武事提要 / 武敎之問答・必勝の教えを段階で授ける山本流
答云、山本道鬼は其名世上に流布すること、必勝の術有之て、其形不足なく其用法人に不制を以也、第一三本を以て軍戰の始終を敎、三の采幣を以て將の始の敎となし、それより段々次第を敎、つまる所、必勝離勝にいたらしめ、不足なることは一つとしてなく、しかも士卒あやうからしめざる敎なれば、世以て是を尊敬し人以是を親慕也、十一問云、山本氏は其先牢々の身たり、其後武田家に被召出といへども、大身ならず、其身小にして大の法を敎道ありや習ありや、答云、其身は小身或は一己獨身たりとも、習を得敎を立るに、莫大の大事成共、又は天下の軍用成とも其傳來不叶事なし、其習多言に不渡、其本品々不成、大家小家共に法を立道を行事は同事也、縱大工は其家不持ものも有之といへども、宮殿樓閣神祇佛閣を造營いたし、大身の家作をも思の儘に致成、只是墨曲尺ばかりにして其わたし樣を能鍜練いたせば、不厭不倦して其事成就する也、如是事皆其身大小には不依して其傳其習の傳受有と無と、此兩般によることなりと可知也、十二問云、古より源義經楠正成を以て、弓矢の的當とす、今勘介流を師範の要とするは、義經正成よりまされることにや、答云、義經は其智勇諸人に超たりといへども、其謀正成に不及、正成は其謀比類なしといへども、其備の敎法不全、山本流は法を始に敎、城陣備行を中に敎、戰法必勝を終に敎、其傳來敎法今以て是を師範とす、弓矢の勢、弓矢の作法、此流に比類すべきなき也、十三問云、當流の敎は山本流のみにして、他流は不用や、
新字:答云、山本道鬼は其名世上に流布すること、必勝の術有之て、其形不足なく其用法人に不制を以也、第一三本を以て軍戦の始終を教、三の采幣を以て将の始の教となし、それより段々次第を教、つまる所、必勝離勝にいたらしめ、不足なることは一つとしてなく、しかも士卒あやうからしめざる教なれば、世以て是を尊敬し人以是を親慕也、十一問云、山本氏は其先牢々の身たり、其後武田家に被召出といへども、大身ならず、其身小にして大の法を教道ありや習ありや、答云、其身は小身或は一己独身たりとも、習を得教を立るに、莫大の大事成共、又は天下の軍用成とも其伝来不叶事なし、其習多言に不渡、其本品々不成、大家小家共に法を立道を行事は同事也、縦大工は其家不持ものも有之といへども、宮殿楼閣神祇仏閣を造営いたし、大身の家作をも思の儘に致成、只是墨曲尺ばかりにして其わたし様を能鍜練いたせば、不厭不倦して其事成就する也、如是事皆其身大小には不依して其伝其習の伝受有と無と、此両般によることなりと可知也、十二問云、古より源義経楠正成を以て、弓矢の的当とす、今勘介流を師範の要とするは、義経正成よりまされることにや、答云、義経は其智勇諸人に超たりといへども、其謀正成に不及、正成は其謀比類なしといへども、其備の教法不全、山本流は法を始に教、城陣備行を中に教、戦法必勝を終に教、其伝来教法今以て是を師範とす、弓矢の勢、弓矢の作法、此流に比類すべきなき也、十三問云、当流の教は山本流のみにして、他流は不用や、
書き下し
答云、山本道鬼は其名世上に流布すること、必勝の術有之て、其形不足なく其用法人に不制を以也、第一三本を以て軍戰の始終を敎、三の采幣を以て將の始の敎となし、それより段々次第を敎、つまる所、必勝離勝にいたらしめ、不足なることは一つとしてなく、しかも士卒あやうからしめざる敎なれば、世以て是を尊敬し人以是を親慕也、十一問云、山本氏は其先牢々の身たり、其後武田家に被召出といへども、大身ならず、其身小にして大の法を敎道ありや習ありや、答云、其身は小身或は一己獨身たりとも、習を得敎を立るに、莫大の大事成共、又は天下の軍用成とも其傳來不叶事なし、其習多言に不渡、其本品々不成、大家小家共に法を立道を行事は同事也、縱大工は其家不持ものも有之といへども、宮殿樓閣神祇佛閣を造營いたし、大身の家作をも思の儘に致成、只是墨曲尺ばかりにして其わたし樣を能鍜練いたせば、不厭不倦して其事成就する也、如是事皆其身大小には不依して其傳其習の傳受有と無と、此兩般によることなりと可知也、十二問云、古より源義經楠正成を以て、弓矢の的當とす、今勘介流を師範の要とするは、義經正成よりまされることにや、答云、義經は其智勇諸人に超たりといへども、其謀正成に不及、正成は其謀比類なしといへども、其備の敎法不全、山本流は法を始に敎、城陣備行を中に敎、戰法必勝を終に敎、其傳來敎法今以て是を師範とす、弓矢の勢、弓矢の作法、此流に比類すべきなき也、十三問云、當流の敎は山本流のみにして、他流は不用や、
現代語訳
答えて言います。山本道鬼の名が世に広まっているのは、必勝の術があって、その形に不足がなく、その用法が人に制せられないからです。第一に三本をもって軍戦の始めから終わりを教え、三つの采幣をもって将の始めの教えとし、それから段々と順序を教え、つまるところ、必勝・離勝(底本のまま)に至らせ、不足なことは一つとしてなく、しかも士卒を危うくしない教えなので、世の人はこれを尊敬し、人々が親しみ慕うのです。十一の問い。山本氏はその先、牢々の身(浪人)で、その後、武田家に召し出されたといっても、大身ではありません。その身は小さいのに、大きな法を教える道があり、習いがあったのですか。答えて言います。その身は小身、あるいは一人きりの身であっても、習いを得て教えを立てれば、莫大な大事であっても、あるいは天下の軍用であっても、その伝来がかなわないことはありません。その習いは多言に渡らず、その本もさまざまにはなりません。大家も小家も、法を立て道を行うことは同じです。たとえば大工は自分の家を持たない者もいますが、宮殿・楼閣・神社・仏閣を造営し、大身の家作をも思いのままにできます。ただ墨と曲尺ばかりで、その渡し様をよく鍛錬すれば、飽きず倦まずにその事が成就します。このように、みなその身の大小によらず、その伝・その習いの伝授があるかないか、この二つによると知るべきです。十二の問い。古くから源義経・楠正成を弓矢の的当(手本)としてきました。今、勘介流を師範の要とするのは、義経・正成よりまさっているからですか。答えて言います。義経はその智勇が諸人に超えているといっても、その謀は正成に及びません。正成はその謀が比類ないといっても、その備えの教法が全うされていません。山本流は法を始めに教え、城・陣・備え・行を中に教え、戦法の必勝を終わりに教えます。その伝来の教法は今もこれを師範とし、弓矢の勢い、弓矢の作法は、この流に比べるものがありません。十三の問い。当流の教えは山本流だけで、他流は用いないのですか。
解説

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