武備和訓 / 卷五・鞘と居合、道具は本意を失わず取捨する
鞘は忍の胴がねをいれてぬりかくすべし、鯉口の方に入るは惡し、刀にかへり角を不可用と云人あり、然れども世上なべて用之、決而不用と云は鑿なり、かへり角有て利ある事あり、害ある事あり、其角の甚高さものは利少し、さるに依て蛭がへりを用る人あり、是にも一利一失あり、惣而武用の事は其人の好所にしたがふべし、一德一損は天地の常理なれば二ッながら全き事はなきもの也、就中三尺已上の長刀、其搾に秘事あり、是は居合の術よりいふ處にして、長刀を拔に足を組み拔刀膝にては四尺の刀も拔べけれども、或は步行中に拔之、走步うちに拔之、起身にて拔之に三尺五七寸の刀は輙はぬけがたし、其秘事を用る時は三尺五寸の刀は三尺を拔が如く、三尺の刀は二尺五寸を拔が如し、武士居合を拔く者不少して、蹲踞ては皆よく拔之ども起身にて能拔者少し、尤鍛鍊すべし、又刀劔の仕立によりて大物ぎれも切れず、腕つかれて大害あれば尤吟味すべきの甚きもの也、杷輕く鍔うすく小くしては、鋒重く權惡敷して用に立がたし、とかく大事にすべきものは杷と釣合なるべし、惣而武事は家々流々其人々の器量によりて主意かはり、取舍する事尤也、鑿には云がたし、つゞまる處は本意を失ざる事を要とすべし、
新字:鞘は忍の胴がねをいれてぬりかくすべし、鯉口の方に入るは悪し、刀にかへり角を不可用と云人あり、然れども世上なべて用之、決而不用と云は鑿なり、かへり角有て利ある事あり、害ある事あり、其角の甚高さものは利少し、さるに依て蛭がへりを用る人あり、是にも一利一失あり、惣而武用の事は其人の好所にしたがふべし、一徳一損は天地の常理なれば二ッながら全き事はなきもの也、就中三尺已上の長刀、其搾に秘事あり、是は居合の術よりいふ処にして、長刀を抜に足を組み抜刀膝にては四尺の刀も抜べけれども、或は歩行中に抜之、走歩うちに抜之、起身にて抜之に三尺五七寸の刀は輙はぬけがたし、其秘事を用る時は三尺五寸の刀は三尺を抜が如く、三尺の刀は二尺五寸を抜が如し、武士居合を抜く者不少して、蹲踞ては皆よく抜之ども起身にて能抜者少し、尤鍛錬すべし、又刀剣の仕立によりて大物ぎれも切れず、腕つかれて大害あれば尤吟味すべきの甚きもの也、杷軽く鍔うすく小くしては、鋒重く権悪敷して用に立がたし、とかく大事にすべきものは杷と釣合なるべし、惣而武事は家々流々其人々の器量によりて主意かはり、取舎する事尤也、鑿には云がたし、つゞまる処は本意を失ざる事を要とすべし、
書き下し
鞘は忍の胴がねをいれてぬりかくすべし、鯉口の方に入るは惡し、刀にかへり角を不可用と云人あり、然れども世上なべて用之、決而不用と云は鑿なり、かへり角有て利ある事あり、害ある事あり、其角の甚高さものは利少し、さるに依て蛭がへりを用る人あり、是にも一利一失あり、惣而武用の事は其人の好所にしたがふべし、一德一損は天地の常理なれば二ッながら全き事はなきもの也、就中三尺已上の長刀、其搾に秘事あり、是は居合の術よりいふ處にして、長刀を拔に足を組み拔刀膝にては四尺の刀も拔べけれども、或は步行中に拔之、走步うちに拔之、起身にて拔之に三尺五七寸の刀は輙はぬけがたし、其秘事を用る時は三尺五寸の刀は三尺を拔が如く、三尺の刀は二尺五寸を拔が如し、武士居合を拔く者不少して、蹲踞ては皆よく拔之ども起身にて能拔者少し、尤鍛鍊すべし、又刀劔の仕立によりて大物ぎれも切れず、腕つかれて大害あれば尤吟味すべきの甚きもの也、杷輕く鍔うすく小くしては、鋒重く權惡敷して用に立がたし、とかく大事にすべきものは杷と釣合なるべし、惣而武事は家々流々其人々の器量によりて主意かはり、取舍する事尤也、鑿には云がたし、つゞまる處は本意を失ざる事を要とすべし、
