武道便蒙録 / 卷之一・五つの幸と文武兼備の心得
○凡天地のあいだに、生を稟るもの、はかりがたきうちに、人を以て長とせり、しかるに、其人と生れたること、幸の第一也、人の中に男は貴く、女はいやしきに、男と生れたること、幸の第二なり、男の中にも、士農工商の次第有に、其首たる、士と生れたること、幸の第三なり、世の間には、盲も聾も多きに、□人にもならで、眞直に生れそだちたること、幸の第四なり、亂世には、書もなく師もなきに、治世に生れて、書も多く、師もとぼしからず、幸の第五なり、かくあまたの幸を得ながらなすこともなくて、日をくらすは、寶の山に入ながら、手をむなしくするにひとし、故に士としては、文武を學ぶこと、おこたるべからず、文武は鳥の二翼にひとしければ、かた〱かけては飛ことあたはざるが如し、文あれども、武なければ、人あなどりてをそれず、武あれども文なければ、人をそれて親まず、この故に、文と武を、かねまなびて、身に行ふときは、威德ともに備る、故に人したしみ、且おそれてしたがふ也、周成王告伯禽、言曰、有文無武、無以威下、有武無文、民畏不親、文武倶行、威德乃成、民親以服、といへり、今世の文學に、こゝろざすと云人を見るに、あるひは唐詩、あるひは明詩の絶句を、口拍子にかけ、蒙求標題などを、あらましに覺へて、我れは儒生なりと、をもふ者あり、武術を習ふ者は、劒術、拔刀、鎗、長刀の小技を學て、我れは武人なりと云ものあり、彼れらは、文學は手ぬるきやうに云なし、武術は、いやしきことと思ひ學ばず、これによりて、或は怯弱にして、婦女の如くになり、或は麁暴にして、田夫のどくになる、かたよれりと云べし、
新字:○凡天地のあいだに、生を稟るもの、はかりがたきうちに、人を以て長とせり、しかるに、其人と生れたること、幸の第一也、人の中に男は貴く、女はいやしきに、男と生れたること、幸の第二なり、男の中にも、士農工商の次第有に、其首たる、士と生れたること、幸の第三なり、世の間には、盲も聾も多きに、□人にもならで、真直に生れそだちたること、幸の第四なり、乱世には、書もなく師もなきに、治世に生れて、書も多く、師もとぼしからず、幸の第五なり、かくあまたの幸を得ながらなすこともなくて、日をくらすは、宝の山に入ながら、手をむなしくするにひとし、故に士としては、文武を学ぶこと、おこたるべからず、文武は鳥の二翼にひとしければ、かた〱かけては飛ことあたはざるが如し、文あれども、武なければ、人あなどりてをそれず、武あれども文なければ、人をそれて親まず、この故に、文と武を、かねまなびて、身に行ふときは、威徳ともに備る、故に人したしみ、且おそれてしたがふ也、周成王告伯禽、言曰、有文無武、無以威下、有武無文、民畏不親、文武倶行、威徳乃成、民親以服、といへり、今世の文学に、こゝろざすと云人を見るに、あるひは唐詩、あるひは明詩の絶句を、口拍子にかけ、蒙求標題などを、あらましに覚へて、我れは儒生なりと、をもふ者あり、武術を習ふ者は、劒術、抜刀、鎗、長刀の小技を学て、我れは武人なりと云ものあり、彼れらは、文学は手ぬるきやうに云なし、武術は、いやしきことと思ひ学ばず、これによりて、或は怯弱にして、婦女の如くになり、或は麁暴にして、田夫のどくになる、かたよれりと云べし、
書き下し
○凡天地のあいだに、生を稟るもの、はかりがたきうちに、人を以て長とせり、しかるに、其人と生れたること、幸の第一也、人の中に男は貴く、女はいやしきに、男と生れたること、幸の第二なり、男の中にも、士農工商の次第有に、其首たる、士と生れたること、幸の第三なり、世の間には、盲も聾も多きに、□人にもならで、眞直に生れそだちたること、幸の第四なり、亂世には、書もなく師もなきに、治世に生れて、書も多く、師もとぼしからず、幸の第五なり、かくあまたの幸を得ながらなすこともなくて、日をくらすは、寶の山に入ながら、手をむなしくするにひとし、故に士としては、文武を學ぶこと、おこたるべからず、文武は鳥の二翼にひとしければ、かた〱かけては飛ことあたはざるが如し、文あれども、武なければ、人あなどりてをそれず、武あれども文なければ、人をそれて親まず、この故に、文と武を、かねまなびて、身に行ふときは、威德ともに備る、故に人したしみ、且おそれてしたがふ也、周成王告伯禽、言曰、有文無武、無以威下、有武無文、民畏不親、文武倶行、威德乃成、民親以服、といへり、今世の文學に、こゝろざすと云人を見るに、あるひは唐詩、あるひは明詩の絶句を、口拍子にかけ、蒙求標題などを、あらましに覺へて、我れは儒生なりと、をもふ者あり、武術を習ふ者は、劒術、拔刀、鎗、長刀の小技を學て、我れは武人なりと云ものあり、彼れらは、文學は手ぬるきやうに云なし、武術は、いやしきことと思ひ學ばず、これによりて、或は怯弱にして、婦女の如くになり、或は麁暴にして、田夫のどくになる、かたよれりと云べし、
現代語訳
およそ天地の間に生を受けるものは数え切れないほどあるなかで、人を最上としています。その人に生まれたことが幸いの第一です。人の中で男は貴く女は卑しいとされるなかで、男に生まれたことが幸いの第二です。男の中にも士農工商の順序があり、その首位である士に生まれたことが幸いの第三です。世の中には盲人も聾者も多いのに、(底本で判読できない字)人にもならず、まっすぐに生まれ育ったことが幸いの第四です。乱世には書物も師もないのに、治世に生まれて書物も多く、師にも事欠かないことが幸いの第五です。このようにたくさんの幸いを得ながら、なすこともなく日を暮らすのは、宝の山に入りながら手をむなしくしているのと同じです。ですから士としては、文武を学ぶことを怠ってはなりません。文武は鳥の二つの翼のようなもので、片方が欠けては飛べないのと同じです。文があって武がなければ人は侮って恐れず、武があって文がなければ人は恐れて親しみません。そこで文と武を兼ねて学び身に行えば、威と徳がともに備わり、人は親しみ、かつ恐れて従います。周の成王が伯禽に告げた言葉に「文があって武がなければ下を威圧できず、武があって文がなければ民は畏れて親しまない。文武がともに行われてこそ威徳が成り、民は親しみ服する」とあります。今の世で文学に志すという人を見ると、唐詩や明詩の絶句を口拍子に唱え、蒙求の標題などをおおよそ覚えて、自分は儒生だと思う者がいます。武術を習う者は剣術・抜刀・槍・長刀の小技を学んで、自分は武人だと言います。彼らは文学を手ぬるいように言い、武術は卑しいと思って学びません。そのため、ある者は臆病で弱く女性のようになり、ある者は粗暴で田夫のようになります。偏っていると言うべきです。
解説

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『和俗男子訓』・巻一・文と武を兼ね学ぶ士の心得一およそ、士としては、文武をまなぶと、尤おこたるべからず、むかし周成王告伯禽言曰、有文無武、無以威下、有武無文、民畏不親、文武倶行、威德乃成、民親以服、とあり、意は、文武は、鳥の二翼にひとしければ、かた〱かけては、飛ことあたはざるごとし、文あれども、武なければ、人あなどりておそれず、武あれども、文なければ、人おそれてしたしまず、この故に、文と武とをかねまなびて、身におこなふときは、威德ともに備る故に、人したしみ、且おそれて、したがふといへり、今の世たま〱文學にこゝろざす者は、武術はいやしきことのやうにいひて、たしまず、武術をならふものは、文學は、手ぬるきさやうに思ひて、まなばず、これによりて、あるひは、怯弱にして、婦女のごとくになり、或は、麁暴にして、田夫のごとくになる、かたよれりといふべし、士たる者は、もつぱら心をつけて、さとすべし、
