武道便蒙録 / 卷之一・素書に学ぶ盛衰を見抜く賢人
○素書曰、夫欲爲人之本、不可無一焉、賢人君子、明於盛衰之道、通乎成敗之數、審乎治亂之勢、達乎去就之理、先儒の謂らく、言ふ意は人となるべきことをはゞ、道德仁義禮の五つを本とすべきとなり、不可無一焉とは、五ッの內一ッなくても叶はぬと也、賢人とは、賢德ある人なり、賢德とは、才も德も人にこゑもぬけたることなり、君子とは、人の上に立て其才德下を治むるに、任たる人を云、又下位に居ても、人の上に立べき器量に叶へば、これをも君子と云なり、ひッきやう賢人と云も、君子と云も、をなじと也、盛衰の道とは、ものゝ盛んになるも、衰ゆるも各其道ありて、かやうにすれば盛んになる、かやうにすれば衰ると云ことあり、賢人君子、このさかひに、少も疑ひなきゆへ、あきらかなりと云へり、事の成就するも敗るゝも、みなさだまりたるきッかけあり、賢人君子は、此きッかけに通達し、ぬけとをりてをるなり、國のをさまるとみだるゝとの勢ひを、たしかにしりて、まへかたより、これをたがへず、去就の理に達す、去はさる、就はつくとよみて、そこをたちさり、そこへゆくとなり、これは我身のとりをき也、前に云、盛衰成敗のわけをしるゆへ、此國はをさまる、此國は亂るゝ、今は治りておれども、後は亂るゝ、今は亂れておれども、末は治ると云ことを、がてんして、その治るべき國にゆき、亂るべき國をば、たちさる、これを去就の理に通達すると云なり、
新字:○素書曰、夫欲為人之本、不可無一焉、賢人君子、明於盛衰之道、通乎成敗之数、審乎治乱之勢、達乎去就之理、先儒の謂らく、言ふ意は人となるべきことをはゞ、道徳仁義礼の五つを本とすべきとなり、不可無一焉とは、五ッの内一ッなくても叶はぬと也、賢人とは、賢徳ある人なり、賢徳とは、才も徳も人にこゑもぬけたることなり、君子とは、人の上に立て其才徳下を治むるに、任たる人を云、又下位に居ても、人の上に立べき器量に叶へば、これをも君子と云なり、ひッきやう賢人と云も、君子と云も、をなじと也、盛衰の道とは、ものゝ盛んになるも、衰ゆるも各其道ありて、かやうにすれば盛んになる、かやうにすれば衰ると云ことあり、賢人君子、このさかひに、少も疑ひなきゆへ、あきらかなりと云へり、事の成就するも敗るゝも、みなさだまりたるきッかけあり、賢人君子は、此きッかけに通達し、ぬけとをりてをるなり、国のをさまるとみだるゝとの勢ひを、たしかにしりて、まへかたより、これをたがへず、去就の理に達す、去はさる、就はつくとよみて、そこをたちさり、そこへゆくとなり、これは我身のとりをき也、前に云、盛衰成敗のわけをしるゆへ、此国はをさまる、此国は乱るゝ、今は治りておれども、後は乱るゝ、今は乱れておれども、末は治ると云ことを、がてんして、その治るべき国にゆき、乱るべき国をば、たちさる、これを去就の理に通達すると云なり、
書き下し
○素書曰、夫欲爲人之本、不可無一焉、賢人君子、明於盛衰之道、通乎成敗之數、審乎治亂之勢、達乎去就之理、先儒の謂らく、言ふ意は人となるべきことをはゞ、道德仁義禮の五つを本とすべきとなり、不可無一焉とは、五ッの內一ッなくても叶はぬと也、賢人とは、賢德ある人なり、賢德とは、才も德も人にこゑもぬけたることなり、君子とは、人の上に立て其才德下を治むるに、任たる人を云、又下位に居ても、人の上に立べき器量に叶へば、これをも君子と云なり、ひッきやう賢人と云も、君子と云も、をなじと也、盛衰の道とは、ものゝ盛んになるも、衰ゆるも各其道ありて、かやうにすれば盛んになる、かやうにすれば衰ると云ことあり、賢人君子、このさかひに、少も疑ひなきゆへ、あきらかなりと云へり、事の成就するも敗るゝも、みなさだまりたるきッかけあり、賢人君子は、此きッかけに通達し、ぬけとをりてをるなり、國のをさまるとみだるゝとの勢ひを、たしかにしりて、まへかたより、これをたがへず、去就の理に達す、去はさる、就はつくとよみて、そこをたちさり、そこへゆくとなり、これは我身のとりをき也、前に云、盛衰成敗のわけをしるゆへ、此國はをさまる、此國は亂るゝ、今は治りておれども、後は亂るゝ、今は亂れておれども、末は治ると云ことを、がてんして、その治るべき國にゆき、亂るべき國をば、たちさる、これを去就の理に通達すると云なり、
現代語訳
素書に「人としての本を求めるなら、一つも欠かせないものがある。賢人君子は、盛衰の道に明らかで、成敗の数に通じ、治乱の勢いを見極め、去就の理に達している」とあります。先儒の説明では、人となる本は道・徳・仁・義・礼の五つで、その一つも欠いてはならないということです。賢人とは才も徳も人並み外れた人、君子とは人の上に立ち才徳で下を治める役目の人で、下位にいても人の上に立つ器量があれば君子と呼び、結局、賢人も君子も同じだといいます。盛衰の道とは、物事が盛んになるにも衰えるにもそれぞれ筋道があり、こうすれば栄え、こうすれば衰えるという理があることで、賢人君子はそこに少しも疑いがないので明らかだといいます。事が成就するのも失敗するのも定まったきっかけがあり、賢人君子はそのきっかけを見抜いています。国が治まるか乱れるかの勢いを確かに知って前もって誤らず、去就の理に達します。去は去る、就は就くと読み、そこを離れ、そこへ行くということで、これは自分の身の処し方です。盛衰成敗の道理を知っているので、この国は治まる、この国は乱れる、今は治まっていても後に乱れる、今は乱れていても末には治まると見抜き、治まるはずの国に行き、乱れるはずの国を去る。これを去就の理に通じると言います。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『武道便蒙録』・卷之一・時を待つ賢人と、機を得て動く○賢人君子は、萬理に通達し、道德仁義禮、をのづからそなわり、能く道を行ふといへども、其國其時にあはざれば龍蛇の蟄するが如く、潛まり居て、世間を徘徊せず、ひきこみておるなり、道を我が身に抱て時節を待つより外はなし、故に潛居抱道以待其時、若時至而行、則能極人臣之位とあり、人臣の位をきわむといふは、臣下の位の至極をきわむることなり、三公となり、萬戶侯に封ぜらるゝことを云、時節至て、世に出て、道を行ふ時は、道の行はるべき時節なる故に、世に用ひられ功を立て、臣下の位をきはむるなり、子曰、君子藏器於身、待時而動とあり、素書曰、得機而動則能成絶代之功、如其不遇沒身而已、是以其道足高、而名重於後世、とあり、機は石弓のひきがね、又はからくり人形の、內のからくりしかけ、皆これを機と云なり、是れは、石弓の引金、人形のからくりのどく、こゝをひとつかふすれば、先きがどうなると云、肝要なる所が事々の上にあるものなり、こゝを合點せざれば、勞して功なし、こゝを合點すれば、骨をらずに功をなす、これを機と云なり、此機を得て動く時は、代にすぐれたる、大功を成就するなり、若し時に遇はざれば、潛まり居て一生をおはる、賢人君子の大功をも、たつるほどのことなれば、世にあはざる時は一生をおわり、なまなかなることなどは、せぬなり、是以まことに高く貴き道なれば、其人の名、後代に重んぜらるゝ也、
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三略・下略夫れ聖人君子は、盛衰の源を明らかにし、成敗の端に通じ、治乱の機を審らかにし、去就の節を知る。
