武学啓蒙 / 論・日本の武士は武士道を忘れてはならない
○凡そ、物あれば、自然と、其かたありて、唐は、おのづから唐の物ありて、其かた、なきことをあたわず、又、日本は、おのづから、日本の物ありて、日本のかた、なきことをあたわず、時代にも、古は、おのづから古、今はおのづから今にて、其物と、其かたとあるは、自然の道理なり、されば、唐は、いかにもあれ、日本の武士は、行住坐臥、片時も、武士道と云ことを、忘れては、魚の水を、はなるゝ如く、士の規格、くづれて、身立がたし、昔し、大内義隆と云は、大國、二ッも、三ッも、領したる人なりしが、武家ながら、武藝を、きらひ、よろひ、太刀、刀などを、笛鼓に、かへ、日夜亂舞を事とし、左右前後も、これに、ならひ、きやしや、風流の人のみにして、武道の、せんさくするものなく、只、戸田が笛、日乘が鼓など、天下ならびなき、抜藝ども、悉く、此、大内家に、集りたり、そのころ、心ある士いふ、武家の恥辱、これに、すぎたるなしと、そしりしが、ほどなく、其家、滅亡に及べり、是によりて、考へみれば、武門にて、武道を忘れては、大内如きの大名すら、身を、たもちがたし、まして、下々の士人、己が身の上にあるは、いふに及ばず、譜第相傳の君臣と云間には、上下とも、大に、心得あるべき、ことなり、
新字:○凡そ、物あれば、自然と、其かたありて、唐は、おのづから唐の物ありて、其かた、なきことをあたわず、又、日本は、おのづから、日本の物ありて、日本のかた、なきことをあたわず、時代にも、古は、おのづから古、今はおのづから今にて、其物と、其かたとあるは、自然の道理なり、されば、唐は、いかにもあれ、日本の武士は、行住坐臥、片時も、武士道と云ことを、忘れては、魚の水を、はなるゝ如く、士の規格、くづれて、身立がたし、昔し、大内義隆と云は、大国、二ッも、三ッも、領したる人なりしが、武家ながら、武芸を、きらひ、よろひ、太刀、刀などを、笛鼓に、かへ、日夜乱舞を事とし、左右前後も、これに、ならひ、きやしや、風流の人のみにして、武道の、せんさくするものなく、只、戸田が笛、日乗が鼓など、天下ならびなき、抜芸ども、悉く、此、大内家に、集りたり、そのころ、心ある士いふ、武家の恥辱、これに、すぎたるなしと、そしりしが、ほどなく、其家、滅亡に及べり、是によりて、考へみれば、武門にて、武道を忘れては、大内如きの大名すら、身を、たもちがたし、まして、下々の士人、己が身の上にあるは、いふに及ばず、譜第相伝の君臣と云間には、上下とも、大に、心得あるべき、ことなり、
書き下し
○凡そ、物あれば、自然と、其かたありて、唐は、おのづから唐の物ありて、其かた、なきことをあたわず、又、日本は、おのづから、日本の物ありて、日本のかた、なきことをあたわず、時代にも、古は、おのづから古、今はおのづから今にて、其物と、其かたとあるは、自然の道理なり、されば、唐は、いかにもあれ、日本の武士は、行住坐臥、片時も、武士道と云ことを、忘れては、魚の水を、はなるゝ如く、士の規格、くづれて、身立がたし、昔し、大内義隆と云は、大國、二ッも、三ッも、領したる人なりしが、武家ながら、武藝を、きらひ、よろひ、太刀、刀などを、笛鼓に、かへ、日夜亂舞を事とし、左右前後も、これに、ならひ、きやしや、風流の人のみにして、武道の、せんさくするものなく、只、戸田が笛、日乘が鼓など、天下ならびなき、抜藝ども、悉く、此、大内家に、集りたり、そのころ、心ある士いふ、武家の恥辱、これに、すぎたるなしと、そしりしが、ほどなく、其家、滅亡に及べり、是によりて、考へみれば、武門にて、武道を忘れては、大内如きの大名すら、身を、たもちがたし、まして、下々の士人、己が身の上にあるは、いふに及ばず、譜第相傳の君臣と云間には、上下とも、大に、心得あるべき、ことなり、
現代語訳
