武道初心集 / 禮敬三
藝州廣島の城內。黑金門を預り。一日一夜詰切の番所を勤るに。其身極老なれば。休息のため寢ころび居たる所へ。政則の側に召使ひ玉ふ小坊主。鷹の鶉を持參致し。是は殿樣の御拳の鳥にて候間。被遣候との御意の旨申述る。才藏是を承り。其まゝ起上り傍に脫置たる袴を着し。本丸の方へ向ひて是を戴き。御禮の義は。只今罷上りて可申上なり。扨おのれめ。如何に倅なればとて。大なる空氣奴かな。殿の御意ならば。先づ殿の御意あるぞと申聞。身共が其用意したる上にて達すべきを。左はなくして。身共に寢ながら殿の御意をよくも聞せたり。おのれ倅にてなくば仕形もあれ共。小僧の義なれば免すぞと申て。大きに叱りければ。小僧肝を潰し。急き立歸りて。兒性共の中にて右の次第を語るを。政則聞玉ひ。件の小僧を呼出し尋られければ。才藏が申分殘らず申に付。それはおのれが不調法なれば。才藏が腹立尤なり。藝備兩國の士共を。殘らず才藏が心の如く致して欲しきものかな。それにては何事も成るにと。政則被申ける由に候。初心の武士心得のため仍如件
新字:芸州広島の城内。黒金門を預り。一日一夜詰切の番所を勤るに。其身極老なれば。休息のため寝ころび居たる所へ。政則の側に召使ひ玉ふ小坊主。鷹の鶉を持参致し。是は殿様の御拳の鳥にて候間。被遣候との御意の旨申述る。才蔵是を承り。其まゝ起上り傍に脱置たる袴を着し。本丸の方へ向ひて是を戴き。御礼の義は。只今罷上りて可申上なり。扨おのれめ。如何に倅なればとて。大なる空気奴かな。殿の御意ならば。先づ殿の御意あるぞと申聞。身共が其用意したる上にて達すべきを。左はなくして。身共に寝ながら殿の御意をよくも聞せたり。おのれ倅にてなくば仕形もあれ共。小僧の義なれば免すぞと申て。大きに叱りければ。小僧肝を潰し。急き立帰りて。児性共の中にて右の次第を語るを。政則聞玉ひ。件の小僧を呼出し尋られければ。才蔵が申分残らず申に付。それはおのれが不調法なれば。才蔵が腹立尤なり。芸備両国の士共を。残らず才蔵が心の如く致して欲しきものかな。それにては何事も成るにと。政則被申ける由に候。初心の武士心得のため仍如件
書き下し
藝州廣島の城內。黑金門を預り。一日一夜詰切の番所を勤るに。其身極老なれば。休息のため寢ころび居たる所へ。政則の側に召使ひ玉ふ小坊主。鷹の鶉を持參致し。是は殿樣の御拳の鳥にて候間。被遣候との御意の旨申述る。才藏是を承り。其まゝ起上り傍に脫置たる袴を着し。本丸の方へ向ひて是を戴き。御禮の義は。只今罷上りて可申上なり。扨おのれめ。如何に倅なればとて。大なる空氣奴かな。殿の御意ならば。先づ殿の御意あるぞと申聞。身共が其用意したる上にて達すべきを。左はなくして。身共に寢ながら殿の御意をよくも聞せたり。おのれ倅にてなくば仕形もあれ共。小僧の義なれば免すぞと申て。大きに叱りければ。小僧肝を潰し。急き立歸りて。兒性共の中にて右の次第を語るを。政則聞玉ひ。件の小僧を呼出し尋られければ。才藏が申分殘らず申に付。それはおのれが不調法なれば。才藏が腹立尤なり。藝備兩國の士共を。殘らず才藏が心の如く致して欲しきものかな。それにては何事も成るにと。政則被申ける由に候。初心の武士心得のため仍如件
現代語訳
芸州広島の城内で黒金門を預かり、一日一夜詰め切りの番所を務めていたとき、その身がたいへんな老人だったので、休息のために寝ころんでいたところへ、正則のそばに召し使われていた小坊主が、鷹の獲った鶉を持って来て、これは殿様の御拳の鳥なので、お遣わしになるとの御意でございます、と申し述べました。才蔵はこれを承ると、そのまま起き上がり、そばに脱いでいた袴を着けて、本丸の方へ向かってこれをいただき、お礼のことは只今参上して申し上げよう、と言いました。そして、おのれめ、いかに小僧だからといって、大きな空け者め。殿の御意ならば、まず殿の御意があるぞと申し聞かせ、自分がその支度をした上で伝えるべきなのに、そうせず、自分に寝たまま殿の御意をよくも聞かせたものだ。