武道初心集 / 奉公二
來る幾日には必ず出馬と申合せ定り候ては。もはや延も縮もならざるに付。不足たらだらながらも出勢なくては不叶候。靜謐の時代には。我も人も能見物と心得市屋町屋を借りふさげ。野にも山にも立わだり。貴賤目晒しの武者押は。形のごとくの晴事なるに。家中の人馬出立共に。諸手に劣りて見苦しき樣子ならば。主君大將の御身に取て。御一生の御恥辱是に過ず。此一大事を以て考へ候時は。家中大小の諸士。新參古參に限らず拜領し罷在知行切符の內。分に相應に差上ずしては叶はず候。然れば物成減少の年限の內は。隨分簡略仕り。人馬をも減し。冬は紙子木綿の衣類。夏は布かたびらを着し。朝夕は黑米飯。糠味噌汁と分別を極め。自身は水を汲薪をさき。妻子に飯饗せ力に稱ふ程は難義苦勞を致し。何卒主君の御用途を整へさせまゐらせ度と一筋に存じ入候は。奉公の本意たるべく候。且又右の通り艱難を仕り罷在年限の內たり共。何ぞ臨時の御用を承り。非常の物入ある事も有べく候。左樣の砌りは。自身の指替。女房の手箱を質物に入ても。其償ひを致し。金銀拜借などを此方よりは願ふべからず候。子細を申すに。たとひ主君の御耳にこそ入らず共。家老年寄中の下墨にも。物成減少にあひたるを下心に含み。武士に似合ざるねだり言を申と思はれては。重ねて口もきかれずとのたしなみに候。初心の武士心得のため仍如件。
新字:来る幾日には必ず出馬と申合せ定り候ては。もはや延も縮もならざるに付。不足たらだらながらも出勢なくては不叶候。静謐の時代には。我も人も能見物と心得市屋町屋を借りふさげ。野にも山にも立わだり。貴賤目晒しの武者押は。形のごとくの晴事なるに。家中の人馬出立共に。諸手に劣りて見苦しき様子ならば。主君大将の御身に取て。御一生の御恥辱是に過ず。此一大事を以て考へ候時は。家中大小の諸士。新参古参に限らず拝領し罷在知行切符の内。分に相応に差上ずしては叶はず候。然れば物成減少の年限の内は。随分簡略仕り。人馬をも減し。冬は紙子木綿の衣類。夏は布かたびらを着し。朝夕は黒米飯。糠味噌汁と分別を極め。自身は水を汲薪をさき。妻子に飯饗せ力に称ふ程は難義苦労を致し。何卒主君の御用途を整へさせまゐらせ度と一筋に存じ入候は。奉公の本意たるべく候。且又右の通り艱難を仕り罷在年限の内たり共。何ぞ臨時の御用を承り。非常の物入ある事も有べく候。左様の砌りは。自身の指替。女房の手箱を質物に入ても。其償ひを致し。金銀拝借などを此方よりは願ふべからず候。子細を申すに。たとひ主君の御耳にこそ入らず共。家老年寄中の下墨にも。物成減少にあひたるを下心に含み。武士に似合ざるねだり言を申と思はれては。重ねて口もきかれずとのたしなみに候。初心の武士心得のため仍如件。
書き下し
來る幾日には必ず出馬と申合せ定り候ては。もはや延も縮もならざるに付。不足たらだらながらも出勢なくては不叶候。靜謐の時代には。我も人も能見物と心得市屋町屋を借りふさげ。野にも山にも立わだり。貴賤目晒しの武者押は。形のごとくの晴事なるに。家中の人馬出立共に。諸手に劣りて見苦しき樣子ならば。主君大將の御身に取て。御一生の御恥辱是に過ず。此一大事を以て考へ候時は。家中大小の諸士。新參古參に限らず拜領し罷在知行切符の內。分に相應に差上ずしては叶はず候。然れば物成減少の年限の內は。隨分簡略仕り。人馬をも減し。冬は紙子木綿の衣類。夏は布かたびらを着し。朝夕は黑米飯。糠味噌汁と分別を極め。自身は水を汲薪をさき。妻子に飯饗せ力に稱ふ程は難義苦勞を致し。何卒主君の御用途を整へさせまゐらせ度と一筋に存じ入候は。奉公の本意たるべく候。且又右の通り艱難を仕り罷在年限の內たり共。何ぞ臨時の御用を承り。非常の物入ある事も有べく候。左樣の砌りは。自身の指替。女房の手箱を質物に入ても。其償ひを致し。金銀拜借などを此方よりは願ふべからず候。子細を申すに。たとひ主君の御耳にこそ入らず共。家老年寄中の下墨にも。物成減少にあひたるを下心に含み。武士に似合ざるねだり言を申と思はれては。重ねて口もきかれずとのたしなみに候。初心の武士心得のため仍如件。
現代語訳
いついつに必ず出馬すると申し合わせて決まったなら、もはや延ばすことも縮めることもできませんから、不足があっても出陣しなければなりません。太平の時代には、自分も人もこれをよい見物と心得て、市屋や町屋を借りふさぎ、野にも山にも立ち渡り、貴賤の目にさらされる武者押しは、きまりどおりの晴れの行事であるのに、家中の人馬の出で立ちが、他の隊に劣って見苦しい様子であれば、主君・大将の御身にとって、一生の御恥辱これに過ぎるものはありません。この一大事から考えますと、家中の大小の諸士は、新参・古参を問わず、拝領している知行切符のうちから、身の程に応じて差し上げなければなりません。そこで収入が減少している年限のあいだは、できるかぎり簡略にして、人馬をも減らし、冬は紙子や木綿の衣類、夏は布の帷子を着て、朝夕は黒米の飯と糠味噌汁と覚悟を決め、自身は水を汲み薪を割り、妻子に飯をそなえさせ、力の及ぶかぎりは難儀苦労をし、どうか主君の御用途を整えてさしあげたいと一筋に思うのが、奉公の本意です。またこのように艱難している年限のうちでも、何か臨時の御用を承り、非常の出費があることもあるでしょう。そのような折は、自分の差し替えの刀や女房の手箱を質に入れてでも、その費用をまかない、金銀の拝借などをこちらから願ってはなりません。そのわけは、たとえ主君のお耳には入らなくても、家老・年寄衆のお心の内に、収入減少にあったことを下心に含んで、武士に似合わないねだり言を言うと思われては、重ねて口もきけなくなる、というたしなみからです。初心の武士の心得のために、以上のとおりです。
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、『詐を逆(むか)えず、不信を億(はか)らず。抑も亦た先覚なる者、是れ賢か。』
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