武学啓蒙 / 論・論・学びの大切さと孝行の日課
孔子の曰く、少くして、習ひ慣しことは、自然のやうなりと、苦勞なく、おぼゆるを、いふなり、左氏傳に、子を愛めば、是に敎るに、義方を以てし、邪に、いれざるやうに、すべしと、書の說命に、人は多聞を求めて、事を建つ、古訓に學て、獲ることあり、事〱古の道を、師とせずして、世を永くするは、說が、きく所に、あらずと、又論語に、此上もなき仁を好みても、知を好ても、信を好ても、直を好ても、勇を好ても、學と云ものを、好まざれば、ものごと、一偏に、かたよりて、蔽あることを、免れずとあり、さらば、人の生質伶俐とても、先言、往行を知る、學問に、あらざれば、全躰の道理に、くらき所ありて、天下國家の、大事の用には、立にくき、わけ、あれば、なり、さて又、人と、なりての作法、品多し、大抵、上は國家の令條より、家々の先規等、慎み守るべき、法度あるは、いふに及ばず、凡そ、朝に、はやく、おき、てあらひ、くちすゝぐより、髮を櫛し、衣服を整へ、用具を、こゝろへ、君父、祖先の恩を、念ふは勿論、此身躰髮膚、すべて、父母に、受たる、大せつなる、ものなれば、恥を、かゝず、毀ひ傷ることなき、孝の始めより、何とぞ、身を立、道を行なひ、名を後世に、あげ、前を光し、後を曜よくせんと、朝ごとに、此志願を、發し、是より父母の安否を問ひ、きげんを覘ひ、行も住るも、とにかく、父母の、あんど、
新字:孔子の曰く、少くして、習ひ慣しことは、自然のやうなりと、苦労なく、おぼゆるを、いふなり、左氏伝に、子を愛めば、是に教るに、義方を以てし、邪に、いれざるやうに、すべしと、書の説命に、人は多聞を求めて、事を建つ、古訓に学て、獲ることあり、事〱古の道を、師とせずして、世を永くするは、説が、きく所に、あらずと、又論語に、此上もなき仁を好みても、知を好ても、信を好ても、直を好ても、勇を好ても、学と云ものを、好まざれば、ものごと、一偏に、かたよりて、蔽あることを、免れずとあり、さらば、人の生質伶俐とても、先言、往行を知る、学問に、あらざれば、全体の道理に、くらき所ありて、天下国家の、大事の用には、立にくき、わけ、あれば、なり、さて又、人と、なりての作法、品多し、大抵、上は国家の令条より、家々の先規等、慎み守るべき、法度あるは、いふに及ばず、凡そ、朝に、はやく、おき、てあらひ、くちすゝぐより、髪を櫛し、衣服を整へ、用具を、こゝろへ、君父、祖先の恩を、念ふは勿論、此身体髪膚、すべて、父母に、受たる、大せつなる、ものなれば、恥を、かゝず、毀ひ傷ることなき、孝の始めより、何とぞ、身を立、道を行なひ、名を後世に、あげ、前を光し、後を曜よくせんと、朝ごとに、此志願を、発し、是より父母の安否を問ひ、きげんを覘ひ、行も住るも、とにかく、父母の、あんど、
書き下し
孔子の曰く、少くして、習ひ慣しことは、自然のやうなりと、苦勞なく、おぼゆるを、いふなり、左氏傳に、子を愛めば、是に敎るに、義方を以てし、邪に、いれざるやうに、すべしと、書の說命に、人は多聞を求めて、事を建つ、古訓に學て、獲ることあり、事〱古の道を、師とせずして、世を永くするは、說が、きく所に、あらずと、又論語に、此上もなき仁を好みても、知を好ても、信を好ても、直を好ても、勇を好ても、學と云ものを、好まざれば、ものごと、一偏に、かたよりて、蔽あることを、免れずとあり、さらば、人の生質伶俐とても、先言、往行を知る、學問に、あらざれば、全躰の道理に、くらき所ありて、天下國家の、大事の用には、立にくき、わけ、あれば、なり、さて又、人と、なりての作法、品多し、大抵、上は國家の令條より、家々の先規等、慎み守るべき、法度あるは、いふに及ばず、凡そ、朝に、はやく、おき、てあらひ、くちすゝぐより、髮を櫛し、衣服を整へ、用具を、こゝろへ、君父、祖先の恩を、念ふは勿論、此身躰髮膚、すべて、父母に、受たる、大せつなる、ものなれば、恥を、かゝず、毀ひ傷ることなき、孝の始めより、何とぞ、身を立、道を行なひ、名を後世に、あげ、前を光し、後を曜よくせんと、朝ごとに、此志願を、發し、是より父母の安否を問ひ、きげんを覘ひ、行も住るも、とにかく、父母の、あんど、
