武家須知 / 国主・郡主の職分は領内を治め教えること
國主、郡主は、一國一郡を申受て其領内を治め敎る職分なり、但昔其先祖は武將計りの家也、武將とは武士計りの頭をいふ、其昔武將計りの家なりし時は、武用計りが職分にて、國を治め人を敎るは、京都より國司と云官人下り、此人これをつとめたれども、近世はすぐに、武將に其國郡を給はり、是を國主郡主といふ、故そのむかし久しく、代々武將となりたる家なれば、やはり武家とはとなへれども、今國主郡主となりては、國司と武將との兩職をかね玉ひ、武士計りの頭にあらず、其國の政がさしあたり第一のおもき職分にて、武計りの職にてはなきかとおもはる、
新字:国主、郡主は、一国一郡を申受て其領内を治め教る職分なり、但昔其先祖は武将計りの家也、武将とは武士計りの頭をいふ、其昔武将計りの家なりし時は、武用計りが職分にて、国を治め人を教るは、京都より国司と云官人下り、此人これをつとめたれども、近世はすぐに、武将に其国郡を給はり、是を国主郡主といふ、故そのむかし久しく、代々武将となりたる家なれば、やはり武家とはとなへれども、今国主郡主となりては、国司と武将との両職をかね玉ひ、武士計りの頭にあらず、其国の政がさしあたり第一のおもき職分にて、武計りの職にてはなきかとおもはる、
書き下し
國主、郡主は、一國一郡を申受て其領内を治め敎る職分なり、但昔其先祖は武將計りの家也、武將とは武士計りの頭をいふ、其昔武將計りの家なりし時は、武用計りが職分にて、國を治め人を敎るは、京都より國司と云官人下り、此人これをつとめたれども、近世はすぐに、武將に其國郡を給はり、是を國主郡主といふ、故そのむかし久しく、代々武將となりたる家なれば、やはり武家とはとなへれども、今國主郡主となりては、國司と武將との兩職をかね玉ひ、武士計りの頭にあらず、其國の政がさしあたり第一のおもき職分にて、武計りの職にてはなきかとおもはる、
現代語訳
国主・郡主は、一国・一郡を受けてその領内を治め教える職分です。ただし昔はその先祖は武将だけの家でした。武将とは武士だけの頭をいいます。その昔、武将だけの家であった時は、武事だけが職分で、国を治め人を教えることは、京都から国司という官人が下ってきて、この人が務めていましたが、近ごろは直接、武将にその国郡を与えられ、これを国主・郡主といいます。そのため、昔から長く代々武将であった家なので、やはり武家とは称しますが、今、国主・郡主となっては、国司と武将の両職を兼ねておられ、武士だけの頭ではありません。その国の政治がさしあたって第一の重い職分で、武だけの職ではないかと思われます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
人物志・材能矯抗の政は、侈を治むるに宜しく、之を以て弊を治むれば則ち残ふ。諧和の政は、新を治むるに宜しく、之を以て旧を治むれば則ち虚し。公刻の政は、姦を糾すに宜しく、之を以て辺を治むれば則ち衆を失ふ。
-
論語・顔淵篇季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「政とは、正なり。子帥いるに正を以てせば、孰か敢えて正しからざらん。」
-
『慎思録』巻之五天地の間、人を殺すこと最も多き者、四件有り。刑・兵・歳・病なり。刑罰を省き曲直を明らかにすれば、則ち寃死無し。乱源を禁遏すれば、則ち兵死無し。歳の凶なるに方りて、窮民を周恤すれば、則ち餓死無し。医を択びて病を済へば、則ち枉死無し。政に従ふ者、知らざるべからず。
-
司馬法・嚴位古自(よ)りの政なり。
-
『慎思録』巻之二政を為すの道は、教養の二者、闕くべからず。二者は養を先と為し、教之に次ぐ。是れ先づ養ひて而る後に教ふるなり。舜は先づ后稷をして民に稼穡を教へしめ、五穀熟して民人育す。而る後に契をして司徒と為し、教ふるに人倫を以てせしむ。此れ養ひて而る後に教ふるなり。既に之を養ひ又之を教へて、民従はず。所以に刑有りて其の罪を正し、民をして教へに従はしむるなり。是を以て舜又皐陶に命じ、士と為りて五刑を司らしむ。其の序の紊るべからざること此くの如し。夫れ後世の政にも、亦た刑法有り。既に刑法有れば、則ち復た先づ教へ無かるべからず。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。此れ以て聖人の政は、養を先にし中ごろ教へ刑を後にす。蓋し既に養ひ且つ教へて、苟も従はざる者有らば、已むを得ずして刑を用ゐるのみ。
-
『慎思録』巻之六君たり吏たる者、卑賤の人に対して、厳威過ぎて高ければ、則ち勢分相隔絶して、下に在る者、其の情を尽くすことを得ずして、下情達せず、其の利害を詳らかにすること能はず。苟も温顔にして言を受くれば、則ち下情通ず。大率政を為すの道は、下情を通ずるを以て善と為す。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る