現代語訳
鞘は忍の胴がねを入れて塗り隠すべきです。鯉口の方に入れるのはよくありません。刀に返り角を用いてはいけないと言う人がいます。けれども世の中は一般に用いており、決して用いないと言うのは偏りです。返り角があって利があること、害があることがあります。その角が非常に高いものは利が少ないです。そのため蛭返りを用いる人もいます。これにも一利一失があります。総じて武用のことは、その人の好むところに従うべきです。一得一損は天地の常の理ですから、二つながら完全なことはありません。とりわけ三尺以上の長刀は、その搾(抜き方)に秘事があります。これは居合の術から言うところで、長刀を抜くのに、足を組み、抜刀の膝では四尺の刀も抜けるでしょうが、あるいは歩行中に抜き、走行中に抜き、起き身で抜くとなると、三尺五、七寸の刀はたやすく抜けません。その秘事を用いるとき、三尺五寸の刀は三尺を抜くように、三尺の刀は二尺五寸を抜くようにできます。武士で居合を抜く者は少なくなく、蹲踞ではみなよく抜けますが、起き身でよく抜ける者は少ないです。大いに鍛錬すべきです。また、刀剣の仕立てによっては、大物斬りもできず、腕が疲れて大害があることがあり、吟味すべきことが甚だしいものです。杷が軽く、鍔が薄く小さいと、鋒が重く、権(釣り合い)が悪く、用に立ちにくいのです。とにかく大事にすべきものは、杷と釣り合いです。総じて武事は家々流々、その人の器量によって主意が変わり、取捨するのはもっともです。詳しくは言いがたく、結局は本意を失わないことを要とすべきです。
解説

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『武備和訓』・卷五・刀の拵えは堅固を第一に、柄と心木を整える一刀劔具足するを世俗こしらゆると云、惣て武士の刀脇指の餘り光〻輝〻は、心にくらず、異なる物好致すべからず、鮫は塗べし、柄の心木は必ず柚か樫を用べし、假令白鮫を用るとも心木堅く柄卷工の巧手に命じて、最上の糸を用て能松鼠をぬり、鐵石の如く卷ときは、柄碎る事なし、韋を用る事は尤つたなし、武備にもあらず、禮にも乖べし、刀劔の仕立肝要なる物は杷なり、武人常にいふ、糸切て手の內碎ると、杷糸切解る程にては兩手の指存すべからず、松鼠をつけて至極堅く卷時は、たとへ寸寸にきるゝとも其解る事なし、心木厚朴を用るとも卷糸堅じければ輙く不碎、其くだくると云も木は柔にして緩き故也、古來の柄に厚朴を用て不碎事は、古は心木極て細き故鮫をきせて地を高くしあげ、能塗たる故手の內細からず、其木うすくして、中心にしなひつよく漆を付る故猶堅くして碎けざるもの也、當世は鮫ぬらざるを以心木大きく、しかも柄緩きを以碎る事あり、心木樫なれば唯堅さのみならず、劔のつりあひの爲に大によし、うち鮫を用るとも、心木右二木の內なれば碎る事なし、尤杷は長きに德あり、鐔は重く大なるを能とせり、(武藏流の如きは論ずるに不及者也)劔の身は專磨を吟味すべし、かくし根刄は用に不立、
