武治提要 / 知人・第9段
武將人を知の道、人々に自ら見知料知せんとならば、膏油を晷について年を窮るとも得べからず、只大職をあたえんと欲する人を審に見料すべし。是を知て不差ときは、其餘の人を擧ること又易し。其本耳目を廣するにあり。耳目を廣すること、監察の職を用ゆるにあり。否なるときは其知こと狹固なり。而して監察の職任正しからざるときは、却て惑を增に足り、凡監察の職用は彼が耳目を假て武將の耳目に通ずるなり。武將に明耳目あらずして、只監察の耳目を以て是非を決せんとなすは、あやまりなり。
新字:武将人を知の道、人々に自ら見知料知せんとならば、膏油を晷について年を窮るとも得べからず、只大職をあたえんと欲する人を審に見料すべし。是を知て不差ときは、其余の人を挙ること又易し。其本耳目を広するにあり。耳目を広すること、監察の職を用ゆるにあり。否なるときは其知こと狭固なり。而して監察の職任正しからざるときは、却て惑を增に足り、凡監察の職用は彼が耳目を仮て武将の耳目に通ずるなり。武将に明耳目あらずして、只監察の耳目を以て是非を決せんとなすは、あやまりなり。
書き下し
武將人を知の道、人々に自ら見知料知せんとならば、膏油を晷について年を窮るとも得べからず、只大職をあたえんと欲する人を審に見料すべし。是を知て不差ときは、其餘の人を擧ること又易し。其本耳目を廣するにあり。耳目を廣すること、監察の職を用ゆるにあり。否なるときは其知こと狹固なり。而して監察の職任正しからざるときは、却て惑を增に足り、凡監察の職用は彼が耳目を假て武將の耳目に通ずるなり。武將に明耳目あらずして、只監察の耳目を以て是非を決せんとなすは、あやまりなり。
現代語訳
武将が人を知る道として、一人ひとりを自分で見て料ろうとするなら、灯火をともして夜を継ぎ、年を重ねても果たせない。ただ、大きな職を与えようとする人を、詳しく見て料ればよい。これを知って誤らなければ、そのほかの人を挙げることもまた易しい。その根本は、耳目を広くすることにある。耳目を広くするには、監察の職を用いることにある。そうでなければ、その知るところは狭く固くなる。ところが、監察の職任が正しくなければ、かえって惑いを増すだけになる。およそ監察の職の用い方は、その者の耳目を借りて武将の耳目に通じることである。武将自身に明らかな耳目がないのに、ただ監察の耳目だけで是非を決しようとするのは、誤りである。
解説
この章句が説くこと
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