武道初心集 / 假威竊威一
奉公いたす武士の上には。主君の威を假ると申す義も有之。又主君の威を竊むと申す義も有之候。主君の御身の上にても。家來に威を貸し被成と申義も有之。又家來に威を竊まれさせ玉ふと申義も有之候。其故如何となれば。何ぞ重き職役に預る武士。其身年若きか。又は小身なるか。扨は家中の風俗。時の樣子に因りては。主君の威光を笠に着て。相働かねばならぬ事有之。本より上の御爲なるを以て。しばらく主君の威光を借受。其事を取計らひ候。是を名付て主君の威を假るとは申すにて候。主君の威光を借り奉り。諸人の用ひも出來。御用の辨じ候程にさへ相成候はゞ。早速其威光を返進仕り。自分其職役相當の權を以て。愼み勤めてこそ尤の義なるを諸傍輩を初め。他所他門の者までも。誰殿の御內の誰さまと申す尊敬に預り。內證の強みも有之を以て。欲心にひかれ。終には主君の威光をかり取に仕る。是を名付て主の威を盜むと申候。扨又主君の御身も威光を家來に借して。威勢の付樣に被成候は。古しへの明君賢將達の上にも其例いか程も有之候。是を名付て家來に威を借すと申候。
新字:奉公いたす武士の上には。主君の威を仮ると申す義も有之。又主君の威を窃むと申す義も有之候。主君の御身の上にても。家来に威を貸し被成と申義も有之。又家来に威を窃まれさせ玉ふと申義も有之候。其故如何となれば。何ぞ重き職役に預る武士。其身年若きか。又は小身なるか。扨は家中の風俗。時の様子に因りては。主君の威光を笠に着て。相働かねばならぬ事有之。本より上の御為なるを以て。しばらく主君の威光を借受。其事を取計らひ候。是を名付て主君の威を仮るとは申すにて候。主君の威光を借り奉り。諸人の用ひも出来。御用の弁じ候程にさへ相成候はゞ。早速其威光を返進仕り。自分其職役相当の権を以て。慎み勤めてこそ尤の義なるを諸傍輩を初め。他所他門の者までも。誰殿の御内の誰さまと申す尊敬に預り。内証の強みも有之を以て。欲心にひかれ。終には主君の威光をかり取に仕る。是を名付て主の威を盗むと申候。扨又主君の御身も威光を家来に借して。威勢の付様に被成候は。古しへの明君賢将達の上にも其例いか程も有之候。是を名付て家来に威を借すと申候。
書き下し
奉公いたす武士の上には。主君の威を假ると申す義も有之。又主君の威を竊むと申す義も有之候。主君の御身の上にても。家來に威を貸し被成と申義も有之。又家來に威を竊まれさせ玉ふと申義も有之候。其故如何となれば。何ぞ重き職役に預る武士。其身年若きか。又は小身なるか。扨は家中の風俗。時の樣子に因りては。主君の威光を笠に着て。相働かねばならぬ事有之。本より上の御爲なるを以て。しばらく主君の威光を借受。其事を取計らひ候。是を名付て主君の威を假るとは申すにて候。主君の威光を借り奉り。諸人の用ひも出來。御用の辨じ候程にさへ相成候はゞ。早速其威光を返進仕り。自分其職役相當の權を以て。愼み勤めてこそ尤の義なるを諸傍輩を初め。他所他門の者までも。誰殿の御內の誰さまと申す尊敬に預り。內證の強みも有之を以て。欲心にひかれ。終には主君の威光をかり取に仕る。是を名付て主の威を盜むと申候。扨又主君の御身も威光を家來に借して。威勢の付樣に被成候は。古しへの明君賢將達の上にも其例いか程も有之候。是を名付て家來に威を借すと申候。
現代語訳
奉公をする武士の上には、主君の威を借りるということもあり、また主君の威を盗むということもあります。主君ご自身の上でも、家来に威を貸されるということもあり、また家来に威を盗まれなさるということもあります。そのわけはどういうことかと言うと、何か重い職役を預かる武士が、その身が若いか、または小身であるか、さらには家中の風俗や時の様子によっては、主君の威光を笠に着て働かねばならないことがあります。もとより主君のためであるので、しばらく主君の威光を借り受けて、その事を取り計らいます。これを名づけて、主君の威を借りるというのです。主君の威光を借りて、人々の信用も得られ、御用が足りるほどになりさえすれば、すぐにその威光をお返しして、自分はその職役相応の権をもって、慎み勤めてこそもっともなのに、同僚をはじめ、他所他門の者までも、「誰殿のお内の誰さま」と尊敬を受け、内々の強みもあるために、欲心にひかれて、ついには主君の威光を借り取りにしてしまいます。