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武治提要 / 總叙・第1段

竊に井蛙の見を以て、本邦上古の有樣を遡觀なすに、神世の開基悉く瓊矛の武德にあづからずと云となく、人代の 帝祖も亦干戈を以て百王の模範を立玉ふ。此故に上古の治は王治にして、其實は皆武治にあらずと云となし。而して清素の風やうやく衰しより、官職に文武の別生じ、武を變事の用となし、文を常事の道となりしよりこのかた、いつとなく文職は貴く、武職は卑がごとく、竟に朝廷に瓊矛の光芒薄く、神武の峻德衰て、公卿は詠歌有職の家となり、紫宸は管絃歌舞の地となり、武備戰律を以て其任にあらずとなせしより、王治と武治と相離るに至り、因循すること久して、竟に大一統武門に歸す。蓋し 後白川法皇六十餘州の總追捕使を勅し玉ふは、帝位の衰べき端をなし玉ふの御あやまちにもあらず、又叡慮の爲にする處あつて然るにもあるべからず、もとより 頼朝公の僭奪にもあらず、只天命の然る所以にして、これ全く天神の絶たる武德を、頼朝公に附與なし玉ふの時至れるものなるべし。故に其迹を見るときは、武治の開基、頼朝公の艸業に似て、其實は中興なり。此故に武は六合の間獨往獨來の號にして、本朝治道の大源なり。文を左にし武を右にするがごときの武にあらず。其意幽微にして、其味尤も深重なり。

新字:窃に井蛙の見を以て、本邦上古の有様を遡観なすに、神世の開基悉く瓊矛の武徳にあづからずと云となく、人代の 帝祖も亦干戈を以て百王の模範を立玉ふ。此故に上古の治は王治にして、其実は皆武治にあらずと云となし。而して清素の風やうやく衰しより、官職に文武の別生じ、武を変事の用となし、文を常事の道となりしよりこのかた、いつとなく文職は貴く、武職は卑がごとく、竟に朝廷に瓊矛の光芒薄く、神武の峻徳衰て、公卿は詠歌有職の家となり、紫宸は管絃歌舞の地となり、武備戦律を以て其任にあらずとなせしより、王治と武治と相離るに至り、因循すること久して、竟に大一統武門に帰す。蓋し 後白川法皇六十余州の総追捕使を勅し玉ふは、帝位の衰べき端をなし玉ふの御あやまちにもあらず、又叡慮の為にする処あつて然るにもあるべからず、もとより 頼朝公の僭奪にもあらず、只天命の然る所以にして、これ全く天神の絶たる武徳を、頼朝公に附与なし玉ふの時至れるものなるべし。故に其迹を見るときは、武治の開基、頼朝公の艸業に似て、其実は中興なり。此故に武は六合の間独往独来の号にして、本朝治道の大源なり。文を左にし武を右にするがごときの武にあらず。其意幽微にして、其味尤も深重なり。

書き下し

竊に井蛙の見を以て、本邦上古の有樣を遡觀なすに、神世の開基悉く瓊矛の武德にあづからずと云となく、人代の 帝祖も亦干戈を以て百王の模範を立玉ふ。此故に上古の治は王治にして、其實は皆武治にあらずと云となし。而して清素の風やうやく衰しより、官職に文武の別生じ、武を變事の用となし、文を常事の道となりしよりこのかた、いつとなく文職は貴く、武職は卑がごとく、竟に朝廷に瓊矛の光芒薄く、神武の峻德衰て、公卿は詠歌有職の家となり、紫宸は管絃歌舞の地となり、武備戰律を以て其任にあらずとなせしより、王治と武治と相離るに至り、因循すること久して、竟に大一統武門に歸す。蓋し 後白川法皇六十餘州の總追捕使を勅し玉ふは、帝位の衰べき端をなし玉ふの御あやまちにもあらず、又叡慮の爲にする處あつて然るにもあるべからず、もとより 頼朝公の僭奪にもあらず、只天命の然る所以にして、これ全く天神の絶たる武德を、頼朝公に附與なし玉ふの時至れるものなるべし。故に其迹を見るときは、武治の開基、頼朝公の艸業に似て、其實は中興なり。此故に武は六合の間獨往獨來の號にして、本朝治道の大源なり。文を左にし武を右にするがごときの武にあらず。其意幽微にして、其味尤も深重なり。

現代語訳

ひそかに井の中の蛙の見識をもって、わが国の上古のありさまをさかのぼって見ると、神世の開基はすべて瓊矛の武徳にあずからないものはなく、人代の帝の祖もまた干戈によって百王の模範を立てなさった。このため、上古の治は王治であって、その実はすべて武治でないものはない。ところが清らかで素朴な風がしだいに衰えてから、官職に文と武の別が生じ、武を変事の用、文を常事の道とするようになって以来、いつとなく文職は貴く武職は卑しいかのようになり、ついに朝廷に瓊矛の光は薄れ、神武の高い徳は衰えて、公卿は詠歌や有職の家となり、紫宸は管絃歌舞の地となり、武備や戦いの規律は自分の任ではないとするに至って、王治と武治は離れ、そのままの状態が久しく続いて、ついに大一統は武門に帰した。思うに、後白川法皇が六十余州の総追捕使を勅許なさったのは、帝位の衰える端緒をつくる御過ちではなく、また思し召しに企てがあってのことでもなく、もとより頼朝公の僭越な奪取でもない。ただ天命がそうさせたところであり、天神が絶やした武徳を頼朝公に授ける時が来たのであろう。ゆえにその跡を見れば、武治の開基は頼朝公の草創に似ているが、実は中興である。こうして武は、天地四方の間を独りで往き独りで来る呼び名であり、本朝の治道の大本である。文を左にし武を右にするような武ではない。その意は奥深く微妙で、その味はもっとも深く重い。

解説

総叙の冒頭で、著者は上古の治を武の目で読み直します。神世も人代の帝も武徳によって立ち、治はもとは武治だった、のちに文武の別が生じて王治と武治が離れ、大一統が武門に帰したのは天命だという筋です。頼朝公の武治は簒奪ではなく中興と位置づけられ、武は文の対ではなく治道の大本だとされます。ここでの武は、強さというより統治の根本を担う責任のことだと読めます。現代の組織でも、実行や守りを担う部門を非常時だけの役とみなし、平時の舵取りを別の部門に任せると、判断と実行が離れて動かなくなります。経営の根幹に実行の責任を据え直す視点として読めます。

この章句が説くこと

武治王治中興治道文武の別武治提要

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