武治提要 / 知人・第5段
武將自らはかつて人を知の道、其大綱二つあり。第一見知、第二料知なり。見知とは、彼があらわれたる處を見て、內に知得る處あるなり。彼があらわるゝ處のものは、言行の二なり。言行は內の表にして、終日默して言行の動あらざるときは、賢愚を分べからず。一たび言行に發して、天壤の差をなす。先其人を知んと欲せば、事物を問て、かれに言辭を發せしむべし。臣の君前に言を發するは、戒愼を重ずる故に、一たび問ては其淵底を盡すべからず。問こと必ず屢すべし、或は始其答る處審にして後疎なるか、或は始明にして後晤きごときは、これ必ず內に伏する處ありと知べし。或は問に從て荏苒として精密に至るは、伏する處あらずして、常なるものと記すべし。或は前後齟齬することあるは、君威を恐て迷言せるなり、必ずとがめずして、又別事を以て問こと再三して、猶齟齬せば、內に伏する處あつて、常にあらざるものと記すべし。或は始より多言にして蘊奧を盡すものは、質直の士にあり、又不敬の士にあり、これを辨るは料知の上にあり。或は多言にして文花多く、枝葉を說て本を失するごときは、辨士に似て非なるもの也。言辭を知の道如此して、これを以て其可否を必とすべからず、某は如此、某は如此と記得して、後に其行を見るべし。行とは言辭の實にして、才智の跡あるもの也。
新字:武将自らはかつて人を知の道、其大綱二つあり。第一見知、第二料知なり。見知とは、彼があらわれたる処を見て、内に知得る処あるなり。彼があらわるゝ処のものは、言行の二なり。言行は内の表にして、終日黙して言行の動あらざるときは、賢愚を分べからず。一たび言行に発して、天壤の差をなす。先其人を知んと欲せば、事物を問て、かれに言辞を発せしむべし。臣の君前に言を発するは、戒慎を重ずる故に、一たび問ては其淵底を尽すべからず。問こと必ず屡すべし、或は始其答る処審にして後疎なるか、或は始明にして後晤きごときは、これ必ず内に伏する処ありと知べし。或は問に従て荏苒として精密に至るは、伏する処あらずして、常なるものと記すべし。或は前後齟齬することあるは、君威を恐て迷言せるなり、必ずとがめずして、又別事を以て問こと再三して、猶齟齬せば、内に伏する処あつて、常にあらざるものと記すべし。或は始より多言にして蘊奥を尽すものは、質直の士にあり、又不敬の士にあり、これを弁るは料知の上にあり。或は多言にして文花多く、枝葉を説て本を失するごときは、弁士に似て非なるもの也。言辞を知の道如此して、これを以て其可否を必とすべからず、某は如此、某は如此と記得して、後に其行を見るべし。行とは言辞の実にして、才智の跡あるもの也。
書き下し
武將自らはかつて人を知の道、其大綱二つあり。第一見知、第二料知なり。見知とは、彼があらわれたる處を見て、內に知得る處あるなり。彼があらわるゝ處のものは、言行の二なり。言行は內の表にして、終日默して言行の動あらざるときは、賢愚を分べからず。一たび言行に發して、天壤の差をなす。先其人を知んと欲せば、事物を問て、かれに言辭を發せしむべし。臣の君前に言を發するは、戒愼を重ずる故に、一たび問ては其淵底を盡すべからず。問こと必ず屢すべし、或は始其答る處審にして後疎なるか、或は始明にして後晤きごときは、これ必ず內に伏する處ありと知べし。或は問に從て荏苒として精密に至るは、伏する處あらずして、常なるものと記すべし。或は前後齟齬することあるは、君威を恐て迷言せるなり、必ずとがめずして、又別事を以て問こと再三して、猶齟齬せば、內に伏する處あつて、常にあらざるものと記すべし。或は始より多言にして蘊奧を盡すものは、質直の士にあり、又不敬の士にあり、これを辨るは料知の上にあり。或は多言にして文花多く、枝葉を說て本を失するごときは、辨士に似て非なるもの也。言辭を知の道如此して、これを以て其可否を必とすべからず、某は如此、某は如此と記得して、後に其行を見るべし。行とは言辭の實にして、才智の跡あるもの也。
現代語訳
武将が人を知る道には、大綱が二つあります。第一は見知、第二は料知です。見知とは、その人が現れているところを見て、内に知り得ることです。その人が現れるところは、言と行の二つです。言行は内の表れで、一日中黙って言行の動きがなければ、賢愚を分けることはできません。ひとたび言行に発すれば、天と地ほどの差が出ます。まずその人を知ろうとするなら、事柄を問うて、言葉を発させるべきです。臣が君の前で言葉を発するときは、戒め慎む心が強いので、一度問うただけでは奥底を尽くすことはできません。問うことは必ず何度も重ねるべきです。始めの答えは詳しいのに後が粗くなるか、始めは明らかなのに後がぼんやりするようなら、必ず内に伏しているものがあると知るべきです。問いに従ってだんだん精密に至るなら、伏しているものがない常の人と記すべきです。前後で食い違いがあるなら、君の威を恐れて迷った言をしているのです。必ず咎めずに、別の事で再三問い、それでも食い違うなら、内に伏しているものがあって常の人ではないと記すべきです。また、始めから多弁で奥深いことまで語り尽くす者は、素直で飾らない士の場合もあり、不敬の士の場合もあります。これを見分けるのは料知の上にあります。また、多弁で言葉の飾りが多く、枝葉を説いて根本を失うのは、弁舌の士に似て非なるものです。言葉を知る道はこのようですが、これによってその可否を断定してはなりません。某はこう、某はこうと記憶しておき、その後で行いを見るべきです。行いとは言葉の実であり、才智の跡の現れるものです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』貴義子墨子曰く、言、以て行いを遷すに足る者は、之を常とす。以て行いを遷すに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを遷して之を常とするは、是れ口を蕩かすなり。
-
易経・繋辞上子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。
-
『墨子』耕柱子墨子曰く、「言、以て行いを復するに足る者は、之を常とす。以て行いを舉ぐるに足らざる者は、常とする勿かれ。以て行いを舉ぐるに足らずして之を常とするは、是れ口を蕩かすなり」と。
-
『正法眼蔵随聞記』巻六古人の云く、言は天下に満れども口過なく、行天下に遍けれども怨害なしと、是れ即ち云べき所を云ひ、行ふべき事を行ふ故なり、是れは至徳要道の言行なり、世間の言行も、私曲を以てはからひ行ふは、おそらくは過のみあらん、納子の言行は先證是れ定れり、私曲を存ずべからず、仏祖行じ来れる道なり、
-
『学問のすゝめ』十六編・心事と働きと相当すべきの論・功に食ましめて志に食ましめず言行齟齬するとは、議論に言うところと実地に行なうところと一様ならずということなり。「功に食ましめて志に食ましめず」とは、「実地の仕事次第によりてこそ物をも与うべけれ、その心になんと思うとも形もなき人の心事をば賞すべからず」との義なり。また俗間に、「某の説はともかくも、元来働きのなき人物なり」とてこれを軽蔑することあり。いずれも議論と実業と相当せざるを咎めたるものならん。
-
『慎思録』巻之二匡衡の治性正家を論ずるの疏、及び妃匹を戒め経学を勧むるの疏、其の立論は経術に本づき、其の説は頗る純正にして理有り。朱子の詩伝も、復た其の説を取る。真西山以謂へらく、仲舒の亜為るべし、と。宜なるかな。惜しむべきは其の素行と学術と相乖戻す。其の言を履むこと能はずと謂ふべきなり。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る