武家拾要記抄録 / 明倫篇・秘密の扱いと追われる者への処し方
一君の謀は家に論せずといふ、殊更妻妾奴僕の輩は怯き者なれば、意をゆるし後悔すとも益なかるべし、尤君父師の過ちを、他家の人に對していはざる者は忠信也、諸卒以下の人といへども、敵の方に對して惡言をはなたざるは、いにしへの禮義なり、一人を殺したる者ある時、其子細を尋んとする刻、其者出奔し他の家に逃入なば、其所にいたり預けて歸るべし、又我家にかけいる者ある時は、早く裏路より出すべし、若追懸來る者ありて事急なる時は先よく門を守らしめ、さて子細をたづね問べし、其時彼者不義無道の行跡決定せば、頸にして渡すべし、一大科の輩には、みだりに首繩を懸べからず、總じて侍の首に繩をかくる程ならば、早く切て捨べし、殊に囚に對し、雜言するは卑陋至極也、
新字:一君の謀は家に論せずといふ、殊更妻妾奴僕の輩は怯き者なれば、意をゆるし後悔すとも益なかるべし、尤君父師の過ちを、他家の人に対していはざる者は忠信也、諸卒以下の人といへども、敵の方に対して悪言をはなたざるは、いにしへの礼義なり、一人を殺したる者ある時、其子細を尋んとする刻、其者出奔し他の家に逃入なば、其所にいたり預けて帰るべし、又我家にかけいる者ある時は、早く裏路より出すべし、若追懸来る者ありて事急なる時は先よく門を守らしめ、さて子細をたづね問べし、其時彼者不義無道の行跡決定せば、頸にして渡すべし、一大科の輩には、みだりに首縄を懸べからず、総じて侍の首に縄をかくる程ならば、早く切て捨べし、殊に囚に対し、雑言するは卑陋至極也、
書き下し
一君の謀は家に論せずといふ、殊更妻妾奴僕の輩は怯き者なれば、意をゆるし後悔すとも益なかるべし、尤君父師の過ちを、他家の人に對していはざる者は忠信也、諸卒以下の人といへども、敵の方に對して惡言をはなたざるは、いにしへの禮義なり、一人を殺したる者ある時、其子細を尋んとする刻、其者出奔し他の家に逃入なば、其所にいたり預けて歸るべし、又我家にかけいる者ある時は、早く裏路より出すべし、若追懸來る者ありて事急なる時は先よく門を守らしめ、さて子細をたづね問べし、其時彼者不義無道の行跡決定せば、頸にして渡すべし、一大科の輩には、みだりに首繩を懸べからず、總じて侍の首に繩をかくる程ならば、早く切て捨べし、殊に囚に對し、雜言するは卑陋至極也、
現代語訳
一つ、君主の謀は家で論じないといいます。とりわけ妻妾や奴僕の類は臆病な者なので、気を許して後悔しても益はないでしょう。君・父・師の過ちを他家の人に向かって言わない者は忠信です。身分の低い者であっても、敵方に向かって悪口を言わないのは、昔からの礼義です。一つ、人を殺した者がいるとき、その子細を尋ねようとするうちにその者が出奔し、他の家に逃げ込んだなら、その所へ行ってそこに預けて帰るべきです。また自分の家に駆け込んだ者があるときは、早く裏道から出すべきです。もし追いかけて来る者があって事が急なときは、まずよく門を守らせ、そのうえで子細を尋ね問うべきです。そのとき、その者の不義無道の行跡が確定したなら、首にして渡すべきです。一つ、大罪の者には、みだりに首縄をかけてはなりません。すべて侍の首に縄をかけるほどなら、早く斬り捨てるべきです。ことに囚人に対して雑言を言うのは、卑しいことの極みです。
解説

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