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『武学拾粋抄録』・文武可嗜事・文武は鳥の両翼・車の両輪文武の道は人たる者日用にも備はりて、事々文と武とを離るゝと云こと無し、然れども文武の眞理は一朝一夕に窺ひ知らるべきに非ず、先づ文道は詩文書を學び和歌を詠じ、武も亦弓を射槍を遣ひ劍を學ぶことのみに非ず、是等を以て文武と云はゞ人々何にても得手たる一藝は習ひ得らるべし、故に古より文武を會得したる人甚寡し、されども詩歌文書も文の小端、弓馬槍劍も武の小割にて、文武の眞面目は合せて一體と成り人倫の常道是也、然らざれば偏文偏武也、偏文は甚柔弱、偏武は甚驕暴にして用ふるに足らず、文武は鳥の兩翼車の兩輪の如く離れざるもの也、或は云平士文の用なく武を學んて足るべしと、是目前の理を指して己が怠惰を覆ひ人倫の道に暗く國家の大法に違背すと謂ふべし、如何となれば文武は人倫の常道、上天子より下百姓に至る迄廢すべからざる也、但其職とする處に依り取用は異なれども理は一致に歸する也、殊に今の世の武士は民を治め政を施し國家を調理する吏職の任にも當れば、彌文に志し道理を會得し事に臨み判斷の才無くして叶はず、又吏職の人と云へども軍役の割附有れば武を學び單兵の用を知らずして可ならんや、尙文武一體に歸するの至理は識者に就て明らむべき、也
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『武訓』序・第1段文といひ、武といふ、分ちて是をいへば其の用大に同じからず。故に車の兩輪鳥の兩翼にたとへて、其一を闕くことあたはざることをいへるも、おなじからざるあとにつきて、文武の二を對しいへるのみ。合せて是れをいへば文武只一德にして、文の中に武あり、武の中に文あること、猶陰陽のたがひに根ざすがごとし。故に文なき武はまことの武にあらじ。わが國中頃保元平治より天正文祿の間にいたるまで、爭亂相踵で治日まれなりしかば、士人戎事に暇なく、文學をしるものすくなく、其の武とする所血氣の勇のみにして、眞の武道をしらず、勇俠刺客のしわざのごときを尙ぶこと風俗となり、其の餘習猶近世に及べり。今太平の化あまねく行はれ、四の海波しずかにして、人文日々に盛なれば、聖賢の遺訓家々に傳はり戶々に誦す。しかれども猶無學の輩は文武のことわりを辯へず、習俗にひかれてひが心得も有るべし。或は生質柔懦にして、治平に武をわすれざるの誠をおもはぬ輩も有るべし。先生俗士のために文武の二訓を著はし、其のことわりを辯明し給ふ。其の詞は假字にして讀みやすく、其の意は聖賢の正しきすぢを述べ給ふこと親切著明にして、且目今の時宜にかなはざることなし。世敎に補あること豈小ならんや。
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『武士訓』卷一・第4段世俗の說に。われは武人なり。武をこそ專らにすべけれ。文はまなぶにたらずといふは。武の本意をしらざるなり。文武は。車の兩輪のごとく。鳥の二翼にひとしければ。かた〳〵かけてはたちがたし。邵堯夫文武吟にも。旣爲文士。必有武備。文武之道。皆我家事と賦せり。但し文武をまなぶに。まづ文學をすゝめて忠孝の道をさとしめ。其のちに武術をならはすべし。武術を前にして。文學を後にすることなかれ。許棐氏が語に。讀孔孟之書而不嗜殺人者。未爲仁人也。讀孫吳之書而不嗜殺人者。仁人也とあるを考べし。軍學すらすでにしかり。况や其以下の小藝をや。文學は木の根本のごとく。諸藝は枝葉にひとしといへり。幼より文學をせざるうちに。外の藝にわたれば。事によりて。先入主となりて。害をまうくることも多しとなむ。
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『弘道館記述義』・文武不岐・文と武は車の両輪で分けてはならない文武岐れず。臣彪謹んで案ずるに、神聖は武を以て基を建て、而して文も亦固より其の中に寓す。猶ほ夫れ西土三代の忠質文に於けるがごとし。夏殷に文無きに非ず、周豈に忠質を廃せんや。而るに夏は忠、殷は質、周は文と曰ふは、皆其の向ふ所を言ふのみ。天祖天孫の統を垂れ、神武崇神諸帝の天業を経綸するは、其の武を尚ぶこと論ずる亡し。然れども其の神を敬ひ民を愛し、政を為し治を図るの迹、豈に之を文と謂はざるべけんや。