武治提要 / 立志・第1段
情意の趣き向ふ處、これを志と云、立とは卓爾として傾覆せざる也。凡小事といへども、其志不立ときはならず、況や武治の成功に於てをや。其志立ときはならずと云ことなく、其志不立ときは百務皆廢す。孔子耳順の聖德は全く十有五の志にあり。舜何人ぞや吾何人ぞやは、伊尹が志なり。志立ときは聖賢ともなり、不立ときは愚不肖となる。立志は事物の始をなし終をなす所以也。勤てこれを立るにあり。
新字:情意の趣き向ふ処、これを志と云、立とは卓爾として傾覆せざる也。凡小事といへども、其志不立ときはならず、況や武治の成功に於てをや。其志立ときはならずと云ことなく、其志不立ときは百務皆廃す。孔子耳順の聖徳は全く十有五の志にあり。舜何人ぞや吾何人ぞやは、伊尹が志なり。志立ときは聖賢ともなり、不立ときは愚不肖となる。立志は事物の始をなし終をなす所以也。勤てこれを立るにあり。
書き下し
情意の趣き向ふ處、これを志と云、立とは卓爾として傾覆せざる也。凡小事といへども、其志不立ときはならず、況や武治の成功に於てをや。其志立ときはならずと云ことなく、其志不立ときは百務皆廢す。孔子耳順の聖德は全く十有五の志にあり。舜何人ぞや吾何人ぞやは、伊尹が志なり。志立ときは聖賢ともなり、不立ときは愚不肖となる。立志は事物の始をなし終をなす所以也。勤てこれを立るにあり。
現代語訳
心情や意志の向かうところを志といい、「立つ」とは、高くそびえて傾き倒れないことです。およそ小さな事でも、その志が立たなければ成りません。まして、武による治の成功についてはなおさらです。志が立てば成らないことはなく、志が立たなければあらゆる務めが廃れます。孔子が六十で耳順の聖徳に至ったのは、まったく十五のときの志にありました。「舜は何者か、私は何者か」というのは、伊尹の志です。志が立てば聖人賢人ともなり、立たなければ愚か者になります。志を立てることは、物事の始めをなし、終わりをなす理由です。努めてこれを立てるほかありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
-
『和俗童子訓』巻之二・総論下一師の教を受け、学問する法は、善を好み行ふを以て、常に志とすべし。学問するは、善を行はんが為なり。人の善を見ては、我が身に取りて行ひ、人の義ある事を聞かば、心にむべなりと思ひ感じて行ふべし。善を見、義を聞きても、我が心に感ぜず、身に取用ひて行はずば、むげに志なく力なしといふべし。我が学問と才力と勝たりとも、人にほこりて自満すべからず。言にあらはしてほこるは、云ふに及ばず、心にもきざすべからず。志は偽り邪なく、誠ありて正しかるべし。心の内は、おほひ曇なく、裏表なく、純一にて、青天白日の如くなるべし。一点も心の内に邪悪をして、裏表あるべからず。志正しきは、万事の本なり。身に行ふ事は正直にして、道にまげず、邪にゆがめる事を行ふべからず。
-
説苑・說叢君子は其の備え有れば則ち事無し。君子は愧を以て食らわず、辱を以て得ず。君子は其の志を得るを樂しみ、小人は其の事を得るを樂しむ。君子は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼさず。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ萬物の情は、各おの自ら遂げんことを求むる者なり。惟だ聖人の心のみ、則ち萬物を遂げんと欲して志自ら遂ぐ。
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「我れに二子有り。一人なる者は學を好み、一人なる者は人に財を分かつを好む。孰れを以て太子と為して可ならんか」と。子墨子曰く、「未だ知る可からざるなり。或いは賞を為す所、是を為すに興らんなり。釣る者の恭なるは、魚に賜うが為に非ざるなり。䑕に蟲を以てするは、之を愛するに非ざるなり。吾れ願わくは主君の其の志と功とを合わせて觀んことを」と。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る