武家須知 / 乱を鎮めるは武、世を治めるは文
又いはく、我國は神代より、武にて治む、我國は武國、もろこしは文國なりと、是又あやまれり、我國も唐土も、亂をしづめるときは武を主とし、世を治めるは文を主とす、我國のはじまり、王化にしたがはぬ人ありしゆへ、武を專ら用られ、それに付武のとゝのひたるを甚ほめ玉ふ言葉もあれど、武計りにて治められたる事さらに見へず、かゝる所を心得たがへ、足利以來戰國打續き、文を離しめて義を失ひ、武計りをたつとみて國を貪りたる人多かりし、此時の風儀を聞き、古よりかゝる國ぞと心得たるなるべし、又我國の人は、武氣自然と盛んなれば、武ばかりたつとむべしといふ說有り、武氣盛んなる國ならば猶更文學を尊み、文武を揃へたるこそよろしかるべき、さかんなる武氣ばかりをそだつべき理なし、
新字:又いはく、我国は神代より、武にて治む、我国は武国、もろこしは文国なりと、是又あやまれり、我国も唐土も、乱をしづめるときは武を主とし、世を治めるは文を主とす、我国のはじまり、王化にしたがはぬ人ありしゆへ、武を専ら用られ、それに付武のとゝのひたるを甚ほめ玉ふ言葉もあれど、武計りにて治められたる事さらに見へず、かゝる所を心得たがへ、足利以来戦国打続き、文を離しめて義を失ひ、武計りをたつとみて国を貪りたる人多かりし、此時の風儀を聞き、古よりかゝる国ぞと心得たるなるべし、又我国の人は、武気自然と盛んなれば、武ばかりたつとむべしといふ説有り、武気盛んなる国ならば猶更文学を尊み、文武を揃へたるこそよろしかるべき、さかんなる武気ばかりをそだつべき理なし、
書き下し
又いはく、我國は神代より、武にて治む、我國は武國、もろこしは文國なりと、是又あやまれり、我國も唐土も、亂をしづめるときは武を主とし、世を治めるは文を主とす、我國のはじまり、王化にしたがはぬ人ありしゆへ、武を專ら用られ、それに付武のとゝのひたるを甚ほめ玉ふ言葉もあれど、武計りにて治められたる事さらに見へず、かゝる所を心得たがへ、足利以來戰國打續き、文を離しめて義を失ひ、武計りをたつとみて國を貪りたる人多かりし、此時の風儀を聞き、古よりかゝる國ぞと心得たるなるべし、又我國の人は、武氣自然と盛んなれば、武ばかりたつとむべしといふ說有り、武氣盛んなる國ならば猶更文學を尊み、文武を揃へたるこそよろしかるべき、さかんなる武氣ばかりをそだつべき理なし、
現代語訳
また言うには、我が国は神代から武で治めてきた、我が国は武国、もろこし(中国)は文国であると。これもまた誤りです。我が国も唐土も、乱を鎮める時は武を主とし、世を治めるのは文を主とします。我が国の始まりには、王化(君主の徳による教化)に従わない人があったため、武が専ら用いられ、それについて武が整っていることを大いにほめられた言葉もありますが、武だけで治められたことはまったく見えません。こうしたところを心得違いし、足利以来、戦国が打ち続き、文を離れて(原文「離しめて」)義を失い、武だけを貴んで国を貪った人が多くありました。この時の風儀を聞いて、古来このような国だと心得たのでしょう。また、我が国の人は武気が自然と盛んなので、武だけを貴ぶべきだという説があります。武気が盛んな国ならなおさら文学を尊び、文武を揃えるのがよいはずで、盛んな武気だけを育てる理由はありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武家須知』・武で取っても、治めるのは文ある人いはく、國郡主、その先祖武功にて、國郡主となり玉ふゆへ、治めるも武をおもにすべしと、此說あやまれり、武にて取たるとて、武にて治むべきといふは、たとへば、金銀にて田畑を買取たる人が、金銀あればこそ此田畑の主となりたれとて、田畑作る道具はこしらへずして、只彌金銀を貴むが如し、武にてとりても、治るは文なるべし、