そもそも物があれば、自然とその型があり、唐は自ずから唐の物があってその型がないことはありえません。また日本は自ずから日本の物があり、日本の型がないことはありえません。時代にも、古は自ずから古、今は自ずから今で、その物とその型があるのは自然の道理です。だから、唐はともかく、日本の武士は、行住坐臥、片時も武士道ということを忘れては、魚が水を離れるようなもので、士の規格が崩れ、身を立てがたくなります。昔、大内義隆という人は、大国を二つも三つも領した人でしたが、武家でありながら武芸を嫌い、鎧・太刀・刀などを笛や鼓に替え、日夜乱舞を事とし、左右前後もこれに倣い、伎者や風流の人ばかりで、武道を詮索する者はなく、ただ戸田の笛、日乗の鼓など、天下に並ぶ者のない抜群の芸人たちがことごとくこの大内家に集まりました。その頃、心ある士が言うには「武家の恥辱で、これにすぎたものはない」と謗りましたが、ほどなくその家は滅亡に及びました。これによって考えてみれば、武門で武道を忘れては、大内ほどの大名ですら身を保ちがたいのです。まして下々の士人が、自分の身の上にあることは言うまでもなく、譜代相伝の君臣の間では、上下ともに大いに心得があるべきことです。
解説

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『武学啓蒙』・論・清明の徳:見られずとも己を欺かぬ武士道武田氏の迹を、ふまず、明德を明にし、世々を、千載に永くする道、皆こゝにあり、唯君たるのみには、あらず、凡そ、人の上にたつもの、儀鑑するにたれり、士は、小祿と云とも、農工商の上にあり、いかんぞ、徒に祿をぬすみ、肱はる、ばかりにて、よしとせん、一隊の上たるも、上にある、天を學ぶ、明淸の德ありて、明中に、人を育、暗裡、心を欺かざる操を、立得べし、況や、それより上なる人、一段高ければ、一段の明あるを、其位に、かなふとするの、道きつと知るべし、されば、古人の語にも淸明、身にあれば、志氣神の如しと、云ふことありて、大小、上下、時處位の差別、利世安民の大業は、企及ばずとも、凡そ、義とする所のものは、此淸明の中より、來るによりて、大なれば大、小なれば小にして、是を、我心に、さぐり問ても、むさき所なく、是を、人に知せても、恥しからず、故に、物ごとに、わたりて、疑念すくなく、卓然公行する場あり、豈、りつぱなる武士道ならずや、諺の、人は武士と、是なり、もし君臣、此際會を得ば、治亂とも、拔群の、はたらきも、立べく、自然の舊弊も、あらたむべし、是を明德、上に照り、忠誠、下に應ずる、大慶の時節と、いふなり、士大夫、こゝに志ざし、幸ひ非常の遇を得て、非常の功を立んと、水ならば、舟楫、旱ならば、雨露とも、なることは、無藝無術にして、其用にたゆべけんや、かね〱思按工夫ありたし、孔子の曰、もし汝を知ることあらば、また何を以てせんやと、此義なり、わけて、家がらなど號稱する、譜第相傳、其國の先君と、ひとしく、はたらきせし子孫の士業、切瑳琢磨、一かたならざること、あらかじめ、心得、知らずんば、あるべからず、
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『武学啓蒙』・論・陣触れに慌てぬ覚悟と質素の理由按ずるに、太平記に載たる、さしも名高き、六波羅、沒落の條下、苦集滅道より、醒井の、ありさま、飾り本意なし、武士の、般鹽に、備ふべし、近古、戰國にて、ありし代、東國の士に、岡野何某とてあり、其時、人の陣ぶれに、驚さ、あわてたるを、みて、唉ひけるは、さても、各々、かねて、のふ、はやし、連歌、茶の湯、碁、將棊と、たわれあそぶ故、陣ぶれを、さい〱、めつたに、いそがしと、みへたり、われらは、日夜、常に、かくごすれば、別に支度にも、及ばずとなん、其時さへ、ゆだんせし人、多く、ありしにや、方今、昇平年久し、武家、子弟の折檻、尋常にしては、ゆきとゞかざるべし、○武士の高祿を願ふは、榮曜に、ほこり、左右侍妾を、多くし、飲食の、華美を盡さんためにはあらず、事ある時、手勢多く、器械そなわりて、いさぎよき働きせんことを、ほつすればなり、さらば、武士の住居は、美を好まずして、朴實堅固なるを要とすべし、衣服も、少し野なるに近しとも、きやしやなるは忌むべし、長短の裁縫も、かねて、武用の心がけあるべし、朝夕の食事など、隨分、そまつなるに習ふべし、時々、獵漁の、魚鳥類、あるに、まかせて、下々と、同じく、是を食する法なり、常々甘苦寒暖を、與にし、恩惠憐恕を、なすは、別のことに、あらず、我に、よく忠義をなさしむる道なりと、知べし、
