武道初心集 / 出家士二
いまだ年若き者も妻子を持ち。朝寢晝寢を業と致し。士の常法たる。兵法をさへ學び務めず候からは。ましてや手遠なる。軍法戰法の事は。思ひがけもなくて。一日ぬらりに年月を送る內に。そろ〳〵髭白毛も生ひ出。額口も禿上りて。何樣尤らしき年齡に見ゆるを以て。役ぬけの撰擧に預り。譬へば使番などになり候ても。早當座から行あたり。同役仲間の介抱を以て。何とか相勤め罷在內に。常に無之遠國使など有之時は。俄に胸をつき。旅行の支度にとりまぜて。先輩の口傳を受け。古來の控覺書など借用して。漸々と其塲を勤め候は。幸にして免れたると申すものにて。本道の事とは申されず候。子細を申に。武家の諸役儀大形定り有ものなれば。其身無役の內。連々心にかけ。役義馴れたる功者に參會の序毎には。無益の雜談を相止め。向後の心付にも可罷成と。思ひ寄たる事共をば。幾度も問尋ねて。委細に聞覺え。或は古き控覺書。繪圖等までも借りあつめ寫し置き。勤方の大筋を呑込候得ば。何時何役に成り候ても。務り易き道理に候。其上先輩同役に便りて事を習ひ。介抱に預りて事を濟すも。常式の時の儀に候。萬一世の變に至り候ては。人の介抱引廻しに預る事はならざる事に候間。善くも惡くも我獨分別にて。埒を明るより外は無之候。
新字:いまだ年若き者も妻子を持ち。朝寝昼寝を業と致し。士の常法たる。兵法をさへ学び務めず候からは。ましてや手遠なる。軍法戦法の事は。思ひがけもなくて。一日ぬらりに年月を送る内に。そろ〳〵髭白毛も生ひ出。額口も禿上りて。何様尤らしき年齢に見ゆるを以て。役ぬけの撰挙に預り。譬へば使番などになり候ても。早当座から行あたり。同役仲間の介抱を以て。何とか相勤め罷在内に。常に無之遠国使など有之時は。俄に胸をつき。旅行の支度にとりまぜて。先輩の口伝を受け。古来の控覚書など借用して。漸々と其塲を勤め候は。幸にして免れたると申すものにて。本道の事とは申されず候。子細を申に。武家の諸役儀大形定り有ものなれば。其身無役の内。連々心にかけ。役義馴れたる功者に参会の序毎には。無益の雑談を相止め。向後の心付にも可罷成と。思ひ寄たる事共をば。幾度も問尋ねて。委細に聞覚え。或は古き控覚書。絵図等までも借りあつめ写し置き。勤方の大筋を呑込候得ば。何時何役に成り候ても。務り易き道理に候。其上先輩同役に便りて事を習ひ。介抱に預りて事を済すも。常式の時の儀に候。万一世の変に至り候ては。人の介抱引廻しに預る事はならざる事に候間。善くも悪くも我独分別にて。埒を明るより外は無之候。
書き下し
いまだ年若き者も妻子を持ち。朝寢晝寢を業と致し。士の常法たる。兵法をさへ學び務めず候からは。ましてや手遠なる。軍法戰法の事は。思ひがけもなくて。一日ぬらりに年月を送る內に。そろ〳〵髭白毛も生ひ出。額口も禿上りて。何樣尤らしき年齡に見ゆるを以て。役ぬけの撰擧に預り。譬へば使番などになり候ても。早當座から行あたり。同役仲間の介抱を以て。何とか相勤め罷在內に。常に無之遠國使など有之時は。俄に胸をつき。旅行の支度にとりまぜて。先輩の口傳を受け。古來の控覺書など借用して。漸々と其塲を勤め候は。幸にして免れたると申すものにて。本道の事とは申されず候。子細を申に。武家の諸役儀大形定り有ものなれば。其身無役の內。連々心にかけ。役義馴れたる功者に參會の序毎には。無益の雜談を相止め。向後の心付にも可罷成と。思ひ寄たる事共をば。幾度も問尋ねて。委細に聞覺え。或は古き控覺書。繪圖等までも借りあつめ寫し置き。勤方の大筋を呑込候得ば。何時何役に成り候ても。務り易き道理に候。其上先輩同役に便りて事を習ひ。介抱に預りて事を濟すも。常式の時の儀に候。萬一世の變に至り候ては。人の介抱引廻しに預る事はならざる事に候間。善くも惡くも我獨分別にて。埒を明るより外は無之候。
現代語訳
まだ年若い者も妻子を持ち、朝寝・昼寝を日課として、士の常法である兵法さえ学び務めないのですから、まして縁の遠い軍法・戦法のことは思いもよらず、一日をぬらりくらりと年月を送るうちに、そろそろ髭に白毛も生え、額も禿げ上がって、いかにももっともらしい年齢に見えるので、役が空いたときの人選にあずかり、たとえば使番などになっても、早々に行き詰まり、同役仲間の助けでなんとか務めているうちに、常にはない遠国使などがあるとき、にわかに胸がつかえ、旅行の支度にとりまぜて、先輩の口伝を受け、古来の控え覚書などを借用して、ようやくその場を務めるのは、幸いにして免れたというもので、本来の道とは言えません。その理由を申しますと、武家の諸役儀はおおよそ定まっているものですから、無役のうちに、日ごろから心にかけ、役儀に慣れた功者に会う折ごとに、無益な雑談をやめ、今後の心づきにもなるだろうと思いついたことを、何度でも問い尋ね、委細を聞き覚え、あるいは古い控え覚書や絵図まで借り集めて写しておき、勤め方の大筋を呑み込んでおけば、いつどんな役になっても務まりやすい道理です。そのうえ、先輩や同役を頼って事を習い、助けを受けて事をすませるのも、平常のときのことです。万一世の変事に至っては、人の助けや引き回しにあずかることはできないので、善くも悪くも我一人の分別で埒をあけるほかはありません。
解説
この章句が説くこと
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