武事提要 / 武敎之問答・他を取り入れ実地で通じる学問
答云、當流は一方つかぬ敎にして、他の事をも入又我よりも出すなり、たとへ敵の用に有之とも、可然事は取入用るなり、往古の事、今の事なりとも、勿論名將勇士のいたし方、總じて他所他門の事にても取用て可然事は皆用之也、然ば自分の家にあること、又は自身工夫了簡に出來のことは猶以用て可然こと皆用之也、たとへ古今の事を覺、聖賢の書を常に見聞して、何事にもくらからずと云人にても、當事にくらきは學問にあらず、古事をよく覺たるまで也、古事の書物字書を傍に置、入用のことを引出を口上にて言之までと可心得事なり、誠の學問と云は當役當事にあて通じて事なりやすく、思の外の變事國政にも、又は我終に不知事にても、其理はたり其形宜其用衆人にもすぐる如きは、實地をふむといゝ、學問の要と可存也、依之弓矢の上にても必人數の上に渡して人くるしまず、心よく行る事にして、勝の來り道に叶ふとは皆取用ゆると心得べきなり、七問云、取用事他にあらず、他を不捨、又我にあらず、我を不捨と有之、しからば、目當として勤るは何品何事を以てするや、
新字:答云、当流は一方つかぬ教にして、他の事をも入又我よりも出すなり、たとへ敵の用に有之とも、可然事は取入用るなり、往古の事、今の事なりとも、勿論名将勇士のいたし方、総じて他所他門の事にても取用て可然事は皆用之也、然ば自分の家にあること、又は自身工夫了簡に出来のことは猶以用て可然こと皆用之也、たとへ古今の事を覚、聖賢の書を常に見聞して、何事にもくらからずと云人にても、当事にくらきは学問にあらず、古事をよく覚たるまで也、古事の書物字書を傍に置、入用のことを引出を口上にて言之までと可心得事なり、誠の学問と云は当役当事にあて通じて事なりやすく、思の外の変事国政にも、又は我終に不知事にても、其理はたり其形宜其用衆人にもすぐる如きは、実地をふむといゝ、学問の要と可存也、依之弓矢の上にても必人数の上に渡して人くるしまず、心よく行る事にして、勝の来り道に叶ふとは皆取用ゆると心得べきなり、七問云、取用事他にあらず、他を不捨、又我にあらず、我を不捨と有之、しからば、目当として勤るは何品何事を以てするや、
書き下し
答云、當流は一方つかぬ敎にして、他の事をも入又我よりも出すなり、たとへ敵の用に有之とも、可然事は取入用るなり、往古の事、今の事なりとも、勿論名將勇士のいたし方、總じて他所他門の事にても取用て可然事は皆用之也、然ば自分の家にあること、又は自身工夫了簡に出來のことは猶以用て可然こと皆用之也、たとへ古今の事を覺、聖賢の書を常に見聞して、何事にもくらからずと云人にても、當事にくらきは學問にあらず、古事をよく覺たるまで也、古事の書物字書を傍に置、入用のことを引出を口上にて言之までと可心得事なり、誠の學問と云は當役當事にあて通じて事なりやすく、思の外の變事國政にも、又は我終に不知事にても、其理はたり其形宜其用衆人にもすぐる如きは、實地をふむといゝ、學問の要と可存也、依之弓矢の上にても必人數の上に渡して人くるしまず、心よく行る事にして、勝の來り道に叶ふとは皆取用ゆると心得べきなり、七問云、取用事他にあらず、他を不捨、又我にあらず、我を不捨と有之、しからば、目當として勤るは何品何事を以てするや、
現代語訳
答えます。当流は一方に偏らない教えで、他の事をも入れ、また自分からも出します。たとえ敵が用いていることであっても、ふさわしいことは取り入れて用います。昔の事、今の事であっても、もちろん名将・勇士のやり方、総じて他所・他門の事でも、取り用いてよいことはみな用います。ましてや自分の家にあること、または自身の工夫・了簡から出たことは、なお用いてよいことはみな用います。たとえ古今の事を覚え、聖賢の書を常に見聞きして、何事にも暗くないという人でも、当面の事に暗いのは学問ではありません。古事をよく覚えているだけです。古事の書物や字書を傍らに置いて、入用のことを引き出して口で言うだけと心得るべきです。誠の学問というのは、当役・当事にあてはめて通じ、事がなりやすく、思いのほかの変事・国政、または自分がまったく知らない事でも、その理は足り、その形はよく、その用は衆人にもすぐれるようなことで、実地を踏むといい、学問の要と心得るべきです。そのため、弓矢の上でも、必ず人数の上に渡して人が苦しまず、心よく行われることで、勝ちが来る道にかなうとは、みな取り用いることだと心得るべきです。七、問います。「取り用いる事は他でもなく、他を捨てず、また自分でもなく、自分を捨てずとあります。それでは、目当てとして勤めるのは、どの品、どの事をもってするのでしょうか。」
解説

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『益軒家訓』幼児須教一学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。必天地聖人の道に背きて、仏氏の教に従ふべからず。若仏氏に従ふ者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。故に天地神明の罪人なるべし。天道は至公にして、其咎なしといへども、恐るべき事なり。但不仁は天の責を身にうけ、子孫に報ふ事影響の如し、畏るべき事の甚しきなり。
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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『慎思録』巻之五好んで道学の名を立て、辺幅を修め色荘を務め、美誉を貪り掠むる者は、真知実行に志無し。此れ論ずるに足らずと為す。実に斯の学に志有りと雖も、復た但だ専ら文義を治め典籍に耽りて、終身義理に通暁すること能はざる者は、自ら以て道学を好むと為すと雖も、便ち是れ訓詁の学のみ。且つ曲士の如きは、道を信ずと雖も、然れども拘泥して理に達すること能はず。此れ皆君子の学と為すに足らざるなり。曲士とは是れ偏僻にして理に達せざる者なり。
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