武学啓蒙 / 論・直道の意地:強きに媚びず弱きを助く
○凡そ、武士には、直道の意地と、云ふものありと、先達の老武者の口傳なり、其事、たとへば、時の勢ひ、さかんに、出頭する人の如きは、我、ずゐぶんと、失禮なきのみを要として、すこしも、無用の、ことばを、つひやさず、追從の、あしらひを、せざるものと、心がくる法なり、是他事にあらず、世すでに、かれの勢ひに、おそれ、媚諂ふもの、多き故に、いらざるわざと、人に、まかれざるとの、意地なり、もし勢ひ、すくなきものに逢ては、少し我を、まげても、憐恕すること、老功の士の、弱者を引立、はたらかす手柄の筋の如く、心がくる法なり、是もまた他事にあらず、世すでに、義氣の人は、乏しく、驕者の、人も、なげに、世を、見くだすを、制するの意地なり、まして善人の不幸、いまだ天運いたらず、志たつとけれども、便あしく、やみ〱と、饑渴にせまり、困窮に及びぬるを、心なき、わかもの、もの云も、いやがる、折からなど、くわしく、其志を察し、一入の方便をも、めぐらし、少し格を、はづしてなりとも、なりだけの、扶助を加へ、其道を、なしとげさすべし、常の儉約は、かゝる道の、手あてにして、佛の、堂塔、供養の功德にも、まさるべし、是も、今さら、新らしき、法にも、あらず、みかた、危き手負は、引かけ、のき、敵に、かこまれたるを、みすてざる、せんさくと、同じ心得と知べし、
新字:○凡そ、武士には、直道の意地と、云ふものありと、先達の老武者の口伝なり、其事、たとへば、時の勢ひ、さかんに、出頭する人の如きは、我、ずゐぶんと、失礼なきのみを要として、すこしも、無用の、ことばを、つひやさず、追従の、あしらひを、せざるものと、心がくる法なり、是他事にあらず、世すでに、かれの勢ひに、おそれ、媚諂ふもの、多き故に、いらざるわざと、人に、まかれざるとの、意地なり、もし勢ひ、すくなきものに逢ては、少し我を、まげても、憐恕すること、老功の士の、弱者を引立、はたらかす手柄の筋の如く、心がくる法なり、是もまた他事にあらず、世すでに、義気の人は、乏しく、驕者の、人も、なげに、世を、見くだすを、制するの意地なり、まして善人の不幸、いまだ天運いたらず、志たつとけれども、便あしく、やみ〱と、饑渇にせまり、困窮に及びぬるを、心なき、わかもの、もの云も、いやがる、折からなど、くわしく、其志を察し、一入の方便をも、めぐらし、少し格を、はづしてなりとも、なりだけの、扶助を加へ、其道を、なしとげさすべし、常の倹約は、かゝる道の、手あてにして、仏の、堂塔、供養の功徳にも、まさるべし、是も、今さら、新らしき、法にも、あらず、みかた、危き手負は、引かけ、のき、敵に、かこまれたるを、みすてざる、せんさくと、同じ心得と知べし、
書き下し
○凡そ、武士には、直道の意地と、云ふものありと、先達の老武者の口傳なり、其事、たとへば、時の勢ひ、さかんに、出頭する人の如きは、我、ずゐぶんと、失禮なきのみを要として、すこしも、無用の、ことばを、つひやさず、追從の、あしらひを、せざるものと、心がくる法なり、是他事にあらず、世すでに、かれの勢ひに、おそれ、媚諂ふもの、多き故に、いらざるわざと、人に、まかれざるとの、意地なり、もし勢ひ、すくなきものに逢ては、少し我を、まげても、憐恕すること、老功の士の、弱者を引立、はたらかす手柄の筋の如く、心がくる法なり、是もまた他事にあらず、世すでに、義氣の人は、乏しく、驕者の、人も、なげに、世を、見くだすを、制するの意地なり、まして善人の不幸、いまだ天運いたらず、志たつとけれども、便あしく、やみ〱と、饑渴にせまり、困窮に及びぬるを、心なき、わかもの、もの云も、いやがる、折からなど、くわしく、其志を察し、一入の方便をも、めぐらし、少し格を、はづしてなりとも、なりだけの、扶助を加へ、其道を、なしとげさすべし、常の儉約は、かゝる道の、手あてにして、佛の、堂塔、供養の功德にも、まさるべし、是も、今さら、新らしき、法にも、あらず、みかた、危き手負は、引かけ、のき、敵に、かこまれたるを、みすてざる、せんさくと、同じ心得と知べし、
現代語訳
