武家拾要記抄録 / 明倫篇・大将の三つの評判と良将の謀略・知略
一大將の三つの采幣といふは、平生自國他國共に、武士道上中下批判よき是一つ、人をよくつかふ是二つ、人をよく見知り諸役を勤めさせ、忠節手柄の品にしたがひて、恩賞厚き是三つ也、又大將うたがひある時は士卒必疑ひをなすもの也、かるがゆへに謀豫定まる時は、士卒の心專强し、尤士卒の艱難をみて怠るべからず、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず、人の和は將の謀にしかず、將の謀は勢ひに乘にしかず、己が死を遁れん爲に人質を捨るは將の耻也、をのれが望みありとて主人の先途を見すて、命をおしむは勇士のはぢなり、謀略と云は、大將信ありて士卒うたがはず、城取陣取等まで堅固に構へ、備へをよく立て人數の手組手分手配等、よく調り軍法正しきをいふ、知略と云は良將の方術なり、亂れたる敵を見ては、これに當るに眞を以てし、眞なる敵を見ては、位を以てこれを攻め、伏兵をもつて是をうち、雷皷して追ふの類をいふ、それ良將は內忠信にして禮をつとむ、故にをのづから威ありて、嚴も亦行はれずといふことなし、忠臣は君の威を益す事を思ひて、己が威を益すことを思はず、君の賞を行ひて、をのれが賞を行はずと也、
新字:一大将の三つの采幣といふは、平生自国他国共に、武士道上中下批判よき是一つ、人をよくつかふ是二つ、人をよく見知り諸役を勤めさせ、忠節手柄の品にしたがひて、恩賞厚き是三つ也、又大将うたがひある時は士卒必疑ひをなすもの也、かるがゆへに謀予定まる時は、士卒の心専強し、尤士卒の艱難をみて怠るべからず、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず、人の和は将の謀にしかず、将の謀は勢ひに乗にしかず、己が死を遁れん為に人質を捨るは将の耻也、をのれが望みありとて主人の先途を見すて、命をおしむは勇士のはぢなり、謀略と云は、大将信ありて士卒うたがはず、城取陣取等まで堅固に構へ、備へをよく立て人数の手組手分手配等、よく調り軍法正しきをいふ、知略と云は良将の方術なり、乱れたる敵を見ては、これに当るに真を以てし、真なる敵を見ては、位を以てこれを攻め、伏兵をもつて是をうち、雷鼓して追ふの類をいふ、それ良将は内忠信にして礼をつとむ、故にをのづから威ありて、厳も亦行はれずといふことなし、忠臣は君の威を益す事を思ひて、己が威を益すことを思はず、君の賞を行ひて、をのれが賞を行はずと也、
書き下し
一大將の三つの采幣といふは、平生自國他國共に、武士道上中下批判よき是一つ、人をよくつかふ是二つ、人をよく見知り諸役を勤めさせ、忠節手柄の品にしたがひて、恩賞厚き是三つ也、又大將うたがひある時は士卒必疑ひをなすもの也、かるがゆへに謀豫定まる時は、士卒の心專强し、尤士卒の艱難をみて怠るべからず、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず、人の和は將の謀にしかず、將の謀は勢ひに乘にしかず、己が死を遁れん爲に人質を捨るは將の耻也、をのれが望みありとて主人の先途を見すて、命をおしむは勇士のはぢなり、謀略と云は、大將信ありて士卒うたがはず、城取陣取等まで堅固に構へ、備へをよく立て人數の手組手分手配等、よく調り軍法正しきをいふ、知略と云は良將の方術なり、亂れたる敵を見ては、これに當るに眞を以てし、眞なる敵を見ては、位を以てこれを攻め、伏兵をもつて是をうち、雷皷して追ふの類をいふ、それ良將は內忠信にして禮をつとむ、故にをのづから威ありて、嚴も亦行はれずといふことなし、忠臣は君の威を益す事を思ひて、己が威を益すことを思はず、君の賞を行ひて、をのれが賞を行はずと也、
現代語訳
一つ、大将の三つの采幣(評判・采配)というのは、平生、自国・他国ともに、武士道についての上中下の批判(評判)がよいのが一つ、人をよく使うのが二つ、人をよく見知って諸役を勤めさせ、忠節・手柄の程度に従って恩賞が厚いのが三つです。また大将に疑いがあるときは、士卒も必ず疑いを持つものです。だから謀があらかじめ定まっているときは、士卒の心はもっぱら強くなります。士卒の艱難を見て怠ってはなりません。天の時は地の利に及ばず、地の利は人の和に及ばず、人の和は将の謀に及ばず、将の謀は勢いに乗ることに及びません。自分が死を逃れるために人質を捨てるのは将の恥です。自分に望みがあるからといって主人の大事な場面を見捨て、命を惜しむのは勇士の恥です。謀略というのは、大将に信があって士卒が疑わず、城取り・陣取りなどまで堅固に構え、備えをよく立て、人数の手組・手分け・手配などがよく整い、軍法が正しいことをいいます。知略というのは良将の方術です。乱れた敵を見ては、これに真(正面)であたり、真の敵を見ては、位(威)をもってこれを攻め、伏兵でこれを討ち、雷鼓(太鼓)を鳴らして追う、といった類をいいます。そもそも良将は内に忠信があって礼につとめます。そのため自然に威があり、厳しさも行われないことがないといいます。忠臣は君の威が増すことを思って己の威が増すことを思わず、君の賞が行われることを思って己の賞を行うことを思わない、とのことです。
解説

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