呂氏春秋 / 貴生⑥
凡聖人之動作也,必察其所以之與其所以為。今有人於此,以隨侯之珠彈千仞之雀,世必笑之,是何也?所用重,所要輕也。夫生豈特隨侯珠之重也哉?
新字:凡聖人之動作也,必察其所以之与其所以為。今有人於此,以随侯之珠弾千仞之雀,世必笑之,是何也?所用重,所要軽也。夫生豈特随侯珠之重也哉?
書き下し
凡そ聖人の動作するや、必ず其の之く所以と其の為す所以とを察す。今、此に人有り、隨侯の珠を以て、千仞の雀を彈てば、世必ず之を笑わん。是れ何ぞや。用いる所の重くして、要する所の輕ければなり。夫れ生は豈に特に隨侯の珠の重きのみならんや。
現代語訳
そもそも聖人が行動するときは、必ず自分がどこへ向かい、何のためにそうするのかを見きわめる。いま、ここに人がいて、隨侯の珠(天下の名玉)を弾にして高い所の雀を撃ち落とそうとすれば、世間は必ずこれを笑うだろう。なぜか。用いる物(名玉)が貴重なのに、得ようとする物(雀)がつまらないからだ。ところで、生命は、隨侯の珠が貴重だという程度どころではなく、比べものにならないほど貴いのである。
解説
この段は、隨侯の珠で雀を撃つという有名なたとえで、手段と目的の釣り合いを説きます。天下の名玉を弾丸にしてちっぽけな雀を狙えば、誰もが愚かだと笑います。用いる物が貴く、得る物が軽いからです。呂氏春秋はここから、生命は名玉よりはるかに貴いのだから、つまらない名利のために生を費やすのはこの愚か者以上に愚かだ、と暗に諭します。聖人は行動の前に、その目的と代償を必ず見きわめると説く点も要点です。現代でも、費やす資源(時間・健康・命)に見合わない目的を追っていないか、コストと目的の重さを比べる判断の指針として読むことができます。
この章句が説くこと
貴生随侯の珠手段と目的たとえ名利聖人
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