これを名づけて、主の威を盗むというのです。また主君ご自身も、威光を家来に貸して、威勢がつくようになさることは、古しえの明君賢将たちの上にも、その例がいくらでもあります。これを名づけて、家来に威を貸すというのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 孝武本紀至)愈えず。游水発根乃ち言ひて曰く、「上郡に巫有り、病みて鬼之に下る。」と。上召して之を甘泉に置きて祠る。病むに及び、人をして神君に問はしむ。神君言ひて曰く、「天子病を憂ふる毋かれ。病少しく愈えなば、彊ひて我と甘泉に会せよ。」と。是に於て病愈え、遂に甘泉に幸す、病良(まこと)に已む。天下に大赦し、寿宮の神君を置く。神君の最も貴き者は(大夫)[太一]、其の佐を大禁・司命の属と曰ひ、皆之に従ふ。見るを得べきに非ず、其の音を聞く、人の言と等し。時に去り時に来たる、来たれば則ち風粛然たり。室の帷中に居る。時に昼言ふ、然れども常に夜を以てす。天子祓ひ、然る後に入る。巫に因りて主人と為し、飲食を関す。欲する所の者言へば行下す。又寿宮・北宮を置き、羽旗を張り、供具を設け、以て神君を礼す。神君の言ふ所、上人をして受けて其の言を書かしめ、之を命じて「画法」と曰ふ。其の語る所は、世俗の知る所なり、絶殊なる者毋し、而して天子独り喜ぶ。其の事秘にして、世知る莫きなり。其の後三年、有司言ふ元は宜しく天瑞を以て命ずべし、宜しく一二を以て数ふべからずと。一元を建元と曰ひ、二元は長星を以て元光と曰ひ、三元は郊して一角の獣を得たるを以て元狩と曰ふと云ふ。其の明年冬、天子雍に郊し、議して曰く、「今上帝は朕親ら郊す、而して后土は祀る毋し、則ち礼答へず。」と。有司太史公・祠官寛舒等と議す、「天地の牲は角繭栗なり。今陛下親ら后土を祀る、后土は宜しく沢中の圜丘に於て五壇を為り、壇ごとに一黄犢の太牢の具、已に祠らば尽く瘞め、而して祠に従ふものは衣黄を上ぶべし。」と。是に於て天子遂に東し、始めて后土の祠を汾陰の脽上に立つること、寛舒等の議の如くす。上親ら望拝すること、上帝の礼の如くす。礼畢り、天子遂に滎陽に至りて還る。雒陽を過ぎ、詔を下して曰く、「三代は邈絶し、遠くして存し難し。其れ三十里の地を以て周の後を封じて周子南君と為し、以て先王の祀を奉ぜしめよ。」と。
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『呻吟語』外篇・聖賢・儒者は理を認むるを要す賢人の言は聖人に視ぶれば未だ病有るを免れず。此れ其の大較のみ。怪しむ可きは俗儒の是れ聖人の語と說くを見れば、便ち其の短を迴護して類を推して以て通を求め、是れ賢人の言と說くを見れば、便ち其の疵を洗索して文を深くして以て過を求むるなり。是の故に儒者は理を認むるを要す。理の在る所は、狂夫の言と雖も、聖人に異ならず。聖人豈に一時の感に出でて、當然不易の訓と為す可からざる者無からんや。
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『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
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史記 周本紀是に於て諸侯乃ち申侯に即きて共に故の幽王の太子宜臼を立つ。是を平王と為し、以て周の祀を奉ず。平王立ちて、東のかた雒邑に遷り、戎寇を辟く。平王の時、周室衰微し、諸侯彊は弱を并せ、斉・楚・秦・晋始めて大きく、政は方伯に由る。四十九年、魯の隠公即位す。五十一年、平王崩ず。太子洩父早く死し、其の子林を立つ。是を桓王と為す。桓王は、平王の孫なり。桓王の三年、鄭の荘公朝す。桓王礼せず。五年、鄭怨み、魯と許田を易ふ。許田は、天子の太山に事を用ゐるの田なり。八年、魯隠公を殺し、桓公を立つ。十三年、鄭を伐つ。鄭桓王を射傷し、桓王去りて帰る。二十三年、桓王崩じ、子荘王佗立つ。