○およそ武士には「直道の意地」というものがあると、先達の老武者の口伝です。その事は、たとえば時の勢いが盛んで出世する人に対しては、自分はずいぶんと失礼のないことだけを要とし、少しも無用の言葉を費やさず、追従の応対をしないものと心がける作法です。これは他でもなく、世がすでにその人の勢いを恐れ、媚びへつらう者が多いので、余計なことをと人に混じらない意地です。もし勢いの少ない者に逢っては、少し我を曲げてでも憐れみ許すことを、経験豊かな士が弱者を引き立て働かせる手柄の筋のように心がける作法です。これもまた他でもなく、世がすでに義気の人が乏しく、驕る者が人もなげに世を見下すのを制する意地です。まして善人の不幸で、まだ天運が至らず、志は尊いけれども便がなく、むなしく飢渇に迫られ困窮に及んでいるのを、心ない若者が口をきくのも嫌がる折などに、くわしくその志を察し、ひとしおの方便をもめぐらし、少し格を外れてでも、身分相応の扶助を加え、その道を成し遂げさせるべきです。常の倹約はこのような道のための手当てであり、仏の堂塔・供養の功徳にも勝るでしょう。これも今さら新しい法ではなく、味方の危うい負傷者を引きかけて退き、敵に囲まれた者を見捨てない心遣いと同じ心得と知るべきです。
解説

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『武学啓蒙』・論・陣触れに慌てぬ覚悟と質素の理由按ずるに、太平記に載たる、さしも名高き、六波羅、沒落の條下、苦集滅道より、醒井の、ありさま、飾り本意なし、武士の、般鹽に、備ふべし、近古、戰國にて、ありし代、東國の士に、岡野何某とてあり、其時、人の陣ぶれに、驚さ、あわてたるを、みて、唉ひけるは、さても、各々、かねて、のふ、はやし、連歌、茶の湯、碁、將棊と、たわれあそぶ故、陣ぶれを、さい〱、めつたに、いそがしと、みへたり、われらは、日夜、常に、かくごすれば、別に支度にも、及ばずとなん、其時さへ、ゆだんせし人、多く、ありしにや、方今、昇平年久し、武家、子弟の折檻、尋常にしては、ゆきとゞかざるべし、○武士の高祿を願ふは、榮曜に、ほこり、左右侍妾を、多くし、飲食の、華美を盡さんためにはあらず、事ある時、手勢多く、器械そなわりて、いさぎよき働きせんことを、ほつすればなり、さらば、武士の住居は、美を好まずして、朴實堅固なるを要とすべし、衣服も、少し野なるに近しとも、きやしやなるは忌むべし、長短の裁縫も、かねて、武用の心がけあるべし、朝夕の食事など、隨分、そまつなるに習ふべし、時々、獵漁の、魚鳥類、あるに、まかせて、下々と、同じく、是を食する法なり、常々甘苦寒暖を、與にし、恩惠憐恕を、なすは、別のことに、あらず、我に、よく忠義をなさしむる道なりと、知べし、
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『武学啓蒙』・論・人を見下さず、家の内も律する一には、其人を得て、其利用、製作の、是非、差略をも、せんさくせん、ためなり、又家居、休暇の日の如き、權威あればとて、わけもなく眼下のものを、木の葉の落たるやうにみなし、用向などゝ、こしらへ、面ざるも、自尊と云べし、昔し周公旦といへる人は、天子の叔父にして、しかも天下の大聖なれども、客來れば、ふくみたる食などを吐ても、いんぎんに、あしらひ玉ひしと、苟も道に志ざすもの、人に傲り、人をみくだすまじきこと、思ひやるべし、又武士の怫鬱をとき、悶を遣には、山川阻澤の險に、漁獵するあり、是にて英氣を大にし、骨節を固くするも、亦一術と云べし、最も世間の漫遊、酒色の間行、切に戒むべし、殊に日沒以後は、家居旅夜に論なく、大に不虞の備あるを、武士の、かくごとすゝ所なり、もし我に、さきだちて起、我に、おくれて寐る如きの奴僕は、少しく心を用ひ、憐恕の道あるべし、苟にも、賞罰の法に、あづかることゝ、甘苦を與にするの深義とは、武家の肝要たりと心得べし、又家人の行儀も、大切なりとす、婦人女子の汚名あるも、家姓の瑕瑾なれば、是もまた、法度あるべし、唯女子、柔順の道、其敎、丈夫に同じとは云ず、されど、麻につるゝ蓬にて、古より、武士の、妻女、義を守り、烈を、ふるひし事迹、少なしとせず、是は枝葉の末、瑣々たることに、似たれども、時々、ぎんみ、あるを、よしとす、