聖子神孫世々其の緒を承け、内は万民を安んじ外は四夷を撫す。諸王諸臣も亦皆文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。国運の盛んなること赫赫として日の升るが如し。中葉以降、将相職を異にし、文武背馳す。公卿軟弱にして手に兵を知らず、源平互ひに起こり、皇室陵夷し、天下の大権遂に武人に移る。夫れ文武の国家に於けるは、猶ほ天地の陰陽有るがごとし。陰陽並び行はれて年穀豊饒なり、文武並び挙げて天下乂安なり。其れ然らざる者は則ち反す。是の故に武人の政を為すや、其の文教を質す者は或いは小康を致すべし。専ら威刑に任ずる者は亡ぶること踵を旋らさず。東照宮に至りては文を撥め武を奮ひ、以て今日の基を開く。則ち上に在る君子は固より宜しく其の業を紹述すべし、而して凡そ天下の士は、黽勉して此に従事せざるべからず。蓋し文武の道には各小大有り。天地を経緯し克く禍乱を定むるは、是れ其の大なる者なり。書を読み冊を挟み、剣を撃ち矛を奮ふは、是れ其の小なる者なり。然れども書冊は道義を講ずる所以にして、剣矛は心胆を錬る所以なり。心胆実して後に以て難に臨み変を制すべく、道義明らかにして後に以て己を脩め人を治むべし。且つ文の弊は弱、武以て弱を矯むべし。武の弊は愚、文以て愚を医すべし。然らば則ち学者其の大を語りて其の小を急にするは、固より不可なり。其の小に務めて其の大を忘るるも、亦不可なり。分かちて二と為し、又其の一を廃するは、尤も不可なり。周代六芸の科、射御其の中に居る。孔子曰く、文事有る者は必ず武備有りと。冉求矛を奮ひて斉の軍に入り、仲由三軍を行ふを以て自ら許す。則ち古の人を教ふる所以は、其をして文武兼ね資り、徳を成し材を達せしむるなり、知るべし。後世に及び、大道湮晦し、学校の設けも亦文具に属す。凡そ黌舎に周旋する者は率ね皆白面の書生。古の所謂勇敢強有力なる者は、頭を其の間に屈するを甘んぜず。李唐に至りて呂尚を尊びて孔子に匹似せしめ、別に武学を建てて文学と相対す。其の文武に心を用ふるは則ち似たり。殊に知らず、文武益ます岐れて復た収合すべからず、而して聖人の意大いに荒るるを。備前国主池田氏、蓋し此に見る有り、其の臣熊沢伯継の議を用ひ、新たに学校を設けて文武を合して一と為す。我が公、毎に深く其の国体に通達するを嗟賞し、斯の館を建つるに及び、亦其の美意に倣ふ。文武岐れずの戒め有る所以なり。学者、其れ服膺せざるべけんや。
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『武備和訓』・卷一・文武は左右の手、武は鞘に収めて威を保つ一武士仁義文武を家業とすると云事は、此仁義の內に諸の事こもれり、本より君臣、父子、禮智信の道は、いふにも及ばざればなり、然るに文武の二ッのものは、たとへば左右の手のごとし、相助ずしては立べからず候、それ文道は、書を讀ざれども、よく行ひの道であたるをもつて、士君子とし、武道は常に勵務めて、用る事なきを以、達德の賢武士とせり、仁義本より文武の二ッなり、仁は文道の花のごとく、義は武道の花のごとし、此二ッをよく治得て、自由するものをもつて、智といへり、右三ッのもの〻、全く備るを以、智仁勇の三德とはいへり、されば寢ても、寤ても、或は食事の時も此仁義の道ははなるべからず候、此道缺たる人をば、祿貴く、爵高くとも、武門とはいひ難く候、然るに文學を好みあまたの書を見るとも、道を行ずして仁化なき人は、文あるとはいふべからず候、又武藝千萬人に秀るとも、血氣にはやり、剽殺を事とする人は、武とは云べからず候、武は內に藏て外に陽さず、則刀劔の鞘にありて、其威の嚴なるがごとし、是其鞘をはづすに至りては、武德の衰へたるにて、勝ても仁義の勇者とせず、武功は亂世にのみありとおもひ、劔は鞘をはづして功を立るものとのみおもふは、大なる僻事なるべく候、亂るゝ時に軍を出し、常に刀劔の鞘をはづす事は、唯やむ事を得ざるにて、智仁勇の心には不可有候、