武道便蒙録 / 卷之一・三顧の礼と水魚の交わり
其方ともに連て來られよ、相見て用んとあれば、徐庶言を返し、此人は官爵に望み無く、隱居したるを呼寄せんとありては、來る者にあらず、特に德ある人を重んずる禮を、壞る程に、貴き方より賤き方に行て逢ふは、貴賤の道を敗るに似たれども、人に依てのこと、其禮を屈て、此方へ招き致さんとしては、臣下を懷る便りを失ふ、其方の貴きを喪れて、尋行逢ふて、一向に頼まれよと云、そこで先主は、徐庶が敎へに從ひ、孔明方へ行るれども、三度まで不逢が、しきりに其人を重んずる志むなしからず、慕はるゝ、故に、孔明は實に知己人と感じて、對面をなす、其時劉備從者をも屏除て、魏呉の二ッを滅し、漢の天下の再興せんとの、大事を談合あれば、兩方の志合ひ、孔明が材を振て、無二の誠心著はるゝ、故に、劉備もいよ〱、孔明を善人と感じ、是より君臣の交り親しく、互に情を齊くし、好を篤く、綿密になりたり、斯に舊臣下に關羽張飛と云者あり、昨今來りし、孔明が出頭して、親深く、舊臣却て疎になることを妬て、先主劉備に、種々讒言をなす、劉備此言を、かさねて聞まじき爲に、孤が孔明との親みは、魚の水を離るゝことならぬに同じ、復重て、左右言ふことを止めよと云はる、凡て人の交り厚きことを、魚と水とに譬ふ、諺に云ふ、魚と水とは親厚者と云ふは、此時よりの故事なるべし、斯て其後、劉備勢ひ盛んになりて、天子の號を稱へて、照烈皇帝と云時に、日比重んぜらるゝ、孔明なれば、三公の一ッ丞相の官となり、萬機の政道を助け理むることを主る、日本の大臣と同官なり、事は、蜀志卷之五、孔明が傳に載たり、
新字:其方ともに連て来られよ、相見て用んとあれば、徐庶言を返し、此人は官爵に望み無く、隠居したるを呼寄せんとありては、来る者にあらず、特に徳ある人を重んずる礼を、壊る程に、貴き方より賤き方に行て逢ふは、貴賤の道を敗るに似たれども、人に依てのこと、其礼を屈て、此方へ招き致さんとしては、臣下を懐る便りを失ふ、其方の貴きを喪れて、尋行逢ふて、一向に頼まれよと云、そこで先主は、徐庶が教へに従ひ、孔明方へ行るれども、三度まで不逢が、しきりに其人を重んずる志むなしからず、慕はるゝ、故に、孔明は実に知己人と感じて、対面をなす、其時劉備従者をも屏除て、魏呉の二ッを滅し、漢の天下の再興せんとの、大事を談合あれば、両方の志合ひ、孔明が材を振て、無二の誠心著はるゝ、故に、劉備もいよ〱、孔明を善人と感じ、是より君臣の交り親しく、互に情を斉くし、好を篤く、綿密になりたり、斯に旧臣下に関羽張飛と云者あり、昨今来りし、孔明が出頭して、親深く、旧臣却て疎になることを妬て、先主劉備に、種々讒言をなす、劉備此言を、かさねて聞まじき為に、孤が孔明との親みは、魚の水を離るゝことならぬに同じ、復重て、左右言ふことを止めよと云はる、凡て人の交り厚きことを、魚と水とに譬ふ、諺に云ふ、魚と水とは親厚者と云ふは、此時よりの故事なるべし、斯て其後、劉備勢ひ盛んになりて、天子の号を称へて、照烈皇帝と云時に、日比重んぜらるゝ、孔明なれば、三公の一ッ丞相の官となり、万機の政道を助け理むることを主る、日本の大臣と同官なり、事は、蜀志巻之五、孔明が伝に載たり、
書き下し
其方ともに連て來られよ、相見て用んとあれば、徐庶言を返し、此人は官爵に望み無く、隱居したるを呼寄せんとありては、來る者にあらず、特に德ある人を重んずる禮を、壞る程に、貴き方より賤き方に行て逢ふは、貴賤の道を敗るに似たれども、人に依てのこと、其禮を屈て、此方へ招き致さんとしては、臣下を懷る便りを失ふ、其方の貴きを喪れて、尋行逢ふて、一向に頼まれよと云、そこで先主は、徐庶が敎へに從ひ、孔明方へ行るれども、三度まで不逢が、しきりに其人を重んずる志むなしからず、慕はるゝ、故に、孔明は實に知己人と感じて、對面をなす、其時劉備從者をも屏除て、魏呉の二ッを滅し、漢の天下の再興せんとの、大事を談合あれば、兩方の志合ひ、孔明が材を振て、無二の誠心著はるゝ、故に、劉備もいよ〱、孔明を善人と感じ、是より君臣の交り親しく、互に情を齊くし、好を篤く、綿密になりたり、斯に舊臣下に關羽張飛と云者あり、昨今來りし、孔明が出頭して、親深く、舊臣却て疎になることを妬て、先主劉備に、種々讒言をなす、劉備此言を、かさねて聞まじき爲に、孤が孔明との親みは、魚の水を離るゝことならぬに同じ、復重て、左右言ふことを止めよと云はる、凡て人の交り厚きことを、魚と水とに譬ふ、諺に云ふ、魚と水とは親厚者と云ふは、此時よりの故事なるべし、斯て其後、劉備勢ひ盛んになりて、天子の號を稱へて、照烈皇帝と云時に、日比重んぜらるゝ、孔明なれば、三公の一ッ丞相の官となり、萬機の政道を助け理むることを主る、日本の大臣と同官なり、事は、蜀志卷之五、孔明が傳に載たり、
