古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

武事提要 / 武敎之問答・根元は同じでも枝葉は育て方で変わる

答云、道德仁義は其條理有功のこと都鄙遠近の差別更無之、然れども其論談講習討論邊土遠境の俗に習べし、是又其根元は同じと云ども、其枝葉には違有之也、たとへば花咲實なる草木も、養育又は手入仕樣摸樣にて其全躰も格別になるものなり、名人の繪、名筆の墨跡たりと云とも、其表具掛取掛樣あしければ奔走無之と同事也、聖人賢人も田舍に住しては、其風躰枝葉の文飾八俗の習し不宜也、因之志士仁人は田舍より都へ出てつとむるを好む事也、廿一問云、我質至愚にあらず、土地も武陽にして然江都に住す、志處兵學にして則當流に歸服す、交人は歷々大身志有之人に侍坐せり、書も聖賢武將の書を取なやみ、數年心身を浸といへども、氣質を不變して師範たらざる事、故ありや、答云、傳來を受るといへども、其實の不及其失あり、先其心掛所に五つの心得あり、第一、敎法形を以て本とし始とするなり、其形正を以て法とし要とする也、兵の四形を敎の始とするなり、武將の形に武將の文飾事實あり、武將の器材、武將の用具各法あり、士業も亦相類して器材用具あり、其形なく其法なくして、何を以て武の名を可言や、第二、古よりの傳來を受といへども、習熟の功なし、依之其實不正也、第三、傳來を受といへども、己が口方理屈を先として其傳に志薄を以て、古來の法に不叶、第四、師の敎武敎にして、なす處武敎にあらず、皆以て武の敎習は、名將良將の士卒を修練令致の事を用來也、是古實舊事をふまへて不致故、武の本意、武の作法、武の事跡に不徹也、

新字:答云、道徳仁義は其条理有功のこと都鄙遠近の差別更無之、然れども其論談講習討論辺土遠境の俗に習べし、是又其根元は同じと云ども、其枝葉には違有之也、たとへば花咲実なる草木も、養育又は手入仕様摸様にて其全体も格別になるものなり、名人の絵、名筆の墨跡たりと云とも、其表具掛取掛様あしければ奔走無之と同事也、聖人賢人も田舎に住しては、其風体枝葉の文飾八俗の習し不宜也、因之志士仁人は田舎より都へ出てつとむるを好む事也、廿一問云、我質至愚にあらず、土地も武陽にして然江都に住す、志処兵学にして則当流に帰服す、交人は歴々大身志有之人に侍坐せり、書も聖賢武将の書を取なやみ、数年心身を浸といへども、気質を不変して師範たらざる事、故ありや、答云、伝来を受るといへども、其実の不及其失あり、先其心掛所に五つの心得あり、第一、教法形を以て本とし始とするなり、其形正を以て法とし要とする也、兵の四形を教の始とするなり、武将の形に武将の文飾事実あり、武将の器材、武将の用具各法あり、士業も亦相類して器材用具あり、其形なく其法なくして、何を以て武の名を可言や、第二、古よりの伝来を受といへども、習熟の功なし、依之其実不正也、第三、伝来を受といへども、己が口方理屈を先として其伝に志薄を以て、古来の法に不叶、第四、師の教武教にして、なす処武教にあらず、皆以て武の教習は、名将良将の士卒を修練令致の事を用来也、是古実旧事をふまへて不致故、武の本意、武の作法、武の事跡に不徹也、

書き下し

答云、道德仁義は其條理有功のこと都鄙遠近の差別更無之、然れども其論談講習討論邊土遠境の俗に習べし、是又其根元は同じと云ども、其枝葉には違有之也、たとへば花咲實なる草木も、養育又は手入仕樣摸樣にて其全躰も格別になるものなり、名人の繪、名筆の墨跡たりと云とも、其表具掛取掛樣あしければ奔走無之と同事也、聖人賢人も田舍に住しては、其風躰枝葉の文飾八俗の習し不宜也、因之志士仁人は田舍より都へ出てつとむるを好む事也、廿一問云、我質至愚にあらず、土地も武陽にして然江都に住す、志處兵學にして則當流に歸服す、交人は歷々大身志有之人に侍坐せり、書も聖賢武將の書を取なやみ、數年心身を浸といへども、氣質を不變して師範たらざる事、故ありや、答云、傳來を受るといへども、其實の不及其失あり、先其心掛所に五つの心得あり、第一、敎法形を以て本とし始とするなり、其形正を以て法とし要とする也、兵の四形を敎の始とするなり、武將の形に武將の文飾事實あり、武將の器材、武將の用具各法あり、士業も亦相類して器材用具あり、其形なく其法なくして、何を以て武の名を可言や、第二、古よりの傳來を受といへども、習熟の功なし、依之其實不正也、第三、傳來を受といへども、己が口方理屈を先として其傳に志薄を以て、古來の法に不叶、第四、師の敎武敎にして、なす處武敎にあらず、皆以て武の敎習は、名將良將の士卒を修練令致の事を用來也、是古實舊事をふまへて不致故、武の本意、武の作法、武の事跡に不徹也、

現代語訳

答えて言います。道徳・仁義は、その条理、有功のことで、都と田舎、遠近の差別はまったくありません。しかし、その論談・講習・討論は、辺土の遠境ではその土地の俗に習うことになります。これもその根元は同じといっても、枝葉には違いがあります。たとえば、花が咲き実がなる草木も、養育や手入れの仕様によって、その全体が格別に変わるものです。名人の絵や名筆の墨跡といっても、その表具や掛け方が悪ければ、奔走(取り上げられること)がないのと同じです。聖人・賢人も田舎に住めば、その風体、枝葉の文飾、八俗(底本のまま)の習いがよろしくありません。このため志士・仁人は、田舎から都へ出て勤めることを好むのです。二十一の問い。私の質は至愚ではなく、土地も武陽(江戸)で、江戸に住んでいます。志すところは兵学で、当流に帰服しました。交わる人は歴々の大身で志のある人の席に侍りました。書も聖賢・武将の書を取り悩み、数年心身を浸してきましたが、気質を変えず、師範になれないのは、わけがあるのでしょうか。答えて言います。伝来を受けていても、その実が及ばない失があります。まず、その心掛けるところに五つの心得があります。第一、教法は形をもって本とし始めとします。その形の正しさをもって法とし、要とします。兵の四形を教えの始めとします。武将の形には、武将の文飾と事実があります。武将の器材、武将の用具にはそれぞれ法があります。士業もまた相類して器材・用具があります。その形がなく、その法がなくて、何をもって武の名を言えるでしょうか。第二、古くからの伝来を受けていても、習熟の功がありません。このため、その実が正しくありません。第三、伝来を受けていても、自分の口先や理屈を先として、その伝に志が薄く、古来の法にかないません。第四、師の教えは武教であるのに、なすところは武教ではありません。すべて武の教習は、名将・良将が士卒を修練させることを用いてきました。これは古実・旧事を踏まえて行わないため、武の本意、武の作法、武の事跡に徹しないのです。

解説

道徳や仁義の根元は都でも田舎でも同じだが、枝葉は育て方や手入れで変わる、と述べます。名画も表具が悪ければ生きないという例えが分かりやすい箇所です。後半の問いでは、学んでも師範になれない理由として、形を整えること、習熟すること、口先の理屈に頼らないこと、教えと行いを一致させることが挙げられます。管理職にとっては、知識を得ただけで満足せず、型、反復、言行一致の三つで実践に落とし込むことが成長の条件だと読めます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る

この章句が説くこと

『武事提要』山鹿高恒枝葉習熟言行一致四形

関連する章句

本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る