武道初心集 / 文雅三
偏へに清閑自然の象を樂しむを以て。本意と仕り候へば。武士道の氣味を甘なふ爲の。助け共可罷成樣にも被存候。然ればたとひ茶たつる所をしつらひ候共。新筆の掛物。今燒の茶入茶碗。土罐子等の輕き茶具を用ひて。侘茶の湯を樂むほどの義は。惡しきにあらず候。然れ共萬事輕きが重くはなり易く。程なく奢が付て。人の所持致す芦屋の釜を見ては。手前の土釜がいやになり。それにつれて一切の茶具共に。次第に好ものを欲しくなり。いつしか掘出しの心懸となり。目利を仕習ひ。價少なにて。宜しき道具を取出す分別を仕り。或は人の許に。何ぞしほらしき物もあれば。平所望を仕り。又は道具替などに致すとても。我が方へ德を取る分別を專一と仕り。悉皆とり賣中買など申す。町人の意地に均しき樣子にて。武士道の正義を取失ひ。大きに惡しき人柄と罷成候。左樣の數奇者とならむよりは。一向茶道不案內にて。濃茶とやらんはいか樣に飮といふを。存ぜぬ程の不調法にても。それは武士道の抑へには成らぬ事に候。初心の武士心得のため仍如件。おろかなる筆のすさみも直かれと子をおもふ親のかたみとは見よ
新字:偏へに清閑自然の象を楽しむを以て。本意と仕り候へば。武士道の気味を甘なふ為の。助け共可罷成様にも被存候。然ればたとひ茶たつる所をしつらひ候共。新筆の掛物。今焼の茶入茶碗。土罐子等の軽き茶具を用ひて。侘茶の湯を楽むほどの義は。悪しきにあらず候。然れ共万事軽きが重くはなり易く。程なく奢が付て。人の所持致す芦屋の釜を見ては。手前の土釜がいやになり。それにつれて一切の茶具共に。次第に好ものを欲しくなり。いつしか掘出しの心懸となり。目利を仕習ひ。価少なにて。宜しき道具を取出す分別を仕り。或は人の許に。何ぞしほらしき物もあれば。平所望を仕り。又は道具替などに致すとても。我が方へ徳を取る分別を専一と仕り。悉皆とり売中買など申す。町人の意地に均しき様子にて。武士道の正義を取失ひ。大きに悪しき人柄と罷成候。左様の数奇者とならむよりは。一向茶道不案内にて。濃茶とやらんはいか様に飲といふを。存ぜぬ程の不調法にても。それは武士道の抑へには成らぬ事に候。初心の武士心得のため仍如件。おろかなる筆のすさみも直かれと子をおもふ親のかたみとは見よ
書き下し
偏へに清閑自然の象を樂しむを以て。本意と仕り候へば。武士道の氣味を甘なふ爲の。助け共可罷成樣にも被存候。然ればたとひ茶たつる所をしつらひ候共。新筆の掛物。今燒の茶入茶碗。土罐子等の輕き茶具を用ひて。侘茶の湯を樂むほどの義は。惡しきにあらず候。然れ共萬事輕きが重くはなり易く。程なく奢が付て。人の所持致す芦屋の釜を見ては。手前の土釜がいやになり。それにつれて一切の茶具共に。次第に好ものを欲しくなり。いつしか掘出しの心懸となり。目利を仕習ひ。價少なにて。宜しき道具を取出す分別を仕り。或は人の許に。何ぞしほらしき物もあれば。平所望を仕り。又は道具替などに致すとても。我が方へ德を取る分別を專一と仕り。悉皆とり賣中買など申す。町人の意地に均しき樣子にて。武士道の正義を取失ひ。大きに惡しき人柄と罷成候。左樣の數奇者とならむよりは。一向茶道不案內にて。濃茶とやらんはいか樣に飮といふを。存ぜぬ程の不調法にても。それは武士道の抑へには成らぬ事に候。初心の武士心得のため仍如件。おろかなる筆のすさみも直かれと子をおもふ親のかたみとは見よ
現代語訳
ひたすら清閑自然のありさまを楽しむことを本意としていますから、武士道の気味を味わうための助けともなりそうに思われます。ですから、たとえ茶をたてる場所をしつらえるとしても、新しい筆の掛物、今焼の茶入や茶碗、土の釜子などの軽い茶具を用いて、侘茶の湯を楽しむほどのことは、悪くはありません。しかし、万事、軽いものが重くなりやすく、ほどなく奢りがつき、人の持っている芦屋の釜を見ては、自分の土の釜が嫌になり、それにつれて一切の茶具に、次第によいものがほしくなり、いつしか掘り出し物の心がけになり、目利きを仕習い、安い値でよい道具を取り出す分別をしたり、あるいは人の家に何かしおらしい物があれば、無理に所望し、または道具替えなどをするにしても、自分のほうで得をする算段を第一とし、すっかり取り売り・中買いなどと言う町人の根性に等しいありさまで、武士道の正義を取り失い、大いに悪い人柄になってしまいます。そのような数寄者となるよりは、いっこうに茶道に不案内で、濃茶とやらをどのように飲むのかを知らないほどの不調法でも、それは武士道の妨げにはなりません。初心の武士の心得のために、以上のとおりである。おろかな筆のすさびも、直してください、子を思う親の形見だと思って見てください。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一万(よろ)づの芸能も、武道奉公(ぶどうほうこう)の為にと心に構えてすれば、用に立ちてよきなり。多分(たぶん)芸好(げいずき)になるものなり。学問など就中(なかんずく)危(あや)うきなり。
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大学財を生ずるに大道有り。之を生ずる者衆(おお)くして、之を食らう者寡(すくな)く、之を為す者疾(と)くして、之を用いる者舒(ゆるや)かなれば、則ち財恒(つね)に足る。仁者は財を以て身を発(ひら)き、不仁者は身を以て財を発く。未だ上(かみ)仁を好んで下(しも)義を好まざる者は有らざるなり。未だ義を好んで其の事終えざる者は有らざるなり。未だ府庫(ふこ)の財其の財に非ざる者は有らざるなり。
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葉隠・聞書第一武芸に貪着(とんじゃく)して、弟子など取りて武士を立つると思う人多し。骨を折りて、ようやく芸者(げいしゃ)にならるるは惜しき事なり。芸能は事欠かぬ分に仕習(しなら)うて済む事なり。総じて多能なる者は下劣に見え、肝要の所が大方(おおかた)になるものなり。
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呂氏春秋・貴生⑥凡そ聖人の動作するや、必ず其の之く所以と其の為す所以とを察す。今、此に人有り、隨侯の珠を以て、千仞の雀を彈てば、世必ず之を笑わん。是れ何ぞや。用いる所の重くして、要する所の輕ければなり。夫れ生は豈に特に隨侯の珠の重きのみならんや。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「大人なる者は、言必ずしも信ならず。行い必ずしも果ならず。惟だ義の在る所のままなり。」
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啓発録・勉學詩文や読書は右学問の具と申すものにて、刀の欄鞘や二階の階梯の如きものなり。詩文読書を学問と心得候は、恰も欄鞘を刀と心得、階梯を二階と存候と同じ、浅鹵粗鹵の至りに候。
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