荘王の四年、周公黒肩荘王を殺して王子克を立てんと欲す。辛伯王に告げ、王周公を殺す。王子克燕に奔る。十五年、荘王崩じ、子釐王胡斉立つ。釐王の三年、斉の桓公始めて霸たり。五年、釐王崩じ、子恵王閬立つ。恵王の二年。初め、荘王姚を嬖姫とし、子穨を生む。穨寵有り。恵王即位するに及び、其の大臣の園を奪ひて以て囿と為す。故に大夫辺伯等五人乱を作し、燕・衛の師を召して、恵王を伐たんと謀る。恵王温に犇り、已にして鄭の櫟に居る。釐王の弟穨を立てて王と為す。楽して徧舞に及ぶ。鄭・虢の君怒る。四年、鄭と虢の君王穨を伐ちて殺し、復た恵王を入る。恵王の十年、斉の桓公に賜ひて伯と為す。二十五年、恵王崩じ、子襄王鄭立つ。襄王の母蚤く死し、後母を恵后と曰ふ。恵后叔帯を生み、恵王に寵有り、襄王之を畏る。三年、叔帯戎・翟と謀りて襄王を伐たんとす。襄王叔帯を誅せんと欲し、叔帯斉に奔る。斉の桓公管仲をして戎を周に平らげしめ、隰朋をして戎を晋に平らげしむ。王上卿の礼を以て管仲を礼す。
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『甲陽軍鑑』品第十三去る程に鎌倉の公方を守護し奉る国々は相摸·武蔵·上野·下野·安房·上総·出羽·奥州·佐渡·越後·信濃·飛弾此国々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豊饒の様子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸国の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、両上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方様へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
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史記 扁鵲倉公列伝其の人自ら静かにするを喜み、躁がず、又久しく安坐し、几に伏して寐ぬ。故に血下り泄る。斉王の侍医遂病み、自ら五石を練りて之を服す。臣意往きて之に過ぐ。遂意に謂ひて曰く、「不肖病有り。幸ひに遂を診せよ」と。臣意即ち之を診し、告げて曰く、「公の病は中熱なり。論に曰く、『中熱して溲せざる者は、五石を服すべからず』と。石の薬為るや精悍なり。公之を服して数々溲するを得ず。亟かに服する勿れ。色将に臃を発せんとす」と。遂曰く、「扁鵲曰く、『陰石は以て陰病を治し、陽石は以て陽病を治す』と。夫れ薬石なる者は陰陽水火の斉有り。故に中熱すれば、即ち陰石柔斉を為りて之を治し、中寒すれば、即ち陽石剛斉を為りて之を治す」と。臣意曰く、「公の論ずる所遠し。扁鵲是の若く言ふと雖も、然れども必ず審らかに診し、度量を起こし、規矩を立て、権衡を称り、色脈表裏有余不足順逆の法を合はせ、其の人の動静と息との相応ずるを参じて、乃ち以て論ずべし。論に曰く、『陽疾内に処り、陰形外に応ずる者は、悍薬及び鑱石を加へず』と。夫れ悍薬中に入れば、則ち邪気辟きて、宛気愈々深し。診法に曰く、『二陰外に応じ、一陽内に接する者は、剛薬を以てすべからず』と。剛薬入れば則ち陽を動かし、陰病益々衰へ、陽病益々箸はれ、邪気流行し、重く俞に困しむと為り、忿発して疽と為る」と。意之に告げて後百余日、果たして疽と為りて乳の上に発し、缺盆に入りて、死す。此れ論の大体を謂ふなり。必ず経紀有り。拙工一として習はざる有れば、文理陰陽失す。斉王故陽虚侯為りし時、病甚だし。衆医皆以て蹷と為す。臣意脈を診し、以て痹と為す。根は右脇の下に在り、大いさ覆杯の如し。人をして喘ぎ、逆気して食ふ能はざらしむ。臣意即ち火斉の粥を以て且つ飲ましむ。六日にして気下る。即ち更に丸薬を服せしむ。出入六日にして、病已ゆ。病は之を内に得たり。之を診する時其の経解を識る能はざるも、大いに其の病の在る所を識る。
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