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『尚武論』・文に偏る害と、封建が武を興す理存するが如く亡きが如し。天運已に改まり、聖賢の力も之を為す能はず。則ち天下已に喪乱に苦しみ、生民自づから塗炭に陥る。又別に王者の起こりて之を救ふ有るを俟つのみ。斉の桓公、未だ必ずしも純ら王道を用ひずと雖も、其の力、天子を翼戴し、天下を一匡す。則ち孔子已に其の仁を与す。蓋し試みる所有ればなり。孟子は却つて之を卑しむ。時世の異なればなり。管仲は三帰反坫の僭有れども、其の仁たるを害せず。若し其の純ならざるを以て之を廃せば、則ち孟子にも亦純ならざる者有り、宜しく廃する所に在るべし。我が邦の用ふる所の儒道は、儒の本原を究めず、変通の道を知らず、唯だ文辞章句を為すのみ。此れを以て聖人の道と為して之を朝廷に用ふれば、則ち搢紳の士は文人たるのみ。搢紳の士既に文人たれば、則ち軟弱に失はざる者幾ど希なり。悪くんぞ孔孟の道たらんや。吁、朝廷是を以て衰微不振に至る、亦悲しむべきかな。更に仏法因果応報の説を用ひて人心を蕩滌するに至り、其の邪説を以て国神を推移し、以て彼は則ち祇侫媚者なりと謂ふ。是に於いて神に賽し仏に佞し、僧を寵し巫を崇め、至らざる所無し。人事の当に務むべきを務めず、国勢奚ぞ失はざるを得んや。我が邦の上古の太平は儒と仏とに由るに非ず、別に所在有るなり。我が邦は固より武国たり、則ち武有りて国昌え、武無ければ則ち国衰ふ。国の興替は唯だ武事の盛衰に在るのみ。国柄を執る者は、宜しく真儒を用ひて武事を輔くべきのみ。古人既に文武を以て之を車の両輪、鳥の両翼に比す。唯だ文を以て武を害すること勿かれのみ。夫れ武士の国に在るは、猶ほ水の地中に在るがごとし。師の卦の象見るべし。往くとして水に非ざる莫く、至る攸として武士にして其の長を用ひざる莫し。諸侯を建てて其の国を治めしむれば、則ち国自づから興り、磐石堅固なり。武国たる所以なり。我が邦、上古は封建、中葉は郡県と為りて、国勢衰弱す。今復た封建と為れば、則ち武道自づから盛んにして、武国の名に適ふ。賀すべく悦ぶべきなり。上古は封建、中葉は郡県とは、何を以て之を言ふ。白石先生曰く、上世の制は、猶ほ三代封建の時のごとし。中世以降は、亦猶ほ漢の初め、兼ねて封建郡県の制を有つがごとし。孝徳の世に迨びて、天下尽く変じ、嬴秦郡県の制と為れり、と。昔、上世に在りて五方の国、各々君長有り、山海の間に散在し、大小強弱、相統一する能はず。神武開国の初め、其の功有るを封ず。
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『学論抄録』・時代で変わる文武の重みと武家の成り立ち孔子豈に独り未だ之を学ばざらんや。将た必ず其の再三問うて措かざるを待ちて後、以て応ずる有るなり。亦た臣の君に対するの礼なり。具眼の儒先の成説已に此くの如し。末学復た何ぞ之れ贅せん。夫れ礼楽は、先王の妙術にして、治道は此に由らざる莫し。軍は是れ五礼の一にして、吉凶賓嘉の四つは、是れ治日の礼、軍は以て乱を戢む。其の軽んずべからざること知るべし。子の慎む所は斎・戦・疾、苟くも慎むこと無くして可ならんや。而して治まれば則ち武衰へ、乱るれば則ち文荒る。理勢の緩急、必ず然らざるを得ざるなり。故に文武の二つは素より軽重無しと雖も、然れども時を済ふの挙は、自ら抑揚有り。此れ政教の異同無きこと能はざる所以なり。按ずるに古に大道・常道の目有り。所謂大とは、小数に対して言ふ。蓋し時王の行ふ所、時俗風を成し、対立する者無きの謂なり。所謂常とは不経に対して言ふ。蓋し先王の建つる所、万世之に依りて易ふべからざるの謂のみ。