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『武備和訓』・卷二・居合の本理は鞘の内にある一坐合の諸流、坐して長刀を拔を以居合とせり、夫坐合は、坐しても、作ても、刀鯉口をはなるゝ處に本理あり、妄りに長劔を拔を以居合とはすべからず、坐して速長劔の鞘は誰もはづすべし、必坐席にては、小刀か、脇指かの勝負なれば、本理は短刀にあるべし、短刀よく拔ざるもの也、短きを以長劔の遠きに及ぶがごとく拔之、又手と手を組合程の手詰に至て、長きを拔事、懷劔の近きを刺がごとくする事、右二ッのごときものに本理有べし、劔鯉口を離るゝとひとしく、敵二ッにならざれば居合にあらず、長劔は馳走の中に拔之、作身にてよく拔べし、二尺五寸已上の刀は、居合をぬくの理にはあらず、只鞘をはづすといふもの也、諸流唯早く鞘をだにはづせば居合なりとおもへり、誠に可笑也、多くの流々、坐合刀に鐔を用ひず、刄を强くひきて、其味ひを吟味せず、さるに依てよく眞劔を用ひ、打太刀をして拔事あたわず、若二尺五寸の鞘に、二尺の刀をおさめたるをしらずして拔之とも、鋒鯉口に望む時、其寸を知るにあらざれば、居合を拔といふべからず、此藝劔術の發端にて、彼と同じく優劣を論ずべからざれども、劔術は鞘を出でたる後なれば、其變窮なし、居合は鞘に在て無窮を生るの淵源にて、未陰陽とならざる初なれば、其術の淺深尤論ずる處あるべし、
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『武備和訓』・卷五・刀脇指の吟味は斬れ味と折れにくさ一刀脇指吟味の事は、武士たる者晝夜身腰を離ざる器なれば、尤其道に精しからずんば有べからず、然るに皆其實理を正し本源の利害を糺明して用る人の少き事は何ぞや、先刀劔の物切を好み心がくる人、古身は細く末枯て殆しと云、新身の重厚きを好む、大に然るべからず、是其用を知て主を知らざるもの也、刀は斬るを以主とせり、折る處に心を用るものは用なり、予斬罪の者千人迄斬たる男に委細を聞事あり、それ新身は鐵練ざるにより、いかなる名鍛のうちたるも、物に觸て折る事速なり、折ざる程に重厚ければ極めてきれず、又古身は少厚くても鐵鍊たるを以能斬る、物に觸てまがりはするとも、折斷に不至、新身は一度きれて再びきれざる物あり、きれても其音大に高し、然ればよく斬るといふものは、最上の鐵を以名鍛のうちたる古身のひらりとしてうすき物に極れり、又鉢割と云物あり、よく首を割に、二ッに斬割て頤に至る、尋常の刀にてたとい二ッ胴は截るとも首の鉢は割ざるもの也、然るに此首のよく割るものは胴躰を截るによく不斬、又胴躰のよく切るものは首を割に利あらず、是其鍛冶の鐵の鍛ひに異あり、首も胴も倶に用て利あるものは其中間を採るに如事なし、大亂の焼刄劔脊まで通りたるは折るに早し、碑は截にかまひて害あり、瑾はシナイ刄ギレを避べし、右二ッのきずある物は必ず用べからず、其外シミ地アレ等は戰鬪の爲にさまで妨なし、又當代の新身は鍛おろして其儘截る事を本意とするにより、鐵柔くして、後世かならず役に立べからず、唯何事も簡易を主として本意を失ふにより、論るに足ざるもの也、心あらん人丈夫なるをよしとして、必新身を刺事なかれ、況や當世の鍛冶のうちたる麁相なるをや、
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『武備和訓』・卷二・居合は劔術の本、常を知って変を知る一居合は、習ふ事尤劔術より先にすべし、是則劔術と一術なるべきを、別て敎を異にする事心得がたし、劔術の惣躰、居合を以本とし、起合を以て、末とすべし、必本をしらずしては、末治るべからず、居合を知て起合を知らざる刻は、步行事を知て走る事ならざるがごとし、又劔術を知て居合を知らざる刻は、よく走れども徐に步む事ならざるがごとし、徐に行事は常、走る事は變なり、抑居合の鞘に在て、其意味の深き事、たとへば大極の靜なるがごとし、劔さやを潛るの間に、一理陰陽とならんとするの理あり、其鯉口をはなるゝ處、始て天地位し、劔敵の身に中て勝を我に得たる處、神明始て其中に在が如し、鋒鯉口を放れば、敵已に二ッになれり、天地位すれば、神明已に其中にあり、惣て劔術の雌雄は、鞘をはなれずして、勝負我にあり、若鞘をはづして勝事を敵に求むるものは必危し、能居合の道理と、孫武の兵法と、大武小武符合する事あり、武備の治世における、刀劔の鞘における、武の武たる事を察すべし、武人刀劔の藝を鍛鍊せんとおもはゞ、先づ居合の事理を致て、其後劔術を習ふべし、
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『武備和訓』・卷一・刀は鞘の中に威があり、師を敬う一刀劔術の本意は、鞘の中にある時、威功靈明にして、鞘をはづす事は、威武の德おとろへたるなれば、百たび鞘を發し、百たび利を得るとも、刀術の本意にあらず、乍然血氣の人々は、其主意少ちがふ樣に脇より見ゆるも在之候、必ずつゝしむべし、爰に又往々の劔術者を見るに、師に事へて其藝を精熟し、或は奧義を殘して不傳かと、惑のうたがひを起し、或は己が未熟にして師に不及事を辱ず、却て簒奪の心を逞ふして、終に其師を殺し、自貴からん事を求る者、獨り刀劔の藝に多し、誠に其心禽獸にひとし、聖賢の道には、師は君父とひとしく、三年の喪をうくるといへり、必刀劔の術を習ふ人、其祖師を貴んで手法を習ふとも、心に取捨あらん事肝要成べし、其藝をば貴ぶとも、道に戻る心法をば、かならず貴むべからず、非道の操に少もうつる事あらば、武運に盡ん事必然たるべし、刀劔の術を習ふ事は、靈劔の德をおとさず、義理に死む爲の修行なり、其虎狼の心あらんよりは、習ざらんむかしこそ、ひとり神武の勇なるべけれ、
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『武備和訓』・卷一・劔術は小武、本心で芸を使い芸に使われるな和奴(明朝より日本人をさして云言語也)の藝とするといへるを、或儒士是をいぶかりて曰、刀劔の術和奴のみ是を用ると云時は、中華其外の外國、なべて此藝なしといふものに似たり、恐くは是弟氏(武備志の作者)が見る處窄くして、博識ならざるかと難ぜり、愚謂ふに、中華と云とも、刀劔を用て罪ある者を誅する事、吾國に異なるべからず、盖し劔術は本一人を以て一人に捷つの義、大勇の人、さのみ心身を勞すべきには非ず、されば中華の武をいふもの、先づ王道の仁義節制の武を說て、次に覇者の道をいひ、陣法權略をのべて、專ら弓弩巧車火器等の道を說、唯三軍の勝を全ふする事を宗として、相手向ひの小武には泥ずと見へたり、最哉、其國に生れては、我劔術をしらざれば敵も又不知、只勇臆を以勝負に充つ、何ぞ弟氏が見る處せばくして、中華の事をしらずといふべけんや、已に博くしてよく本朝の事を記せり、武人爰を以悟れ、優劣は其人の鍛鍊にありて、流義にあらず、勝負は其人の心にありて、流義によるべからず、常に心を刀劔に置て、危き事を恐れ、威武を心に備ふるを、劔術の本意とせり、本心を以て藝をつかひて、藝の爲につかわるべからず、一劔術何流にもせよ、最初は竹刀を用て手法を傳へ、木刀を用て手先を利し、眞劔の刄引を用て奧義を鍛鍊し、竹刀木刀を用て擊闘すべし、只一ぺんにかたよるべからず候、學習しば〱して鍛鍊功つもる時は、生死の勝負目前に明なるべし、