は生死の運を待までもなし、大将馬に離れ給ふ事ある時は、己が馬を進らせ、其身は其所に止りて、むかふ敵を防ぐこと武士の名誉也、敗軍の時味方手負ある時は、其家人をよび出し退かしむべし、若し家人も来らず、其疵大事の手ならばみづから退くべし、敵頻に襲ひ来らば其首をあげ、刀脇指さし物までも添て返すべし、勿論此時敵と鎗を合するは、一入の働き也、一人と軍師を謀りて、彼敗るゝ時は己も亦死し、人と身上をはかりて、彼亡る時は己も亦ほろぶ、一たび人と約諾しては、身を終るまであらためず、一度人と親昵しては、盛衰存亡を以て、心を易へざるは、勇士の道也、
書き下し
一陣中にをゐては、萬事批判なき樣につゝしむべし、又足半は誰人のはきても無禮とせず、惣じて出陣の時、片時も大將の跡に殘るべからず、歸陣の刻大將の先に歸るべからず。戰場にて命をおしまず合戰すといへども、生死は時の運によれり、忠臣は生死の運を待までもなし、大將馬に離れ給ふ事ある時は、己が馬を進らせ、其身は其所に止りて、むかふ敵を防ぐこと武士の名譽也、敗軍の時味方手負ある時は、其家人をよび出し退かしむべし、若し家人も來らず、其疵大事の手ならばみづから退くべし、敵頻に襲ひ來らば其首をあげ、刀脇指さし物までも添て返すべし、勿論此時敵と鎗を合するは、一入の働き也、一人と軍師を謀りて、彼敗るゝ時は己も亦死し、人と身上をはかりて、彼亡る時は己も亦ほろぶ、一たび人と約諾しては、身を終るまであらためず、一度人と親昵しては、盛衰存亡を以て、心を易へざるは、勇士の道也、
現代語訳
一つ、陣中においては、万事に批判(非難)のないよう慎むべきです。また足半(草履の一種)は誰が履いても無礼とはしません。すべて出陣のときは、片時も大将の後に残ってはなりません。帰陣のときは大将より先に帰ってはなりません。戦場で命を惜しまず合戦しても、生死は時の運によります。忠臣は生死の運を待つまでもありません。大将が馬から離れられることがあるとき、自分の馬を差し上げ、その身はそこにとどまって向かう敵を防ぐことは、武士の名誉です。敗軍のとき、味方に負傷者があれば、その家人を呼び出して退かせるべきです。もし家人も来ず、その傷が重いなら自ら退くべきです。敵がしきりに襲って来るなら、(負傷者の)首を挙げ、刀・脇差・差し物まで添えて返すべきです。もちろんこのとき敵と鑓を合わせるのは、ひとしお抜きんでた働きです。一つ、人と軍師(軍略)を謀って、彼が敗れるときは自分も死に、人と身上(身の上)を謀って、彼が滅びるときは自分も滅びます。ひとたび人と約束したら、身を終えるまで改めません。ひとたび人と親しくなったら、盛衰存亡によって心を変えないのが、勇士の道です。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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孟子・公孫丑章句下孟子、平陸に之き、其の大夫に謂いて曰く、「子の持戟の士、一日にして、三たび伍を失わば、則ち之を去るや否や。」曰く、「三たびを待たず。」「然らば則ち子の伍を失うや亦た多し。凶年饑歲には、子の民、老羸は溝壑に轉じ、壯者の散りて四方に之く者、幾千人ぞ。」曰く、「此れ距心の為すを得る所に非ざるなり。」曰く、「今、人の牛羊を受けて之が為に之を牧する者有らば、則ち必ず之が為に牧と芻とを求めん。牧と芻とを求めて得ずんば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦た立ちて其の死を視んか。」曰く、「此れ則ち距心の罪なり。」他日、王に見えて曰く、「王の都を為むる者、臣、五人を知れり。其の罪を知る者は、惟だ孔距心のみ。」王の為に之を誦す。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり。」
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孟子・滕文公章句下公都子曰く、「外人皆、夫子辯を好むと稱す。敢て問う、何ぞや。」孟子曰く、「予豈に辯を好まんや。予已むを得ざればなり。天下の生は久し。一治一亂す。堯の時に當り、水逆行し、中國に氾濫す。蛇龍之に居り、民定まる所無し。下なる者は巢を為り、上なる者は營窟を為る。書に曰く、『洚水、余を警む。』洚水とは、洪水なり。禹をして之を治めしむ。禹、地を掘りて之を海に注ぎ、蛇龍を驅りて之を菹に放つ。水地中由り行く。江・淮・河・漢、是れなり。險阻既に遠く、鳥獸の人を害する者は消ゆ。然る後、人平土を得て之に居る。堯・舜既に没し、聖人の道衰う。暴君代々る作り、宮室を壊して以て汙池と為し、民安息する所無し。田を棄て以て園囿と為し、民をして衣食を得ざらしむ。邪說暴行又作る。園囿・汙池・沛澤多くして禽獸至る。紂の身に及び、天下又大いに亂る。周公、武王を相け、紂を誅し奄を伐ち、三年其の君を討ず。飛廉を海隅に驅りて之を戮す。國を滅ぼす者五十。虎・豹・犀・象を驅りて之を遠ざく。天下大いに悅ぶ。に曰く、『丕いに顯らかなるかな、文王の謨。丕いに承げるかな、武王の烈。我が後人を佑啓し、咸正を以て缺くること無からしむ。』世衰え道微にして、邪說暴行有(また)た作る。臣にして其の君を弒する者之れ有り。子にして其の父を弒する者之れ有り。孔子懼れて春秋を作る。春秋は天子の事なり。是の故に孔子曰く、『我を知る者は、其れ惟だ春秋か。我を罪する者も、其れ惟だ春秋か。』「聖王作らず、諸侯放恣す。處士橫議し、楊朱・墨翟の言、天下に盈つ。天下の言、楊に歸せずんば、則ち墨に歸す。楊氏は我が為にす。是れ君を無みするなり。墨氏は兼愛す。是れ父を無みするなり。父を無みし君を無みするは、是れ禽獸なり。公明儀曰く、『庖に肥肉有り。廄に肥馬有り。民に飢色有り。野に餓莩(ガ・ヒョウ)有り。此れ獸を率いて人を食ましむるなり。』楊墨の道息まざれば、孔子の道著われず。是れ邪說民を誣い、仁義を充塞すればなり。仁義充塞すれば、則ち獸を率いて人を食ましむ。人將に相食まんとす。吾、此が為に懼れ、先聖の道を閑り、楊墨を距ぎ、淫辭を放ち、邪說の者作るを得ざらしむ。其の心に作れば、其の事に害あり。其の事に作れば、其の政に害あり。聖人復た起こるも、吾が言を易えじ。昔者、禹、洪水を抑えて天下平らかなり。周公、夷狄を兼ね猛獸を驅りて、百姓寧し。孔子、春秋を成して、亂臣賊子懼る。詩に云う、『戎狄は是れ膺ち、荊舒は是れ懲らす。則ち我に敢て承ること莫し。』父を無みし君を無みするは、是れ周公の膺つ所なり。我も亦た人の心を正し、邪說を息め、詖(ヒ)行を距ぎ、淫辭を放ち、以て三聖者に承がんと欲す。豈に辯を好まんや。予、已むを得ざればなり。能く言いて楊墨を距ぐ者は、聖人の徒なり。」
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