おのれが小僧でなければやり方もあるが、小僧のことなので許すぞ、と言って、大いに叱りつけたので、小僧は肝をつぶし、急いで立ち帰り、小姓たちの中でこの次第を語ったのを、正則が聞かれ、その小僧を呼び出して尋ねられると、才蔵の申し分をすべて話したので、それはおのれの不調法だ、才蔵が腹を立てるのももっともだ。芸備両国の士たちを、残らず才蔵の心のようにしたいものだ。そうすれば何事もなるのに、と正則が言われたということです。初心の武士が心得るために、以上のとおりである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』禮敬(二)其外主君の御噂に懸りたる義を耳に聞くか又は我が口より詞に出す時は。寢ころび居ても起上り。平座に居ても居直る類をこそ。武士道と申べけれ。然るを主君の御座の方と存じながらも。臑をさし向け。臥りて居ながら。主君の御噂を申出。或は親の自筆の手紙を得ても。戴きて見る心付もなく。大膝を組て居ながらも。臥りながらも。披見を遂げ。側らへ投ほふり。或は引裂て煙管行燈の掃除を致す類ひ。皆後聞き所存に候。左樣なる心立の者は。他所他門の者に。出會ては主人の家の宜しからざる義を。かぞへあげて演說仕り。或は一向の他人にても。我に念比らしく言てくれる者さへあれば。是を悅び。親兄弟の惡しき噂をも。包まず泄さず語り出で。嘲り誹謗仕るものに候。去るに依て。いつぞの程には。主親の罰を蒙り。何ぞ大なる禍に出會。武士の冥理に盡たる死を致すか。たとひ生ても。生甲斐なき風情となり果るか。如何樣すなほにて生涯を送る儀は。決して無之道理に候。昔し慶長の頃福島左衞門大夫政則の足輕大將。可兒才藏と申す武勇の士有之。
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『武道初心集』處變道中の川越舟渡しに於て。大名と大名との出會に。双方の家來口論に及て申つのり。互の方人多く成て。喧嘩に及び候はゞ。其時の樣子次第にて。主人と主人の出入と罷成義可有之。もし双方主人の出入と申すに成ては。落着の所計り難く候。然れば禍は下より起ると心得。主君の御供道中にては。猶以て物を大事にかけ。我身は申すに及ばず。諸傍輩にも氣を付。理不盡の仕形無之樣にと。下々へも能々申付る心得肝要に候。且又江戶において。主君の御供仕りてありき候に。他の大名衆と途中行違ひの時。双方先供の若者共口論を仕出し喧嘩に及ぶ節は。早く氣を付。道具持の手前より主人の御持鎗を受取。御側近く持て罷在。事の成行樣子を見合せ。彌鎭りかね。諸士殘らず拔刀の仕合に及ぶ時は。御駕籠の側へ御馬を牽寄せて。早速召させまいらせ。御鎗の鞘を脫して渡し奉り。其身も拔刀に成て働くと覺悟尤に候。扨又主君御振舞などの御供して參り候節。御座中に於て。不慮の義出來致し。御座敷の體騷動と見及び候に於ては。刀を手に持玄關へ上り。取次の者に出會。某義は誰が家來何某と申ものにて候。何とやらん御座敷の躰。物騷がしく相聞へ候に付。主人の義を無心許存じ。是迄罷上り候旨可申。取次の者の返答には。させる義にては無之候得共。御氣遣の段は御尤に候。其許の御主人樣の御事は。御別條無御座候間。少しも御氣遣無之樣にと。御傍輩中へも御演說被成候へなどゝ可申候。然らば先以大慶仕候。左候はゞ。主人を御呼出。拙者へ御逢せ給り候樣にと申斷り。主君へ御目に掛退出尤に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』假威竊威(三)其物の我儘依怙最屓。內證の榮耀の程。御存じあるべき樣も無之。何もかも其者の致す義をば。宜しきとばかり思召。御油斷の上に於て。大きなる御難義にも及び。且は人をよく御存じなきは。主君大將の御人柄には似合不申と。世の謗りも必定に候。其上彼者は。主君の御耳目をさへ恐れ憚らぬ心からは。ましてや諸傍輩の氣をかね。おもはくを憚る義とては曾て無之。小役人共を愛付け。