現代語訳
孔子の言う、少くして習い慣れたことは自然のようになる、というのは、苦労なく覚えられることをいうのです。『左氏伝』には、子を愛するならこれに義方(正しい道)を教え、邪に入らないようにすべきだ、とあります。『書経』の説命には、人は多くを聞くことを求めて事を立て、古訓に学んで得るところがある、何事も古の道を師とせずに世を永く保つことは、説(傅説)の聞いたところではない、とあります。また『論語』には、この上ない仁を好んでも、知を好んでも、信を好んでも、直を好んでも、勇を好んでも、学というものを好まなければ、物事が一方に偏って弊害のあることを免れない、とあります。それならば、人の生まれつきが利発であっても、先人の言葉や行いを知る学問がなければ、全体の道理に暗い所があって、天下国家の大事に役立ちにくいわけだからです。さてまた、人となっての作法は種類が多く、大抵、上は国家の令条から、家々の先例など、慎み守るべき法度があるのはいうまでもなく、おおよそ、朝に早く起き、手を洗い口をすすぐことから、髪を櫛けずり、衣服を整え、用具を心得、君・父・祖先の恩を思うのは勿論、この身体髪膚はすべて父母から受けた大切なものですから、恥をかかず、毀ち傷つけることのない孝の始めから、何とぞ身を立て、道を行い、名を後世に上げ、前を光らせ後を輝かせようと、朝ごとにこの志願を発し、それから父母の安否を問い、機嫌をうかがい、行くにも留まるにも、とにかく父母が安堵(次へ続く)
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『慎思録』巻之四善く学ぶ者は、志倦まず、心盈たず。一善の聞かず、一理の知らざること、歉然として飲食の飽かざるが如し。此れ何に繇りて然るや。誠に道は限り無くして、事は尽くること無きを以てなり。君子の平居無事の時に当たりては、大率衆人と異なること無し。艱難多事に遇ひて、而る後に其の才器の蘊蓄する所、優れて且つ長ずることを見る。所謂盤根錯節に遇はざれば、以て利器を別つに足ること無きなり。
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『文武訓』文訓下一世の中に、生れつきすなほなれども書を読まず、又書は読めど道に志なき人あり、をしむべし。つとめて書を読み、道に志あれども、正学のすぢを知らずして、身ををはるまで大道にうとき人あり。是亦をしむべし。是皆聰明の足らざる故なり。
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『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
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『文武訓』文訓上是、井蛙の大海を知らざるにたとふべし。孔孟のをしへ、皆博学を以てさきとし給ふを以て、其非を知るべし。聖人の道は広大精微なり。今の人の食物の料理本、なぞなぞの本などのやうなる事にては、其道理知りがたかるべし。一詩を作り文をよむ事をきらふは、人々の生れつきによりて、其このみきらふこと、各かはれること、たとへば、上戸下戸の、酒をこのみきらふことかはれるが如くなれば、さもあらばあれ、只学問をきらふことは、心にも忌み口にもはばかるべし。いかんとなれば、学問とはなにごとぞや、おやに孝を行ひ、君に忠をなし、凡、人倫にまじはりて、義理を行はんがためなり。此道を、古の聖人のをしへおき給へるを、まなぶを云ふにあらずや。
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