武治提要 / 省察・第1段
省察は武德を敷の樞要にして、武門萬機の政令、法律爰にあづからずと云ことなし。往を省るといまだ審ならざるときは、來を察すること亦中り難し。故に往を省るは來を察するが爲なり。或は專ら省を用ゆるものあり、或は專ら察をなすものあり、これ其事物によるといへども、吾常に省察の中間にあつて、古往今來をふまえざるときは、眞の武治を得べからざるなり。
新字:省察は武徳を敷の枢要にして、武門万機の政令、法律爰にあづからずと云ことなし。往を省るといまだ審ならざるときは、来を察すること亦中り難し。故に往を省るは来を察するが為なり。或は専ら省を用ゆるものあり、或は専ら察をなすものあり、これ其事物によるといへども、吾常に省察の中間にあつて、古往今来をふまえざるときは、真の武治を得べからざるなり。
書き下し
省察は武德を敷の樞要にして、武門萬機の政令、法律爰にあづからずと云ことなし。往を省るといまだ審ならざるときは、來を察すること亦中り難し。故に往を省るは來を察するが爲なり。或は專ら省を用ゆるものあり、或は專ら察をなすものあり、これ其事物によるといへども、吾常に省察の中間にあつて、古往今來をふまえざるときは、眞の武治を得べからざるなり。
現代語訳
省察は、武徳を広める上での要であり、武門のあらゆる政令や法律で、これに関わらないものはありません。過去を省みることが詳しくなければ、将来を察することも当たりにくくなります。だから、往を省みるのは、来を察するためです。専ら省みることを用いる者もあれば、専ら察することをする者もありますが、これはそのことによって異なります。しかし私は常に、省みることと察することの中間にいて、古今の流れを踏まえなければ、本当の武治は得られません。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之五天下の事、上世の法は簡略にして、後世に至りて益詳密なり。学術制度の如き皆然り。此れ古今の気運の漸く開くるなり。自然の時勢、当に此くの如くなるべし。六経の説く所の者の如きは、其の大略なり。後儒世に出づるに至りて、其の説を為すや、漸く潤色を加へて詳細なり。漢魏以下の諸子及び宋の諸大儒の説く所の如き是れなり。然り而して後儒の説は精詳を加ふと雖も、皆是れ六経語孟の中に有る所の道理を、転た論述して漸く細密なる者なり。六経語孟の範囲の外に出づること能はず。然れども上世の聖人の説く所、其の簡略なる者は、差誤有るべからず。後世の諸儒の論ずる所、其の繁詳なる者は、或いは時として疎漏過誤有り。蓋し其の略なる者は、道理簡要にして、該閲する所周偏なり。其の詳なる者は、論説繁衍して、分析する所或いは過誤有るなり。暦学の如き、其の法後世に至りて益精しく、頗る古人の言ひ到らざる処有り。然れども虞書の中の数語暦象を説く者は、其の根源にして、後世の暦を説く者は、此の規模の外に出づること能はず。其の余の法術も亦皆此くの如し。
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新語・術事善く古を言う者は之を今に合わせ、能く遠きを述ぶる者は之を近きに考う。故に事を説く者は、上は五帝の功を陳べて之を身に思い、下は桀・紂の敗を列ねて之を己に戒むれば、則ち徳は以て日月に配す可く、行いは以て神霊に合す可く、高きに登り遠きに及び、幽に達し冥に洞し、之を聴けども声無く、之を視れども形無く、世人其の兆しを覩る莫く、其の情を知る莫し。五経の本末、道徳の真偽を校修し、既に□其の意あれども、其の人を見ず。世俗は自古より之を伝うる者を以て重しと為し、今の作る者を以て軽しと為し、見る所に淡く、聞く所に甘んじ、外貌に惑い、中情を失う。聖人は寡を貴ばざるも、世人は衆を賤しむ。五穀は性を養うに、之を地に棄て、珠玉は用無きに、之を身に宝とす。聖人は珠玉を用いずして其の身を宝とす。故に舜は黄金を嶄巌の山に棄て、珠玉を五湖の淵に捐つ。将に以て淫邪の欲を杜ぎ、琦瑋の情を絶たんとなり。
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徒然草・第22段何事も古き世のみぞ慕はしき。今様は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひしを、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮の「人数だて。」といふべきを、「立明し白くせよ。」といひ、最勝講の御聴聞所なるをば、「御講の廬。」とこそいふべきを、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。
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『学則』對西肥水秀才問然るに世の自ら好しとする者は、多く謂ふ、古は自ら古、今は自ら今、何ぞ必ずしも古を学ばんと。自ら以て達すと為す。殊に知らず、古には聖人有りて、今は聖人無きことを。則ち其の人の為す所の今なるは、誠に誣ひず。而して其の能く聖人の道に悖らざる者は、吾未だ之を信ぜず。其の人自ら己の心を以て之を断じ、是れ古の聖人に悖らずと謂はば、則ち其の人自ら以て聖と為すなり。豈に妄ならずや。乃ち其の習ふ所に溺れ、往往乎として之に語るも通ずる能はず。故に不佞未だ嘗て人の為に之を言はず。争ひを悪めばなり。今足下の見る所、不佞と符す。故に詳らかに之を言ふのみ。
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『学則』学則四古に聖人有り、今聖人無し。故に学は必ず古なり。然れども古無ければ今無く、今無ければ古無し。今詎ぞ廃すべけんや。世世相望む、孰れか古に匪ずして孰れか今に匪ざらん。故に古に通じて以て極を立て、今を知りて以て之を体す。世世を差して以て其の来るを観れば、其の民俗人情に於けるや、猶ほ諸を掌に眎るがごときか。夫れ古今殊なり。何を以てか其の殊なるを見ん。唯だ其の物なり。物は世を以て殊に、世は物を以て殊なり。蓋し秦漢よりして後、聖人有る莫し。然れども亦た各〻建つる所有り。祇だ其の知、物に周からず、聖人無き所以なり。然りと雖も、業已に物有り。必ず諸を志に徴して其の殊なるを見、殊を以て相映じて、而る後に以て其の世を論ずるに足る。爾らずして一定の権衡を懸けて、以て百世を歴詆するは、亦た易易たるのみ。是れ直だ己のみにして其の世を問はず、乃ち何を以てか史を為さん。故に今を知らんと欲する者は必ず古に通じ、古に通ぜんと欲する者は必ず史、史は必ず志にして、而る後に六経益〻明らかなり。六経明らかにして聖人の道に古今無し。夫れ然る後に天下得て治むべし。故に君子は必ず世を論ず。亦た唯だ物なり。
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