武事提要 / 武敎之問答・変事に備える武家の作法と文武の両輪
士生則懸弧、有事在四方、此詩の意も、武の家に男子出生ときは産屋の內に弓をかけ蟇目を射さしむる、皆事の四方にあることを令知、變事不殘請込て如不滯と云事也、されば平生刀脇指をたづさへ、鑓長刀を掛、弓、鐵砲、長柄鑓の飾、門番辻番にも足輕を置、棒三道具に、挑燈、明松、取繩等を指置は、外より見所、武家を顯し指口より奧まで、其用不滯を本とする也、所々に番所番人あらしめ、少も不怠どくするも、皆武家の作法也、殊に途中供廻にも分限次第人馬を召連、手明の人を前後に召連、鑓長刀を持しむる類、皆變の可來を考て、變によつて事を治るの事をあらかじめ計備も、皆其事に滯あらしめまじきため也、是はなるべきことにあらざるの證據也、九問云、文道と武道と兩品なくては不叶と、古來より言傳ることにして、其實何と可相心得事なるや、答云、文道は人道にして、人民の可渡世直なる敎と云なり、則聖人の道にして、古今共に用之の經緯なり、既に事出來すれば變を治る武道と言之、故に古より文武は陰陽にして車の兩輪の如と云、一方かけてはたゝざることを云也、十問云、當流の兵學、山本氏を以て稱之、山本氏の傳如何して如此事成や、
新字:士生則懸弧、有事在四方、此詩の意も、武の家に男子出生ときは産屋の内に弓をかけ蟇目を射さしむる、皆事の四方にあることを令知、変事不残請込て如不滞と云事也、されば平生刀脇指をたづさへ、鑓長刀を掛、弓、鉄砲、長柄鑓の飾、門番辻番にも足軽を置、棒三道具に、挑灯、明松、取縄等を指置は、外より見所、武家を顕し指口より奥まで、其用不滞を本とする也、所々に番所番人あらしめ、少も不怠どくするも、皆武家の作法也、殊に途中供廻にも分限次第人馬を召連、手明の人を前後に召連、鑓長刀を持しむる類、皆変の可来を考て、変によつて事を治るの事をあらかじめ計備も、皆其事に滞あらしめまじきため也、是はなるべきことにあらざるの証拠也、九問云、文道と武道と両品なくては不叶と、古来より言伝ることにして、其実何と可相心得事なるや、答云、文道は人道にして、人民の可渡世直なる教と云なり、則聖人の道にして、古今共に用之の経緯なり、既に事出来すれば変を治る武道と言之、故に古より文武は陰陽にして車の両輪の如と云、一方かけてはたゝざることを云也、十問云、当流の兵学、山本氏を以て称之、山本氏の伝如何して如此事成や、
書き下し
士生則懸弧、有事在四方、此詩の意も、武の家に男子出生ときは産屋の內に弓をかけ蟇目を射さしむる、皆事の四方にあることを令知、變事不殘請込て如不滯と云事也、されば平生刀脇指をたづさへ、鑓長刀を掛、弓、鐵砲、長柄鑓の飾、門番辻番にも足輕を置、棒三道具に、挑燈、明松、取繩等を指置は、外より見所、武家を顯し指口より奧まで、其用不滯を本とする也、所々に番所番人あらしめ、少も不怠どくするも、皆武家の作法也、殊に途中供廻にも分限次第人馬を召連、手明の人を前後に召連、鑓長刀を持しむる類、皆變の可來を考て、變によつて事を治るの事をあらかじめ計備も、皆其事に滯あらしめまじきため也、是はなるべきことにあらざるの證據也、九問云、文道と武道と兩品なくては不叶と、古來より言傳ることにして、其實何と可相心得事なるや、答云、文道は人道にして、人民の可渡世直なる敎と云なり、則聖人の道にして、古今共に用之の經緯なり、既に事出來すれば變を治る武道と言之、故に古より文武は陰陽にして車の兩輪の如と云、一方かけてはたゝざることを云也、十問云、當流の兵學、山本氏を以て稱之、山本氏の傳如何して如此事成や、
現代語訳
「士は生まれれば弧(弓)を懸け、事あれば四方に在り」とあります。この詩の意も、武家に男子が生まれたときは、産屋の内に弓を掛け、蟇目(鳴り鏑の矢)を射させるのは、すべて事が四方にあることを知らせ、変事を残らず受け止めて滞らないようにということです。そうして平生、刀・脇差を携え、槍・長刀を掛け、弓・鉄砲・長柄の槍を飾り、門番・辻番にも足軽を置き、棒や三つ道具、提灯・松明・捕り縄などを指し置くのは、外から見えるところで武家を表し、入口から奥まで、その用が滞らないことを本とするのです。所々に番所・番人を置き、少しも怠らないようにするのも、みな武家の作法です。ことに道中の供回りにも分限に応じて人馬を召し連れ、手の空いた人を前後に連れて槍・長刀を持たせる類は、みな変の来ることを考え、変によって事を治めることをあらかじめ備えておくので、すべてその事に滞りがないようにするためです。これは備えをおろそかにしてよいことではない証拠です。九つ目の問い。文道と武道は両方なくてはならないと昔から言い伝えられていますが、その実際はどう心得ればよいのですか。答えて言います。文道は人道であり、人民が世を渡る直(まっすぐ)な教えをいいます。すなわち聖人の道で、古今ともに用いる経緯(筋道)です。すでに事が起きれば、変を治める武道をいいます。ゆえに古くから、文武は陰陽であり、車の両輪のようだ、一方が欠けては立たないといわれるのです。十の問い。当流の兵学は山本氏をもって称しますが、山本氏の伝はどうしてこのようなことができたのですか。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
-
『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
-
『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
-
『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
-
『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
-
『家道訓』巻之一・総論上一凡、家内の平日の用心は、かねてより早くすべし。第一に、来年の秋までの糧米をそなへ、次に塩醬をたくはへ、脯醢をつくり、薪炭油をかねてよりあつむべし。右の貯なければ、家の計たたず。奴婢をあはれみ、其衣食居処を察して飢寒せしめず、其所を得せしむべし。男女内外の別を正しくし、武士は、鎗長刀弓矢鉄炮杖棒等を、常に便よき所におくべし。常に用ふる器をととのへ備へ、器のそこなへるをば修補し、屋宅蔵庫牆壁の破損せるをはやく修理し、材木竹茅土石を求め貯へ、馬をよく飼ひ、其外、家に飼ふべき畜類をやしなひ、菜蔬草木、時に順つてうゑやしなふべし。蔵のあけたて出し入れを察し、盗賊と火災との用心、つねにきびしくしておこたるべからず。火をふせぐ器なども平日備ふべし。凡家内のこと、つねに心を用ひておこたるべからず。