たとへば我が知る人近付の許へ付屆けを致すにも。主人の物入に致し遣はし。其向より返禮に來る音物をば。我が手前へとり込。其外來客を饗應とても。主君の御臺所より。酒の肴の茶の菓子のと申して持運ばせ。主の物は我が物。我が物は我が物と申す如くの仕形なれば。畢竟は主君の御勝手の弱りともなり。是亦御損の一つに候。右の次第を能々了簡致し。主君の御念比ふかく。御目をかけ被成に付ては。猶々我が身を謙り。心の驕りを抑へ愼しみ。兎にも角にも主君の御威光の耀く樣に仕る義肝要に候。忠臣は君有る事を知て。身有る事を知らず。とやらん申す古語も有之由に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』出家士(三)就中軍中の使役と申すは。敵の人數の多少。陣取備立の善惡。城の堅固不堅固。或は地形の利不利。合戰勝負の見切までをも。相心得ずしては不叶候。去るに依て。軍使役の儀は古來よりむつかしきものに申し習はし候。然れども使役の義は。たとひ我が物見に相違の儀有之候ても。多分は其身一人の不覺越度にて事濟申候。足輕大將より上の役儀に備り。采拜を取て人數を引廻し候に至ては。味方諸勢の死生に懸り申候。然るに其勘辨なく。なまじひに采拜免許の役儀に高ぶり。諸士の座上を潰し候は沙汰の限り不屆の仕合に候。禪僧のうへにては。平僧の時宗旨の學問に怠り。出世の年臈に至り。頭の禿たる廉を以て。長老和尚に經上り。身に色衣を纏ひ。手に拂子を握り。餘多の大衆を攝得いたすに均しき樣子に候。但し右の賣僧和尚。晴なる法席に臨みて何ぞ不埒有之候得ば。大衆一統の物笑ひとなり。其身一人赤恥をかきて。引込申ばかりの儀にて。大衆へ懸る難義とては少しも無之候。それとは違ひ武家に於て和尚役を務る武士。采拜を振り損じ候時は。味方士卒の身命に懸り。害を爲す事大に候。爰を能々分別仕り。無役にて身の暇有之砌。軍法戰法の修行を極め。采拜所持の職たり共務り乘る儀無之樣。學問修行尤に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』謹慎主君の御定紋の付たる御小袖。又は上下など拜領致し候ものは。御紋付の小袖を着用の時は。自分の紋付の上下を着し。御紋付の上下を着し候はゞ。小袖は定めて自分の紋付を着し候心得尤に候。然るに小袖も上下も一様に。御紋付を着し候ては。主君の御親類方に均しき樣子なれば。主君へ對し奉り慮外に候。右拜領の小袖上下。克く成て着用ならぬ時は。御紋所は切拔て燒捨可申候。御紋を汚すまじとの愼しみに候。扨又近所に罷在傍輩の中に。重き病人。又は憂事など有之においては。たとひ其者と心易からぬ挨拶たり共。高笑音曲等堅く相愼しみ。妻子召使などへも其段急度可申付事に候。其者のおもはくばかりにも無之。不遠慮もの不作法者と諸傍輩の下墨を懸ての愼しみに候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』廉耻五六十年以前までは。諸浪人の身上をかせぎ候言葉に。乘替の壹疋も繋ぎ申す程に無之てはと申すは。知行五百石以上ならばと申義に候。責て瘦馬壹疋も繋ぎ申す樣にといふは。三百石ほどならばと。云ぬ計りの口上に候。錆鎗の壹本も持せ候樣にと申すは。百石にても。知行取といふ名に。望を懸たる言葉に候。其時代までは武士の古風殘り。我が口より何百石などゝ。員數を定めては申出間敷との。意地より出たる言葉に候。鷹は飢ても穗を啄ず。武士は喰ねど高楊枝など申すも。其時代の世話にて。年若き人は。勝手損德の話。物の直段などをば口にいはず。女色の話を聞ては。赤面する樣に候ひき。士たらむものは及ばぬまでも。古風の武士偏義を慕ひ學び度事にて候。たとひ鼻は曲りても。息さへ出ればよきといふ意地合に罷成候ては。是非に及ばず候。初心の武士心得のため仍如件。
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