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荀子・君子篇法を聖王に論(と)れば、則ち貴ぶ所を知り、義を以て事を制すれば、則ち利する所を知る。論(ろん)に貴ぶ所を知れば、則ち養う所を知り、事に利する所を知れば、則ち動きて出づる所を知る。二者は是非の本、得失の原なり。故に成王の周公に於けるや、往く所として聽かざる無きは、貴ぶ所を知ればなり。桓公の管仲に於けるや、國事往く所として用いざる無きは、利する所を知ればなり。吳に伍子胥(ごししょ)有れども用うる能わず、國亡ぶに至るは、道に倍(そむ)き賢を失えばなり。故に聖を尊ぶ者は王たり、賢を貴ぶ者は霸たり、賢を敬する者は存し、賢を慢(あなど)る者は亡ぶ。古今一なり。故に賢を尚(たっと)び、能を使い、貴賤を等しくし、親疏を分かち、長幼を序するは、此れ先王の道なり。故に賢を尚び能を使えば、則ち主尊く下安し。貴賤に等有れば、則ち令行われて流れず。親疏に分有れば、則ち施行われて悖(もと)らず。長幼に序有れば、則ち事業捷(すみ)やかに成りて休(いこ)う所有り。故に仁とは此れを仁(いつく)しむ者なり。義とは此れを分かつ者なり。節とは此れに死生する者なり。忠とは此れを惇慎(とんしん)する者なり。此れを兼ねて之を能くすれば備われり。備わりて矜(ほこ)らず、一(もっぱ)ら自ら善くする、之を聖と謂う。矜らず、夫れ故に天下之と能を爭わずして、善く其の功を用うるを致す。有りて有(ゆう)とせず、夫れ故に天下の貴(とうと)ぶ所と為るなり。詩に曰く、「淑人(しゅくじん)君子、其の儀忒(たが)わず。其の儀忒わず、是の四國を正す」と。此れ之れの謂いなり。
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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『武道便蒙録』・卷之二・賢と民を頼み、腹心と四肢のように用いる故借名とあり、これみな英雄は千人萬人にすぐれたる人を、いふなるべし、又曰、夫爲國之道、恃賢與民、信賢如腹心、使民如四肢、則策無遺、いふ心は、國を治るの道は、賢德の人と、諸民との二ッを、たのむにあり、去るによつて、古へより明君賢將に、輔弼の賢臣なきはあらず、賢と民とは車の兩輪の如し、民にあらざれば、邦縣を守り、五穀を生じ、器財を出し、萬事を滿ることあたはず、賢にあらざれば、法度を立て、政令を正しくして、國を平治することあたはず、この故に賢と民とを恃といへり、信賢とは、賢智俊材の人の言をば聽信じて、これをよくうけがひ、もちゆることは、自己の腹心の如くすべし、腹心は人の躰の中にての肝要の處なるによつて、賢を用ゆることを肝要とする義なり、使民とは、衆民を使ひ用るとは我が手足の四つを使ふがごとくにするなり、四肢は、我が思ふまゝに使ひ用るもの也、而も我四肢なる故に、いたみ破らざるやうに用るなり、民を使ふも如此、恤みいたむ志を深くして、使ひ用ゆるときは、我下知する如くに、つかはるゝなり、かやうに賢を信じ、民を使ふなれば、策に遺すことなし、
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『格言聯璧』接物類・事毎に肯へて虧を吃する者我何等をか君子と爲すを識らず。但だ事毎に肯へて虧を吃する的を看よ、便ち是なり。 我何等をか小人と爲すを識らず。但だ事毎に便宜を好む的を看よ、便ち是なり。 身を律するには惟だ廉を宜しと爲し、世に處するには退くを以て尚しと爲す。 仁義を以て心に存し、勤儉を以て家を作し、忍讓を以て物に接す。