現代語訳
その方も一緒に連れて来なさい、会って用いようと劉備が言うと、徐庶は言葉を返して、この人は官爵に望みがなく、隠居している人を呼び寄せようとしても来る者ではありません。特に徳ある人を重んずる礼を損なうことになりますし、貴い方から賤しい方へ出向いて会うのは貴賤の道を破るようですが、人によることです。礼を曲げて向こうをこちらへ招こうとすれば、臣下を手なずける手立てを失います。あなたの貴さを捨てて、尋ねて行って会い、ひたすら頼まれるのがよいでしょう、と言いました。そこで先主は徐庶の教えに従い、孔明のもとへ行きましたが、三度まで会えませんでした。それでも、しきりにその人を重んずる志はむなしくならず慕われたので、孔明は本当に自分を知る人だと感じて対面しました。そのとき劉備は従者も退けて、魏・呉の二つを滅ぼして漢の天下を再興するという大事を相談したところ、両者の志が合い、孔明が才を振るい、二つとない誠心が表れたので、劉備もいよいよ孔明を善人と感じ、これより君臣の交わりは親しくなり、たがいに情を等しくし、好みを篤く、綿密にしました。ここに旧臣の関羽・張飛という者がいて、昨今来た孔明が出世して、深く親しまれ、旧臣がかえって疎んじられることを妬み、先主劉備にさまざまな讒言をしました。劉備はこの言葉をこれ以上聞かないために、「私と孔明との親しみは、魚が水を離れられないのと同じだ。重ねて、側近が言うことをやめよ」と言いました。およそ人の交わりが厚いことを魚と水にたとえます。諺に「魚と水とは親厚の者」と言うのは、このときからの故事でしょう。その後、劉備は勢いが盛んになり、天子の号を称えて照烈皇帝といいました。そのときに、日ごろ重んじられていた孔明は、三公の一つである丞相の官となり、万機の政道を助け治めることを主りました。日本の大臣と同じ官です。事は蜀志巻之五の孔明の伝に載っています。
解説

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『武道便蒙録』・卷之一・身を屈して伸びる、諸葛亮の潜伏○易繫辭傳曰、徃者屈也、來者信也、屈信相感而利生焉、尺蠖之屈、以求信也、龍蛇之蟄、以存身也、言は尺蠖は尺とり蟲なり、尺とり蟲は、先きへのびんが爲に、身をかゞめ屈するなり、龍蛇は發するときは、雲を興し雨を降す、蟄するときは、硯の滴水中にも蟄居る也、諸葛亮孔明は、三國の亂、魏曹操、吳孫權、蜀劉備、たがひに天下を爭ひ、干戈止むことなく、騷動する故に、危邦には不入、亂邦には不居の、聖敎を心に懷き、一材一藝の者も招るゝ時なれども、身不知己の者の爲に、危めんと恐れて、光を藏し、材を韜て、不爲業に容を變、田地に勤めて耕作をなす、是れ夏の桀王の時に、伊尹が有等の野に耕すにひとし、梁父の吟を作て、己れが志を樂むなり、此時三國の一方、蜀の先主劉備と云ふ人、漢の天子の末葉なれば、吳魏二ッの逆臣を滅し、漢の系圖の絶へざる爲に、義兵を興し、義陽郡の中ちの、新野と云ふ地に、陣を張り、士卒多く屯蒐居らる時、徐庶が先主に逢て、今般の大事に群に勝れたる士を懷け、大功を立んと思はるゝならば、諸葛孔明と云隱士あり、此は今南陽の地に智を藏し、形容を埋み、世に知れんことを厭ふ、其德は龍の如き者也、龍は雲を興し雨を降し、土地を濕す、龍興ては、雲雨の信旬分と著はる、却て臥蟠まる時は、末へに何程の雲雨を催して、國土のためにせんと、不度如く、隱士になりて、其材振はぬ中は世に出たらば、如何ばかりの、國家の爲に大功を可立と不知れば、此人は臥蟠りたる龍に異ならず、奥深き頼みある者也と云、劉備此を聞て、其れ程の者ならば、幸に抱へん程に、
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