武学拾粋抄録 / 辨言・職分を尽くして初めて性分を尽くす
吾當謂。人能盡職分之當然。而後能盡性分之本然。學如此而已矣。夫人各有職分。彼其秉耒耜就田畝。胼胝耕耨。拮据收穫。農夫之職也。挈規矩。挾繩墨。斧斤棟梁。刀鋸櫨桷。工匠之職也。遷有無。通饒乏。奔走山海。居積市肆。商賈之職也。至於士則職何所在。曰文武而已矣。今之士謂之武士。則講武事。習戎備。最其本職也。然而爲士者率多狃治安。長奢靡。怯弱惰慢。不復知其職分之所在。夫農荒其職。謂之惰農。工偷其職。謂之濫工。商詭其職。謂之好商。士而瘝其職。抑謂之何邪。且夫農工商賈之不務其職。不過衣食用度之有缺。而士之於職。則治亂安危之所係。寧可以一日廢。而今廢矣。可勝歎乎。高遠士人星野葛山慨其如此也。曩嘗著武學拾粹一書。具擧武士所有事。自士操至用馬。凡八卷。附錄圖一卷。古來式法。細大無遺。於戲。爲士者皆當用心如是。而後爲不愧於職分也已。葛山學博才雋。不惟好武而又好文。不獨務己之職分。而又使人各得其職分。則此書之述。其風勵士習。誰曰淺少。詩曰。赳々武夫。公侯干城。夫惟干城矣。然後謂之能盡其職分也。職分盡矣。而後性分庶平可盡。易曰。聰明睿知。神武而不殺。非盡性分者孰能與於此哉。此則武學之能事畢矣。余甚愛此編。因書持論於端云。文政五年春五月下澣江都 一齋佐藤坦書
新字:吾当謂。人能尽職分之当然。而後能尽性分之本然。学如此而已矣。夫人各有職分。彼其秉耒耜就田畝。胼胝耕耨。拮据収穫。農夫之職也。挈規矩。挟縄墨。斧斤棟梁。刀鋸櫨桷。工匠之職也。遷有無。通饒乏。奔走山海。居積市肆。商賈之職也。至於士則職何所在。曰文武而已矣。今之士謂之武士。則講武事。習戎備。最其本職也。然而為士者率多狃治安。長奢靡。怯弱惰慢。不復知其職分之所在。夫農荒其職。謂之惰農。工偸其職。謂之濫工。商詭其職。謂之好商。士而瘝其職。抑謂之何邪。且夫農工商賈之不務其職。不過衣食用度之有欠。而士之於職。則治乱安危之所係。寧可以一日廃。而今廃矣。可勝嘆乎。高遠士人星野葛山慨其如此也。曩嘗著武学拾粋一書。具挙武士所有事。自士操至用馬。凡八巻。附録図一巻。古来式法。細大無遺。於戯。為士者皆当用心如是。而後為不愧於職分也已。葛山学博才雋。不惟好武而又好文。不独務己之職分。而又使人各得其職分。則此書之述。其風励士習。誰曰浅少。詩曰。赳々武夫。公侯干城。夫惟干城矣。然後謂之能尽其職分也。職分尽矣。而後性分庶平可尽。易曰。聰明睿知。神武而不殺。非尽性分者孰能与於此哉。此則武学之能事畢矣。余甚愛此編。因書持論於端云。文政五年春五月下澣江都 一斎佐藤坦書
書き下し
吾嘗て謂へらく、人能く職分の当然を尽くして、而る後に能く性分の本然を尽くす、学は此くの如きのみ、と。夫れ人各々職分有り。彼の耒耜を秉り田畝に就き、胼胝耕耨し、拮据収穫するは、農夫の職なり。規矩を挈げ、縄墨を挟み、斧斤棟梁、刀鋸櫨桷するは、工匠の職なり。有無を遷し、饒乏を通じ、山海に奔走し、市肆に居積するは、商賈の職なり。士に至りては則ち職何れの所にか在る。曰く、文武のみ、と。今の士は之を武士と謂ふ。則ち武事を講じ戎備を習ふは、最も其の本職なり。然り而して士たる者率ね多く治安に狃れ、奢靡を長じ、怯弱惰慢にして、復た其の職分の在る所を知らず。夫れ農其の職を荒らすは、之を惰農と謂ひ、工其の職を偷むは、之を濫工と謂ひ、商其の職を詭るは、之を好商と謂ふ。士にして其の職を瘝くは、抑も之を何と謂はんや。且つ夫れ農工商賈の職を務めざるは、衣食用度の欠くる有るに過ぎず。