武事提要 / 武家之法式・山本帯刀への処遇と浜松の縄張り
山本晴幸爲には伯父にして兵學之敎達高聽御直參に被召出知行三千石被下之、其比は酒井河內守重忠も五千石の時也、橫須賀衆久世三四郎廣宣、坂部三十郎廣勝兩人共に度々有勇功といへども、其比までは知行三百石宛被下之也、帶刀事は軍戰の事傳來いたしたるに付て、右之通被下之、其後帶刀に君命有之而濱松御城の繩張潤色被仰付之其上同州見付の臺一言坂の方にて鎌田原と云處に城の繩張被仰付之、悉高慮に相叶、則兵學の師範と被仰付之、相州小田原御陣之節、天正十八(庚寅)年、御供勤之、兵學の師範たる者小身にては不叶多き事なりと、度々上意も有之、殊に其身應御意末々は大分御取立御加恩可被仰付之沙汰有之といへども、老翁に付て病死す、帶刀事、實子養子共に無之に付て、跡絶て無之也、右帶刀右馬允康成に仕有之節之古案曰く、
新字:山本晴幸為には伯父にして兵学之教達高聴御直参に被召出知行三千石被下之、其比は酒井河内守重忠も五千石の時也、横須賀衆久世三四郎広宣、坂部三十郎広勝両人共に度々有勇功といへども、其比までは知行三百石宛被下之也、帯刀事は軍戦の事伝来いたしたるに付て、右之通被下之、其後帯刀に君命有之而浜松御城の縄張潤色被仰付之其上同州見付の台一言坂の方にて鎌田原と云処に城の縄張被仰付之、悉高慮に相叶、則兵学の師範と被仰付之、相州小田原御陣之節、天正十八(庚寅)年、御供勤之、兵学の師範たる者小身にては不叶多き事なりと、度々上意も有之、殊に其身応御意末々は大分御取立御加恩可被仰付之沙汰有之といへども、老翁に付て病死す、帯刀事、実子養子共に無之に付て、跡絶て無之也、右帯刀右馬允康成に仕有之節之古案曰く、
書き下し
山本晴幸爲には伯父にして兵學之敎達高聽御直參に被召出知行三千石被下之、其比は酒井河內守重忠も五千石の時也、橫須賀衆久世三四郎廣宣、坂部三十郎廣勝兩人共に度々有勇功といへども、其比までは知行三百石宛被下之也、帶刀事は軍戰の事傳來いたしたるに付て、右之通被下之、其後帶刀に君命有之而濱松御城の繩張潤色被仰付之其上同州見付の臺一言坂の方にて鎌田原と云處に城の繩張被仰付之、悉高慮に相叶、則兵學の師範と被仰付之、相州小田原御陣之節、天正十八(庚寅)年、御供勤之、兵學の師範たる者小身にては不叶多き事なりと、度々上意も有之、殊に其身應御意末々は大分御取立御加恩可被仰付之沙汰有之といへども、老翁に付て病死す、帶刀事、實子養子共に無之に付て、跡絶て無之也、右帶刀右馬允康成に仕有之節之古案曰く、
現代語訳
成氏は山本晴幸にとっては伯父で、兵学の教達が高聴に達し、御直参に召し出されて、知行三千石を下されました。その頃は酒井河内守重忠も五千石の時でした。横須賀衆の久世三四郎広宣、坂部三十郎広勝の両人は、ともにたびたび勇功がありましたが、その頃までは知行三百石ずつを下されていました。帯刀は軍戦のことを伝来していたので、右のとおり下されたのです。その後、帯刀は君命により浜松城の縄張りの潤色を仰せ付けられ、そのうえ同州見付の台、一言坂の方の鎌田原という処に城の縄張りを仰せ付けられ、すべて高慮にかない、すなわち兵学の師範を仰せ付けられました。相州小田原の御陣の際、天正十八(庚寅)年、お供を勤めました。兵学の師範たる者が小身では叶わないことが多い、とたびたび上意もあり、ことにその身も御意に応じ、行く末には大分お取り立て・ご加恩を仰せ付けられるという沙汰もありましたが、老翁のため病死しました。帯刀は、実子・養子ともになかったので、跡が絶えて残っていません。右の帯刀が右馬允康成に仕えていた時の古案(古い書状の控え)に言うには、
解説

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