原ぬるに夫れ我が国上世、細戈千足国と称す。武備の盛んなる、亦た以て知るべし。爾来国人風を成すなり。中葉以降、天下の権、人臣に移り、其の権を握る者、或いは文を以て自ら処り、或いは武を以て自ら処る。蓋し澆季の世、術古に及ばず、所謂文武も亦た先王の旧に非ざるなり。故に文を以て自ら処る者は、早く外患有るを忘れ、淫靡の風従ひて起こる。是を以て永く社稷を保つこと能はず。平相国の如き是れなり。武を以て自ら処る者は、剛烈にして風を損ひ、礼制過朴の弊無きこと能はず。然れども常に戒慎恐懼の意有りて、反って先王の遺旨を存す。是を以て遽かに滅亡の憂ひに至らず。鎌倉氏の如き是れなり。前蹤昭々として見るべし。神祖の運を開くに追び、遠く国初の芳躅を追ひ、近く前代の覆轍を鑑み、武を以て表と為し、文を以て裏と為す。而して玉科金条、標題して武家と曰ふ。恭しく惟みるに皇帝の封冊に曰く、征夷大将軍云々と。所以に、当路の士大夫皆武を以て自ら処り、傍らに儒者を置きて以て顧問に備ふ。官儒と雖も其の始め皆円頂にして僧官に属し、
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『尚武論』・武国日本と、風土に合った道我が邦は武国なり。西土は文国なり。文国は文を尚び、武国は武を尚ぶ、固より其の所なり。何を以て之を言ふ。夫れ上古数百年の間、逆臣凌がず、外寇入らず、上安く下平らかに、四方事無し。其の治、堯舜の世に孰与れぞ。当時、儒道未だ入らず、仏法未だ興らず。何を以て然るか。唯だ武の治のみ。我が邦に武有るは、我が邦自然の道なり。尚ぶべきかな。何を以て其の然るを知る。曰く、瑞穂国とは、米粟狠戻の謂なり。曰く、細戈千足国とは、武器精備の謂なり。武器精しく、米粟足る。武国に非ずして何ぞ。又曰く、礒馭廬島とは、猶ほ西土の丈夫国と曰ふがごとし。丈夫は即ち武夫の称なり。曰く、浦安国とは、外賊侵す能はず、四辺安寧の義を取るなり。此れ則ち此れ武国たる所以なり。余乃ち卦を以て之を推すに、我が邦は震卦に配す。説卦に曰く、震は龍たり、と。西川求林曰く、我が国の形、游龍の象有り、と。真に然り。我が邦は丈夫と称す、猶ほ彼の国の君子と称するがごとし。西土は文国にして、其の邦已に文を主とす、則ち君子を以て尚しと為す。自づから同じからざるのみ。我が邦の武夫、豈に君子を以て之を称すべけんや。彼も又我が邦を称して君子国と曰ふは、自ら尚ぶ所を以て之を称するなり。固より彼と此と別有るを知らざるなり。聖人の道は天に順ひ時に応ず。子丑寅の建正、忠質文の更尚、彼の土に在りて古今異なる。宜しく已に然るべし。況んや我が邦の彼の邦に於けるや、相距たること幾百里、其の風絶異し、人情同じからず。悪くんぞ其の道を同じうするを獲んや。君子は其の教へを修めて其の俗を易へず、其の政を斉へて其の宜しきを易へず。故に我が邦の武は廃棄すべからざるなり。孔子若し桴に乗りて海に浮かび、既に我が方に在らば、則ち必ず武を以て尚しと為さん。未だ必ずしも文を以て尚しと為さず。若し西土の文に拘泥して国土の道に循はず、曰く、我聖人の道を学ぶ、と。豈に之を聖人の道を知ると謂ふべけんや。聖人は礼楽を以て国を治む。彼の国の礼楽は文を主として之を制す、則ち我が邦の礼楽は宜しく武を主として之を制すべきのみ。東涯先生曰く、今日の世に在りては、今日の楽無かるべからず。何ぞ必ずしも前古の楽を襲ひて以て之を今日に用ひんや。聖人作ること有らば、必ず能く当時の楽を制し、当時の人をして視て之を楽しみ、聴きて之を悦ばしめん。亦唯だ世俗の楽に因りて之を文るのみ、と。其の言甚だ善し。然れども未だ彼と此と文武の異有るを論ずるに及ばず。孔子、韶を謂ふ、美を尽くせり、
