武道初心集 / 有司二
或は內緣に便り。又は種々の手段を以て物を贈れば。いか程も受納を遂げ。其返禮には。上を掠めて。依怙最屓の沙汰に及ぶ外無之候。此よごれ樣と申は。かの白小袖の鼠色になりたるを見るに均しき樣子に候。但し白小袖のよごれ候は。身の垢と。ごみほこりの汚に候得ば。好灰汁を以て洗ひさへ致し候へば。隨分暉麗になり申候。人の心には種々樣々の物が染込。其よごれ深く候に付。只大形に洗ひすゝぎたる分にては。暉麗にはなり兼申候。其上白小袖の義は。年に一度か二度洗ひ候ても事濟み申候。人の心の洗濯と申は。二六時中行住座臥事々物々の上に於て。或はもみあらひ。又はふりすゝぎ。油斷透間なく致し候ても。又其跡からよごれ易く。けがれ易きものにて候。白小袖のすゝぎ洗濯には灰汁に品々習ひ有之候。其ごとく武士の心の洗濯を仕るに付ても。灰汁に習ひ有之候。習ひは何ぞなれば。忠義勇の三つに候。其垢の樣子によりて。忠貞の灰汁にて落す垢も有之節義の灰汁にて落すも有之候。右の如く忠を以てあらひ。義を以てすゝぐといへども。其よごれ強くして落かね候時は。勇猛の灰汁を加へて。力を出し無二無三にもみ洗ひ候て。さつぱりと濯ぎあげ候は。是武士の心のせんだくの至極の秘事に候。初心の武士心得のため仍如件。
新字:或は内縁に便り。又は種々の手段を以て物を贈れば。いか程も受納を遂げ。其返礼には。上を掠めて。依怙最屓の沙汰に及ぶ外無之候。此よごれ様と申は。かの白小袖の鼠色になりたるを見るに均しき様子に候。但し白小袖のよごれ候は。身の垢と。ごみほこりの汚に候得ば。好灰汁を以て洗ひさへ致し候へば。随分暉麗になり申候。人の心には種々様々の物が染込。其よごれ深く候に付。只大形に洗ひすゝぎたる分にては。暉麗にはなり兼申候。其上白小袖の義は。年に一度か二度洗ひ候ても事済み申候。人の心の洗濯と申は。二六時中行住座臥事々物々の上に於て。或はもみあらひ。又はふりすゝぎ。油断透間なく致し候ても。又其跡からよごれ易く。けがれ易きものにて候。白小袖のすゝぎ洗濯には灰汁に品々習ひ有之候。其ごとく武士の心の洗濯を仕るに付ても。灰汁に習ひ有之候。習ひは何ぞなれば。忠義勇の三つに候。其垢の様子によりて。忠貞の灰汁にて落す垢も有之節義の灰汁にて落すも有之候。右の如く忠を以てあらひ。義を以てすゝぐといへども。其よごれ強くして落かね候時は。勇猛の灰汁を加へて。力を出し無二無三にもみ洗ひ候て。さつぱりと濯ぎあげ候は。是武士の心のせんだくの至極の秘事に候。初心の武士心得のため仍如件。
書き下し
或は內緣に便り。又は種々の手段を以て物を贈れば。いか程も受納を遂げ。其返禮には。上を掠めて。依怙最屓の沙汰に及ぶ外無之候。此よごれ樣と申は。かの白小袖の鼠色になりたるを見るに均しき樣子に候。但し白小袖のよごれ候は。身の垢と。ごみほこりの汚に候得ば。好灰汁を以て洗ひさへ致し候へば。隨分暉麗になり申候。人の心には種々樣々の物が染込。其よごれ深く候に付。只大形に洗ひすゝぎたる分にては。暉麗にはなり兼申候。其上白小袖の義は。年に一度か二度洗ひ候ても事濟み申候。人の心の洗濯と申は。二六時中行住座臥事々物々の上に於て。或はもみあらひ。又はふりすゝぎ。油斷透間なく致し候ても。又其跡からよごれ易く。けがれ易きものにて候。白小袖のすゝぎ洗濯には灰汁に品々習ひ有之候。其ごとく武士の心の洗濯を仕るに付ても。灰汁に習ひ有之候。習ひは何ぞなれば。忠義勇の三つに候。其垢の樣子によりて。忠貞の灰汁にて落す垢も有之節義の灰汁にて落すも有之候。右の如く忠を以てあらひ。義を以てすゝぐといへども。其よごれ強くして落かね候時は。勇猛の灰汁を加へて。力を出し無二無三にもみ洗ひ候て。さつぱりと濯ぎあげ候は。是武士の心のせんだくの至極の秘事に候。初心の武士心得のため仍如件。
現代語訳