而るに士の職に於けるは、則ち治乱安危の係る所、寧んぞ一日も廃すべけんや。而るに今廃せり。歎ずるに勝ふべけんや。高遠の士人星野葛山其の此くの如きを慨くなり。曩に嘗て武学拾粋一書を著し、具さに武士の有事を挙ぐ。士操より用馬に至るまで、凡そ八巻、附録図一巻。古来の式法、細大遺す無し。於戯、士たる者皆当に心を用ふること是くの如くなるべし。而る後に職分に愧ぢずと為すのみ。葛山学博く才雋れ、惟だに武を好むのみならず又文を好み、独り己の職分を務むるのみならず、又人をして各々其の職分を得しむ。則ち此の書の述、其の士習を風励すること、誰か浅少と曰はん。詩に曰く、赳赳たる武夫は、公侯の干城、と。夫れ惟だ干城たり、然る後に能く其の職分を尽くすと謂ふなり。職分尽くして、而る後に性分庶幾くは尽くすべし。易に曰く、聡明叡知、神武にして殺さず、と。性分を尽くす者に非ずんば孰か能く此に与らん。此れ則ち武学の能事畢はれり。余甚だ此の編を愛す。因りて持論を端に書すと云ふ。文政五年春五月下澣、江都、一斎佐藤坦書す。
現代語訳
私はかつてこう考えました。人はその職分の当然を尽くしてこそ、はじめて性分の本然を尽くすことができる。学問とはこのようなものにすぎない、と。人にはそれぞれ職分があります。あの鋤や鍬を取って田畑に赴き、手足にたこができるほど耕し草を取り、ひたすら収穫するのは、農夫の職です。定規やさしがね、墨縄を携え、斧や刀、鋸で棟や梁、垂木を作るのは、職人の職です。有る無しを移し、余りと足りなさを通じ、山海を奔走し、市場に蓄えるのは、商人の職です。では士の職はどこにあるのでしょうか。それは文武にほかなりません。今の士は武士と呼ばれます。武事を講じ軍備を習うことが、最もその本職です。しかるに士はおおむね治安に慣れ、奢りを増し、怯え弱く怠けて、もはやその職分がどこにあるかも知りません。農がその職を荒らすのを怠け者の農といい、職人がその職を盗むのを粗悪な職人といい、商人がその職を偽るのを悪賢い商人といいます。士が自分の職を病ませているのは、いったい何と呼べばよいのでしょうか。そもそも農工商がその職を務めなければ、衣食や日用に不足が出るにとどまります。しかし士の職は、世の治乱・安危がかかるところで、どうして一日でも廃してよいでしょうか。それなのに今は廃しています。嘆かずにいられましょうか。高遠の士人星野葛山はこのことを嘆きました。先に『武学拾粋』という一書を著し、武士のなすべきことを詳しく挙げました。士の操から馬の用い方まで、全八巻、附録の図一巻。古来の式法を細大漏らさず載せています。ああ、士たる者はみなこのように心を用いるべきです。そうしてはじめて職分に恥じないと言えるのです。葛山は学が広く才が優れ、武を好むだけでなく文も好み、自分の職分を務めるだけでなく、人にもそれぞれの職分を得させました。この書の記述が士の風習を励ます働きを、誰が小さいと言えるでしょうか。『詩』に「勇ましい武人は、公侯の防ぎ手」とあります。防ぎ手であってこそ、その職分を尽くしたと言えます。職分が尽くされれば、性分もほぼ尽くせるでしょう。『易』に「聡明で叡智があり、神のように武でありながら殺さない」とあります。性分を尽くす者でなければ、誰がこれに与れるでしょうか。これで武学の務めは尽きます。私はこの書をたいへん愛し、そのため所見を冒頭に書きます。文政五年、春五月の下旬、江戸にて、一斎の佐藤坦が書きました。
解説

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