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『武家須知』・武家と武士の別、文武を兼ねる職分凡そ、拙者に學ばるゝ、武門の衆、第一にとくと、心得らるべき事あり、先づ武門の衆の内に、我は武家なる故に、武將ぞ武士ぞと計りおもひ、いくさにまけぬ心懸さへあれば、是にて、我職分はすむと心得、それゆへ、上に立方も一分の武事の薄きを恥、家中の武事を世話あれども、學問をば、儒者計りの家業ぞと思ひ、國主、郡主、諸士の學問は、たしなみに少し覺ればすむ事と心得、子息兄弟一族家中の學問に精を出すか出さぬかとの吟味はなく、まして、學びかたよき樣にとのせわもあらず、學問うすきを、馬のるすべわるき程には恥かしくおもひ玉はぬ方あるは、甚心得がたき事にて、是第一は主將士、武士のさかひ、はきと辨へなきゆへかと、今先その境ひを、示すこと左の如し、國主、郡主の上に立、天下を治ると敎るを司り玉ひ、大臣、大將、學問所の別當もかね任じおはします御身は、本より將軍職なれば、天下の武士をもすべ玉ふ御事なれども、武計りの御職にあらず、文武をかねたる御職分かとおもはる、
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『尚武論』・太平に慣れて武を忘れる危うさ天下の命をして、独り一人に制せしむ。諸を祖宗の世に致すも、亦猶ほ姓を更め物を改むるがごときなり、云云。吁、封建の政、郡県と為り、国体変ぜり。古は聖王の世、民は戎政に藉り、柄は常に上に在り。故に四方に事有れば、則ち天子親征す。中世に迨び、文辞を弄ぶに至れば、則ち干戈を観ること敵属のごとく、一に之を武臣に委ね、自ら視ること尊大、武臣を卑しみて奴隷と為す。上下隔遠し、文武日に離離たり。武国の実安くに在らんや。是を以て朝廷自づから衰へて武臣興り、国勢も亦変ず。我が邦は武の在る所、則ち勢の存する所なり。武有る者は盛んに、武無き者は衰ふ。帝大友は文なり、竟に天武の武に克つこと能はず。平家は文なり、終に源氏の武に勝つ能はず。南朝は文なり、卒に足利の武に克つ能はず。夫れ新田・楠は武臣なり。躬ら南朝に属すれば、則ち志を得ること克はざるは、勢の自然のみ。或ひと曰く、尊氏の西奔するや、義貞追ひて之を撃たず、殆ど事機を誤れり。楠、奏言して報いられず、憤激して早く歿す。南朝の振はざる所以なり、と。余謂へらく、義貞・正成、知勇有りと雖も、悪くんぞ天の助くる所に勝たんや。天の助くる所は、智も測る能はず、勇も奪ふ能はざるのみ。天の助くる所は、即ち武に在り。神代、諾冊の二神、瓊矛もて天下を定むるも、歴世の久しきに、天下復た乱る。神武天皇、一旦にして之を戡定す。所謂一治一乱是れなり。爾後も亦朝廷文弱、足利氏の季に臻りて、衰乱極まれり。神君龍興するに迨び、其の用ふる所熊羆の士に非ざる莫く、遂に天下を克服して、天下一に帰し、海内安寧、以て今日に至る。亦盛んならずや。是れ則ち天地神明の祐くる所なり。神武天皇の後、亘ること数千載、皇統繁衍し、継続して絶えず。乃ち我が神君の如きも、亦其の種胤にして、奕葉蔓衍して天下に充つ。武徳の盛んなること、実に前古に度越す。神明の祐くる所、以て知るべし。乃ち知る、武威は皇統と並び立つこと幾百万歳、天地と悠久なること、固より占卜を俟たざるなり。唯だ恐る、大平の久しきに、人逸楽に就き、驕奢に流れ、義を忘れ利を求め、実を去りて虚を務め、誠を喪ひて詐を懐き、懋を離れて便に随ひ、其の極み武徳を失ふに至らんことを。今、世上の俗を察するに、僧徒極めて衆くして武士少なく、商賈常に盛んにして農民減じ、游民自づから多くして工職耗す。国自づから貧乏を取る。

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