武事提要 / 武敎之問答・学ぶ土地を選ぶ、江戸に集まる武の学び
答云、其職業の集會するに隨て、名譽名人も有之事なり、文飾の事は洛陽にあり、此地にをいても其志有之ときは、武の職業も可成ことなれども、其土地武士乏して文飾の人多し、其事目にふれ耳にきくに隨て、武は薄く文は厚くなる也、舟の事は西國四國其外海邊の人に問尋を善とするなり、勿論其處にも、其職役は猶以の事にして、名人功者も有之なり、左なきものにても、船の事によらずして、不叶儀多きこと也、東國の人は陸地のことを用るの功者名人有之也、是又其事の可成により、朝夕の習し事の因所如此也、肥前長崎は異國本朝の大商大賣の交處なれば、其土地商賣に賢し、平世其習なる故に人の心是に移やすし、武の上は江都に集會して、平生の職業皆以武事武役に習、しかれば兵學の執行江都にあらざれば其用不達なり、況や兵學の師として邊鄙遠國の英才賢知と云とも江都に有之師範とは格別品かわるべし、江都の內にても大身に交て師となる人は尚以可然こと也、十七問云、兵學は猶以なり、たとへ外の事にても、邊鄙にして功者と云其名高といへども、江都に出るときは其功を不稱、世人それかと云人もなく平人のどく成行こと如何、
新字:答云、其職業の集会するに随て、名誉名人も有之事なり、文飾の事は洛陽にあり、此地にをいても其志有之ときは、武の職業も可成ことなれども、其土地武士乏して文飾の人多し、其事目にふれ耳にきくに随て、武は薄く文は厚くなる也、舟の事は西国四国其外海辺の人に問尋を善とするなり、勿論其処にも、其職役は猶以の事にして、名人功者も有之なり、左なきものにても、船の事によらずして、不叶儀多きこと也、東国の人は陸地のことを用るの功者名人有之也、是又其事の可成により、朝夕の習し事の因所如此也、肥前長崎は異国本朝の大商大売の交処なれば、其土地商売に賢し、平世其習なる故に人の心是に移やすし、武の上は江都に集会して、平生の職業皆以武事武役に習、しかれば兵学の執行江都にあらざれば其用不達なり、況や兵学の師として辺鄙遠国の英才賢知と云とも江都に有之師範とは格別品かわるべし、江都の内にても大身に交て師となる人は尚以可然こと也、十七問云、兵学は猶以なり、たとへ外の事にても、辺鄙にして功者と云其名高といへども、江都に出るときは其功を不称、世人それかと云人もなく平人のどく成行こと如何、
書き下し
答云、其職業の集會するに隨て、名譽名人も有之事なり、文飾の事は洛陽にあり、此地にをいても其志有之ときは、武の職業も可成ことなれども、其土地武士乏して文飾の人多し、其事目にふれ耳にきくに隨て、武は薄く文は厚くなる也、舟の事は西國四國其外海邊の人に問尋を善とするなり、勿論其處にも、其職役は猶以の事にして、名人功者も有之なり、左なきものにても、船の事によらずして、不叶儀多きこと也、東國の人は陸地のことを用るの功者名人有之也、是又其事の可成により、朝夕の習し事の因所如此也、肥前長崎は異國本朝の大商大賣の交處なれば、其土地商賣に賢し、平世其習なる故に人の心是に移やすし、武の上は江都に集會して、平生の職業皆以武事武役に習、しかれば兵學の執行江都にあらざれば其用不達なり、況や兵學の師として邊鄙遠國の英才賢知と云とも江都に有之師範とは格別品かわるべし、江都の內にても大身に交て師となる人は尚以可然こと也、十七問云、兵學は猶以なり、たとへ外の事にても、邊鄙にして功者と云其名高といへども、江都に出るときは其功を不稱、世人それかと云人もなく平人のどく成行こと如何、
現代語訳
答えて言います。その職業が集まるのに従って、名誉や名人も出るものです。文飾のことは洛陽にあり、この地においても志があれば武の職業もなり得ますが、その土地は武士が乏しく文飾の人が多いのです。目に触れ耳に聞くのに従って、武は薄く文は厚くなります。舟のことは西国・四国その他、海辺の人に尋ねるのがよいことです。もちろんそこにも、職役はなおさらのことで、名人・功者もいます。そうでない者でも、船のことによらずして、なくてはならないことが多いのです。東国の人は陸地のことを用いる功者・名人がいます。これもその事のなりやすさにより、朝夕に習うことの因るところがこのようなのです。肥前の長崎は異国と本朝の大商い・大売りの交わる所なので、その土地は商売に賢いのです。平世にその習いがあるので、人の心もこれに移りやすいのです。武の上は江戸に集会し、平生の職業はみな武事・武役に習います。したがって、兵学の修行は江戸でなければその用が達しません。まして、兵学の師として、辺鄙な遠国の英才・賢知といっても、江戸にいる師範とは格別に品が違います。江戸のうちでも、大身と交わって師となる人はなおさらよいことです。十七の問い。兵学はなおさらのことです。たとえ他の事でも、辺鄙で功者と名高くても、江戸に出たときはその功を称せられず、世人にあの人かと言う人もなく、普通の人のようになってしまうのは、どういうことですか。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
-
『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
-
『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
-
『呻吟語』外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
-
『新書』保傅秦に及びて然らず、其の俗は固より辞譲を貴ぶに非ず、上ぶ所は告訏なり。固より礼義を貴ぶに非ず、上ぶ所は刑罰なり。趙高をして胡亥に傅きて之に獄を教えしめ、習う所は人を斬劓するに非ざれば、則ち人の三族を夷するなり。故に今日位に即き、明日人を射、忠諫する者は之を誹謗と謂い、深く之が為に計る者は之を妖言と謂い、其の人を殺すを視ること艾草菅の若く然り。豈に胡亥の性悪ならんや。其の之を集め道く所以の者、理に非ざる故なり。
-
孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。