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『武学啓蒙』・論・国土と時代で武のあり方は変わる按ずるに、毛詩に、物あれば則ありと、又俗諺にも、域異ば歌聲かわるとて、其國土の風俗より、政刑の法律も、輕重の權、時所のつりあひ、少しく差別なきことあたわず、(事は、予が、律令參考に、くはしくのす)況や、唐山と日本、絶域萬里、各ゝ其物の格則、異なるあり、なかんづく、武家古今の別、甚しきをや、此義、さきに予が著せし武夫問對に、のせたれど、今其略をいはゞ、西土にて、易の武人、詩の武夫は、かろからざるにも似たり、我荷古の、物部の神たちも、また貴かりしにや、いづれ彼も此も、時世の勢、上は大聖賢の德あり、下淳朴の質なれば、其事迹、今を以て論ぜば、天地とかわるわけあり、拘われる斯文家、いたづらに古に泥みて今を論じ、小智ある鄕人に唉るゝ、是がためなり、古聖于羽の德はもちろん、それよりの開國創業も、廟廊帷幄の勝算、順天應人の征伐、はげしき血戰は、甚だすくなく、後に征するを人民まちかぬるもあり、戰に及ばずして義に服するもあり、又戰かへるも大略は、所謂前徒戈を倒にするの類にて、取るべきを取る故に、霜後の木葉をふるふにひとし、是善戰者の兵、しかることあり、其善謀の名士太公望の如き、代治まりては、元勳の賞、大國の主たり、名ある從類、卿、もしくば大夫、士、などとなりぬ、其後、年久しくして、漸々に制亂れ、戰國の代にいたり、武士とよぶものは、一時の選兵にて、其職掌いやしく、遂に牛尾火に伍たり、我邦、昔郡縣の時も、武役とて、一切あしがるあしらひなるものゝ如し、武家の代と云こと、あるに及び、大に一變し、物則こゝにしたがひ移れりとす、西土も、六國の末、說客の舌鋒に、紛亂せしこと久し、秦の大豪傑出て、妙計奇術の威、天下を一呑とし、さらに郡縣の治を始めたり、始皇帝の號むべなり、漢の創業やゝ、
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『武学啓蒙』・論・論・根本を正し、幼いうちから導く○凡そ萬のこと、いづれにも、本と、云ものあり、武士の戰場にて、忠節の武功を立るも、皆平常の作法、心がけの、よき故なり、作法心がけの、よきといふは、そのかみ親の訓導にあり、其しこみといふは、書籍をよみ、徃事を知り、又老功の士の場數を經たるに、質し問ひ、昔今唐土大和の形勢を、わきまへたればなり、今川了俊、其子仲秋を戒め云、文道を知らずしては、武道終に勝利を得ずと、さらば文道を學ぶことは、武士の本盾とも云べし、按ずるに、根本を正しくするは、至極の道理なれば、本立て道生ずとも、本あるものは、云々などありて、古聖賢の大道も、是を緊要の旨とす、忠といひ、孝と云も、畢竟本の字より、生じ、きたる、されば、世の諺に、一年の計は、元旦にありとも、又虎の子の初生に、其きざしをねらひ、鷹の子の初生に、餌む姿を、ゑらぶ談あれば、武門の子弟も、早く其性の近き所より、みちびき、邪を抑へ、正を揚、勇氣を養ひ、詐いつわりを退け、戲遊も、はま弓、竹馬の、業によせ、言語も、少しづゝなりとも、武義にはこび、下流に流るゝことを防ぐべし、是西土の武官とちがひ、政事に與かる、大業あればなり、もつとも親の子を愛する、天性なれば、いづくいかなる親も、克子を欲せざるは、なきこと、天下一同なれども、只一時の愛に溺れ、彼まだ稚と、ゆるし、是は小惡と、ゆるすより、多く驕子となることあり、小事の、つもれるも、山となり、兩葉を、きらざれば、斧柯も、及びがたきに、いたり、わがまゝ無法、手にも、あまり、世にも、いれがたく、早きも天倫の義を絶ち、後れて家を、くつがへす、なんぎあり、愼まずんばあるべからず、