武事提要 / 武敎之問答・自他を尽くし、博く学んで省みる道
第五、其形其法能して後、戰術、變の用、悉不可負の法、必可勝所を決定する也、必勝の術は奇を以て重とするのことわりあるの傳來を不知也、如此儀を以て其成と不成との事を考みるに、其勤各傳を得て、其功を不得、志所武にして、其勤所薄か、又は弓矢の議論に落在すといへども、今日の事業、朝思暮練の功なきか、或は聞事を得て言事を不得か、言事を得て聞事を不得か、道理穿鑿を好て事跡行跡に心あらざるか、我身の失を不知不覺して、人の失他の非にのみ心あるか、我を知て人を不知か、其段々千差萬別にして一樣ならず、必竟我志を勵し我形を能修して人の善を取、他の惡を見ては我身の戒となし、能自他を盡して道を行ひ、職役分限の則を不越して年月を重ば、終に名譽勇功、志士、賢士、名將、良將、又は善者、賢人、君子、聖人共可被稱事也、只其勤行所、博學審問して、其以後改正省察して、身に行ひ、人に試み不惑不危なり、是則武將の本竟、弓矢長久之通也、
新字:第五、其形其法能して後、戦術、変の用、悉不可負の法、必可勝所を決定する也、必勝の術は奇を以て重とするのことわりあるの伝来を不知也、如此儀を以て其成と不成との事を考みるに、其勤各伝を得て、其功を不得、志所武にして、其勤所薄か、又は弓矢の議論に落在すといへども、今日の事業、朝思暮練の功なきか、或は聞事を得て言事を不得か、言事を得て聞事を不得か、道理穿鑿を好て事跡行跡に心あらざるか、我身の失を不知不覚して、人の失他の非にのみ心あるか、我を知て人を不知か、其段々千差万別にして一様ならず、必竟我志を励し我形を能修して人の善を取、他の悪を見ては我身の戒となし、能自他を尽して道を行ひ、職役分限の則を不越して年月を重ば、終に名誉勇功、志士、賢士、名将、良将、又は善者、賢人、君子、聖人共可被称事也、只其勤行所、博学審問して、其以後改正省察して、身に行ひ、人に試み不惑不危なり、是則武将の本竟、弓矢長久之通也、
書き下し
第五、其形其法能して後、戰術、變の用、悉不可負の法、必可勝所を決定する也、必勝の術は奇を以て重とするのことわりあるの傳來を不知也、如此儀を以て其成と不成との事を考みるに、其勤各傳を得て、其功を不得、志所武にして、其勤所薄か、又は弓矢の議論に落在すといへども、今日の事業、朝思暮練の功なきか、或は聞事を得て言事を不得か、言事を得て聞事を不得か、道理穿鑿を好て事跡行跡に心あらざるか、我身の失を不知不覺して、人の失他の非にのみ心あるか、我を知て人を不知か、其段々千差萬別にして一樣ならず、必竟我志を勵し我形を能修して人の善を取、他の惡を見ては我身の戒となし、能自他を盡して道を行ひ、職役分限の則を不越して年月を重ば、終に名譽勇功、志士、賢士、名將、良將、又は善者、賢人、君子、聖人共可被稱事也、只其勤行所、博學審問して、其以後改正省察して、身に行ひ、人に試み不惑不危なり、是則武將の本竟、弓矢長久之通也、
現代語訳
第五に、その形、その法がよくなってのち、戦術や変の用いかた、ことごとく負けない法を、必ず勝つべきところと決定することです。必勝の術は、奇を重しとする理があるという伝来を知りません。このようなことで、その成ると成らざるを考えてみると、その勤めはそれぞれ伝を得ても、その功を得ず、志すところは武であっても、その勤めるところが薄いか、または弓矢の議論に落ちているか、今日の事業、朝に思い暮れに練る功がないか、あるいは聞くことを得て言うことを得ないか、言うことを得て聞くことを得ないか、道理の穿鑿を好んで事跡・行跡に心がないか、自分の身の失を知らず覚らずに、人の失、他人の非にばかり心があるか、自分を知って人を知らないか、その段々は千差万別で一様ではありません。結局、自分の志を励まし、自分の形をよく修めて、人の善を取り、他人の悪を見ては自分の身の戒めとし、よく自他を尽くして道を行い、職役・分限の則を越えずに年月を重ねれば、ついには名誉・勇功のある志士・賢士・名将・良将、または善者・賢人・君子・聖人とも称されるはずです。ただその勤め行うところは、博く学び審らかに問い、その後に改め正し省み察して、身に行い、人に試み、惑わず危うからずということです。これがすなわち、武将の本意、弓矢長久の通りです。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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