あるいは縁故を頼り、あるいは種々の手段で物を贈ってくれば、いくらでも受け取り、その返礼には、主君をかすめて、えこひいきの沙汰に及ぶほかはありません。この汚れようは、あの白小袖が鼠色になったのを見るのと同じです。ただし、白小袖の汚れは、身の垢や塵ほこりの汚れですから、良い灰汁で洗いさえすれば、たいへん綺麗になります。人の心にはさまざまなものが染み込み、その汚れは深いので、ただ大ざっぱに洗いすすいだくらいでは、綺麗にはなりかねます。そのうえ白小袖は、年に一度か二度洗えば事足りますが、人の心の洗濯というものは、二六時中、行住座臥、事々物々の上で、もみ洗い、振りすすぎ、油断なくしても、またそのあとから汚れやすく、けがれやすいものです。白小袖のすすぎ洗濯には、灰汁にいろいろ習いがあります。そのように、武士の心の洗濯をするにも、灰汁に習いがあります。その習いは何かといえば、忠・義・勇の三つです。その垢の様子によって、忠貞の灰汁で落とす垢もあり、節義の灰汁で落とすものもあります。このように忠で洗い、義ですすいでも、その汚れが強くて落としかねるときは、勇猛の灰汁を加え、力を出して無二無三にもみ洗い、さっぱりとすすぎ上げます。これが武士の心の洗濯の至極の秘事です。初心の武士の心得のために、以上のとおりである。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十三能き武士は先づ慇懃に惣別人の腹立つ事を、我方よりはせずそしるもけすも無案内なる者ども、己れが贔負の人をほむれば能き事と存知むざとほめ、世間に類まれなる男をもそしれば、我贔負の人は威光あがると思ふ人は是れも女人の穿鑿なり、そしるもけすも無穿鑿の近付き衆が、分別なき取りさたより出来する、さなくは又よき人の各ひとつ道理に参るに付き、一段中能き物にて候ぞ、
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『甲陽軍鑑』品第四十扨て悪き事あり共類親広き近付知音のひいき多くある者は悪事を吉事と申なし、さやうのまつりごとにてむほんの儀もかくして悪事出来してから大将の耳へ入る共それは更に所詮なき儀なり、其みなもとは出頭人の親類うかへてまはり、或はよきひきもちたる奉公人共、下の手抦を中にいひ、中の手抦を上に申、又ひいきなきをば中にいひ、中を下にいふ事、ひいき〳〵の取さた故如此、
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『甲陽軍鑑』品第四十右の次に山県三郎兵衛曰く、一ツ塲所にて侍一二人走り廻りの中に、類親おほき方をましのやうに申、それは信玄公大きにきらひ給ふは、上かろければ、ひいき〳〵の沙汰にて悉皆大将もなく、縦へ大将ありても、未練なる君の下にて弓矢のせんさく、女人のいさかひにおほき方の申かつ様子に相似たり、大将よければ、ましはまし、おとり対々なるは同じ事と分るがよき大将のわざなり、かならずおほき人の中には、せんさくなしに、むざと我ひいきをほむる女侍沢山なり、去に付かたましき侍とは女を三人よせてかくげに候、
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『甲陽軍鑑』品第四十女はひいきも正にならず、にくむも正にならず、ふがいなくかざる人間なれば、男子道にかさる人をば女侍と信玄公の仰らるゝ、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事代末になるに随かひて親類近付きの取成にて人を見出だすは依怙のやうなるを嫌ふけいきの心もあり、又老中の職は細かなる事をは勤めぬことなるに、今は面々の職掌暗く、下たる役人の世話をやくべき瑣細なることまでも聞きて、御奉公に精を出すと云ふやうに仕なす風俗、身のたかぶりをもこらへ退出すればくたびれて内へ入りて休息し居て、親類近付きにもあはす、朝になれは詮もなき対客を役目のやうに覚ゆる、是れ人を見出たすこと職掌なることを知らぬ故なり、番頭も組子に心安く会はすんは何としてか其の器量人抦をも知るへき、御旗本の面々も唯々老中若老中を勤めありき、鳥渡表を見たるばかりにては心に落着もなけれは其の家中に縁を求め、内証より付け入りにしなどする、いかさまにも度々参りたる人、又内証より取りなす人もあれは、覚えす皆贔負の沙汰となる、
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『韓非子』愛臣第四愛臣太だ親しければ、必ず其の身を危うくし、人臣太だ貴ければ、必ず主位を易ふ。主妾等無ければ、必ず嫡子を危うくす。
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